降って湧いた縁談
よろしくお願いします。
「……大丈夫です。わたくしは、あなたのことなんて好きじゃありませんから」
そう言って私は笑った。ちゃんとうまく笑えているだろうか。そうでなければ彼が気にしてしまう。
本心を押し殺して、私は嘘をついた。それが私の苦しみの始まりになるとも知らずに──。
◇
それは晴天の霹靂だった。
「お父様、今何と仰ったのですか?」
朝一番に、父の書斎に呼ばれた私は耳を疑った。
両手を組んで机に肘をつき顎を乗せた父は嬉しそうに笑った。子どものようなその笑顔に、ロクスフォード伯爵家当主の威厳は見えない。
父の名前はウォーレン・ロクスフォードという。ロクスフォード伯爵家といえば、それなりに名を知られている。もっともいい意味ではないが。
かつては名門と言われた我が家も、今や傾いてしまった。それというのも目の前にいる父のせいだ。
身内びいきかもしれないが、父はそれなりに整った容姿をしている。絹糸のようなブロンドの髪に、深い青色の瞳で、彫りの深い顔立ち。
その上、伯爵家当主という肩書きは男女問わず魅力的に映るのだろう。上手い汁を吸おうとする人たちがしょっちゅう寄ってくる。
人はいいが、人を見る目がない父はよく騙される。母が生きていた頃はしっかり者の母が止めてくれていたが、今は止めようとするのは私と兄くらいのものだ。
こうして嬉しそうに話を切り出す時は、これまでの経験からろくでもないことに決まっていた。
また騙されて借金でも背負ったのかと、戦々恐々と話を聞いていたが、その話は私が予想だにしないものだった。
「だから、お前に縁談が来ているんだよ、ユーリ。お前ももう二十歳で行き遅れと言われる年齢だし、しかもお相手はコンラート君だ。お前は彼を気に入っていただろう?」
「ええ、ですが……」
気に入るどころか、好きだった。だけど、叶わないと諦めてもいた。彼には思い人がいたからだ。その思い人である婚約者候補の彼女はどうしたのだろうか。
そんな私の疑問が顔に出ていたのか、父は答えてくれた。
「ニーナ嬢との婚約は無くなったそうだよ。理由まではわからないが」
「そう、ですか……」
複雑な気持ちだった。
私は何度も彼、コンラート・シュトラウス子爵令息がニーナ・クライスラー男爵令嬢と仲睦まじく過ごすところを見てきたのだから。
彼らが身分違いであるにもかかわらず仲が良かったのは、コンラートが夜会でニーナを見初めたからだ。
私とコンラートは特に仲が良かった訳ではないが、それなりの付き合いはあった。
ある時、出席した夜会で二人と一緒になった。その時には私は既にコンラートが好きだった。そんな彼が私の前を素通りし彼女にダンスを申し込んでいるのを見て、私の恋は終わったのだと悟った。
それからはお茶会や夜会で、二人の噂を聞かないことはなかった。コンラートは栗色の髪に同じ色の瞳で優しい顔立ちの美形、そしてニーナはサラサラの漆黒の髪に翡翠色の瞳の色っぽい美女だ。だから、どちらにも自分が婚約者になりたいという人たちが殺到していた。
私はもう、二人と関わることなどないと思っていたのに。
浮かない表情の私に、父も怪訝な表情になった。
「てっきり喜ぶと思っていたのに、どうしたんだ? あと、言っておくが、もうこの話は断れないんだ。見返りとして援助を申し込まれているからね」
「……なるほど。私は借金のカタにもらわれるということなんですね。でも、おかしくないですか。向こうには何の得もありません。こちらは没落寸前の一応伯爵家で、あちらは領地経営だけでなく商才もある子爵家です。一体何が目的なのでしょうか?」
借金のカタにしても、おかしな話だ。ニーナの家は男爵家だから、縁を結びたいならより位の高い伯爵家を選ぶのはわかる。それでもこんな没落寸前の伯爵家を選ばなくても、コンラートならいくらでもいい縁談があるだろう。
父もそのあたりはわからなかったようだ。しきりに首を傾げている。
「それは聞いてないな。ただ、婚約を急ぎたいのだとしか言ってなかったぞ」
「……余計に裏がありそうだと思うのは私だけでしょうか」
「そう言われればそうかもしれないが……そんなこと考えても仕方ないだろう。もう決定事項なんだから」
どうして考えてくれないのかと、頭痛がする。こんなことだから、父は貴族社会の中で浮いてしまうのだ。何でも額面通りに受け取るだけでは、狡猾な連中に食い物にされるのはわかっているだろうに。
彼の目的が何であれ、これだけは絶対にないと言える。彼が私を好きだということだ。
私は父譲りのブロンドと青い目で綺麗だと言われることはある。でも、ニーナと比べると見劣りするのはわかっている。
だから期待はしない。
私は諦めの境地でその話を受け入れたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
コンラートが伯爵令息になっていたので、子爵令息に直しました。申し訳ありません。