兄の優しさ
よろしくお願いします。
結婚式までの強行スケジュールのせいで、私はコンラートとほとんど会話をすることがなくなっていた。あれからずっとギクシャクしていたから、それはそれでよかったのかもしれない。
だけど、こんなことで結婚してもやっていけるのだろうか。思い人が別にいるだけでも不安だけど、それ以上にお互いが本音を言わない関係なんてうまくいかないだろう。
次第に口数が少なくなり考え込む私を、父や兄が心配するようになっていた。
◇
「これで何回目だ?」
「何ですか、お兄様?」
朝食の席で向かいにいる兄に話しかけられ、私は首を傾げた。兄は呆れたように言う。
「自覚がないのか。さっきから重い溜息ばっかり吐いてるぞ。前を見てみろ。せっかく料理人が作り立てを用意してくれたのにすっかり冷めてる。この屋敷の財政が厳しい中作ってくれているのに、申し訳ないと思わないのか?」
兄の言葉で目の前の朝食を見る。パンと共に用意された、野菜のたっぷり入ったスープからは既に湯気が消えていた。
起床の時間に合わせて調理してくれた料理人たちに申し訳なくなり、私は頭を下げる。
「あ……そうですね。申し訳ありません」
「……なんてな。それよりもどうしたんだ。聞くだけ聞いてやるから話してみろ」
「……朝食が冷めるから先に食べた方がいいのではないですか?」
「もう冷めてるだろうが。それにどうせまた食べ始めたところで、手を止めては溜息を吐かれたら、こっちが美味しく食べられない」
きついように思えるけど、これが兄なりの心配の仕方だと知っている私は、兄の言う通り話すことにした。
「……お兄様もコンラート様とニーナ様の噂はご存知ですよね。それなのにどうして私と婚約したのかわからないんです。コンラート様はまだニーナ様を思っているようなので」
それを聞いた兄は目を眇めた。私は言われたことに答えたつもりなのに、視線で非難される意味がわからなかった。
「違うだろう? お前が気にしているのは、自分と婚約した理由なんかじゃない。コンラートが自分をどう思っているかじゃないのか?」
兄の言葉は胸に刺さった。私の嘘や誤魔化しを見抜いていたのだ。
コンラートの気持ちがなくても彼にとって自分に価値があると思いたかった。だけど、そんなのは建前でしかない。本心では愛されたい、ただそれだけだった。
無言で俯く私に、兄は続ける。
「……お前がそうやって本心を言わなくなったのは、俺たちのせいだよな。母上が病気になって父上が母上の看護と執務にかかりきりになって、俺はそんな父上の補佐をしなければいけなかったせいで余裕がなかった。だからあの頃、誰もお前に構ってやることができなかった。わがままも言わずに、表情が消えていくお前に母上も心を痛めていたよ」
「……誰のせいでもありません。私だってお母様が大切だったし、お父様やお兄様が大変だったことも理解しています」
「頭ではな。だけど、心は追いつかなかったんじゃないか? だからこそお前は建前で武装して本心を守ろうとする。傷つくのが怖いからだ」
「違います」
「何が違うんだ? 直接コンラートに確かめることもせずにうじうじ悩んでいるだけだろうが。俺はお前をそんな風に変えてしまったことに責任を感じはするが、お前が変わらないと何も始まらない」
「お兄様に何がわかるんですか!」
私は思わず立ち上がって怒鳴った。こんな大声を出したのは何年振りだろうか。勢いは止まらず、叫び続ける。
「本当はずっと寂しかった! 私もお母様の看病がしたかったし、構って欲しかった! だけどそれを言って何になるんです? 何の意味もないじゃないですか!
それにコンラート様のことだって、ちゃんと話をしたいんです! だけど、コンラート様はずっとニーナ様しか見ていなかった! 屋敷でも孤独だったけど、二人といても孤独だったんです! 私はずっと一緒にいたのに!」
お願い、私を見て。私に気づいて。何度そう思ったかわからない。
だけど、三人でいると私はニーナのおまけでしかなかった。それなのに結婚しようなんて、何の冗談なのかと思った。
婚約してからだって、何でもニーナ、ニーナ。だったらニーナと結婚すればいいのに、そんな風にも思った。だけど、それを口にすることはできなかった。
それを言ってコンラートに、そうだな、じゃあ婚約は解消しよう、と言われたくなかったからだ。もう自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていた。
私の目からボロボロと涙が零れ落ちる。感情を露わにするのは、はしたないことだとわかっている。だけど、抑えきれない感情に後押しされるように涙が止まらず俯いた。
「それでいいんだ」
「え?」
穏やかな声がして顔を上げると、兄は笑っていた。人が泣いているのにと、私は腹立たしさに睨みつけた。
「お前は何でも抑え込もうとするからな。今みたいにコンラートに気持ちをぶつければいいんだ。お前たちは夫婦になるんだから、そのくらいしたっていいんじゃないか。もしそれで当たって砕けたら、俺が拾ってやる。出戻り一人くらいは何とかなるだろう」
兄はわざと私を煽ったのだ。私が本音を言いやすいように。そんな兄の優しさが嬉しかったけど、やっぱり私は素直じゃなかった。笑顔で涙を拭いながら兄に言う。
「……そんなこと言って、子爵家が援助してくれなくなったら没落ですよ」
「ああ、いいんじゃないか? 正直俺も疲れた。爵位返上して親子三人で商売でもするか。幸いコンラートに商売のノウハウを教えてもらっているからな」
飄々とそんなことを言う兄も素直じゃない。
私は兄が伯爵家を立て直すためにどれだけ奔走しているか知っている。夜会での顔つなぎや、父の作った借用書の整理、領地での特産品開発事業などもやっているはずだ。今はそれにコンラートについて商売の勉強もしているのだ。どれだけ大変かは目の下の隈が物語っている。
「……素直じゃないですね」
「お前にだけは言われたくない」
二人で顔を見合わせて笑う。その後、兄は神妙な顔になり私に言った。
「性格はそう簡単に治らないと思うが、ちゃんとコンラートと向き合う努力をしろ。コンラートが好きなんだろう?」
「……はい」
心配してくれる兄には自分の気持ちを隠したくなくて素直に頷いた。兄は苦笑している。
「それを素直にコンラートに伝えればいいだけだと思うんだがな。お前といい、あいつといい、捻くれているから。あいつが男爵令嬢と何でもないって言うのなら本当だろうよ。事情はよくわからんが。あいつは不器用だが誠実な男だ。信じてやれ」
「……ありがとう、お兄様」
大人の振りをして感情を抑え込んでいた昔から、私は何も成長していなかったのかもしれない。相手を困らせるからなんて理由をつけても、本当は拒絶されることが怖いだけだった。
だけど、こうしてぶつかっても受け止めてくれる人がいるのだ。だから、私は少しずつでも変わりたい。そしてコンラートとの関係を変えたい。
結婚式はもう間近に迫っているけど憂鬱だった日々がこれから変わっていく、そんな予感がしていた。
読んでいただき、ありがとうございました。