向き合う勇気
誤字報告、感想、ありがとうございます。
それではよろしくお願いします。
「……落ち着いたかい?」
涙が止まり、呼吸も落ち着いた私の頭上から、コンラートの穏やかな声が聞こえた。それでも泣きすぎて腫れてしまった顔を晒すのが恥ずかしくて、私はコンラートの胸に顔を埋めたまま、頷いた。
「……こんな風に君が泣くのは初めて見たよ。いつも毅然として背筋を伸ばしているところしか見たことがなかったから」
その言葉に、私は鼻をすすり、コンラートの胸におでこをつけて俯いたまま答える。
「……わたくしだって普通に笑うし、泣くし、怒ります」
「それはわかってるよ。だけど、これまで人前で泣くことはなかっただろう? 実はクライスラー男爵夫人からも聞いてたんだ。ウエディングドレスのデザインの話をしながら、君がお母上の話をして少し泣いてたって」
「あ……」
「気づかなくてごめん。僕が無神経だった」
私は思わずコンラートの顔を見上げた。彼の瞳に不思議そうな表情の私が映る。それでコンラートとの距離の近さに気づいて、私は慌てて離れようとした。
「申し訳ございません!」
「気にしなくていいよ。それに婚約者なんだから別にくっついてもおかしくないだろう?」
「……おかしくなくても恥ずかしいんです」
コンラートが囲い込むように私の背中に腕を回していて、離れたくても離れられなかった。抵抗をやめてぐったりと彼の胸にもたれかかる。そんな私がおかしかったようで、コンラートが笑った。
「弱っている時くらい、誰かに甘えればいいんだ。それが恥ずかしいことだとは思わない。それで、さっきの続きなんだけど、別に他意があって夫人にお願いしたんじゃないんだ。ニーナに頼まれたからっていうだけじゃなくて、僕が信用できる方といったら、あの方しか思い浮かばなくて。本当なら僕の母に頼むべきなんだろうけど、君も噂を知っているだろう?」
コンラートの声音が苦々しいものになった。彼の言う、シュトラウス子爵夫人の噂を聞いたことのある私は、戸惑いながらも頷いた。
「……噂は全部本当だよ。今も両親はお互いに愛人を作って忙しそうにしてる。取っ替え引っ替えお盛んなことだ。だからあまり君に関わらせるのもと思ったんだけど、結局君を傷つけてごめん」
コンラートは淡々と話しているけど、その内容は重いものだった。彼がどんな思いで話しているのかを考えると胸が痛んだ。私は顔を上げて彼の目を真っ直ぐに見た。
「……わたくしはクライスラー男爵夫人と母の話ができてよかったと思っています。亡くなって数年経っても、まだこうして母を覚えてくださっていることが嬉しかったんです。それもコンラート様のお陰だと感謝しています。ありがとうございます」
「いや、そんなことは……」
照れているのか彼は言い淀んだ。そして私は更に続けた。
「わたくしこそ申し訳ございません。話しにくいことを言わせるような真似をしてしまいました」
「いや、君も三日後には子爵家の人間になる。いずれ話そうと思っていたからちょうどよかったよ。何も知らずに屋敷であの人たちと対面したら、君も度肝を抜かれるだろうからね」
コンラートは苦笑している。だけど、その顔の裏で彼が傷ついている気がして私は笑えなかった。
「……無理はなさらないでください。あなたも先程仰ったではありませんか。我慢せずに本当のことを話して欲しいと。わたくしでは頼りになりませんか?」
「まいったな……そんなわけではないんだ。ただ、子どもの頃から続いているから、僕も諦めているんだよ。父は外で逢瀬を重ねているからまだいいけど、母は屋敷に連れ込むからうんざりするね。せめて余所でやってくれって何度思ったか」
「……そうですか」
両親の仲が良かった私には想像がつかないけど、子どもの頃にそんなものを見せられるのは辛いだろう。それに、シュトラウス子爵夫妻には夜会で何度もお会いしたが、二人は仲睦まじく見えた。だから所詮噂だろうと思っていたのだ。
「……だから正直に言って、結婚には何の期待もしてなかった。家族なんて心が繋がっていなければ意味なんてないだろう? でも、君の家族やクライスラー男爵家と関わるうちに、少し欲が出た。僕にもそんな家族ができるんじゃないかって期待したんだ。だけど、気持ちがなければ夫婦になったところで辛いだけかもしれないね……」
「ええ、そうですね……」
どこか遠い目をして話す彼の言葉が胸に刺さる。これでは君には気持ちがないと言われているようだ。
それならどうしてニーナと結婚しないのだろう。それを聞くのは怖かった。だけど、私は少しずつでも変わりたいと思ったのだ。自分を奮い立たせるように拳を握りしめて、彼に聞いた。
「……それならどうしてニーナ様と結婚しないのですか? あれだけ噂になっていますし、わたくしはそうなるだろうと思っていました」
「それは前にも話したと思うけど、元々結婚するつもりはなかったよ。所詮、噂は噂。否定するのも面倒臭いから放っておいただけだ」
それは違うと思う。だとしたらどうして男爵夫人は絶対に結婚を認めないなんて言ったのか。辻褄が合わなくなる。私も嘘吐きだけど、彼も嘘を吐いている。私にはそんな確信があった。
「……それは嘘です。何か事情があるのではありませんか? だからこそ、あなたはこうしてわたくしに嘘を吐くのではないですか?」
彼は目を丸くして絶句した後、溜息を吐いた。
「君は聡い人だと思ってはいたけど、さすがだね」
「では、やはり……」
「……そうだよ。確かに事情はある。でも、それとニーナと結婚しないことはイコールじゃないけどね」
「そうですか……それをわたくしに話してはいただけないのでしょうか?」
「それは……まだ言えない。だけど誤解しないで欲しい。君を信用してないからという理由ではないんだ。もう少しで全てカタがつくから、その時に全て話すよ。だから待ってくれないか?」
彼は真剣な表情で私を見ていた。そこに嘘や誤魔化しを感じられなかった私は黙って頷いた。そして彼はほっとしたように表情を緩めた。
「ありがとう、ユーリ。信じてくれて」
「……いえ、こちらこそちゃんと答えてくださってありがとうございます」
勇気を出して聞いてよかった。
人と向き合うことは傷つくこともあるし、必ずしも分かり合えるとは限らない。それでも何もしないよりはいいのかもしれない。
彼とこうして穏やかな時間を過ごせたことは、更に私に彼と向き合う勇気を与えてくれたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。