三すくみ
「もう冷えたんじゃないか。アナナス・ロティ・カラメリゼ」
そう言って、黒のセーターにジーンズ姿の聖が、冷蔵庫を開けてバットにのせた輪切りのパイナップルを取り出した。
ランチタイムの後に「海の星」にひょっこりと姿を見せた聖が、閉店後の忘年会に向けて作っていたデザート。
丸ごとのパイナップルの皮をむき、すりつぶしたバナナやバニラを加えたキャラメルソースを何度もかけながらオーブンでロースト。焼きあがってから冷蔵庫で冷やしていた。
バットに並んだ輪切りを一枚指で摘まみ上げて一口。うん、と笑顔になる。
「ココナッツのアイスを添えて出そう。味見してみるか」
声をかけたのは、すぐそばにいた由春に対して。
伊久磨はたまたま、飲み物を取りにキッチンに戻ってきていた。
幸尚や心愛はホールでテーブルについていて、先に用意してあった料理を食べている。休肝日があったら良いんじゃない? と言われて香織も呼び出されていた。湛や和嘉那に声もかけていたが、夜が遅いのでと丁重に断られている。由春の母親が代打で来たがっていたらしいが、由春が断ってしまったということだ。
「味見する。キャラメルに赤唐辛子入れていたよな」
「食べる前に外すけどね」
そう言いながら、聖が由春の後頭部に手を回して摑まえて、唇に唇を重ねた。
「どう? 甘い?」
「ぴりっとした」
ワインのボトルを手にしていた伊久磨は目の前の光景に言葉を失って立ち尽くしてしまった。
視線に気づいた聖が、ちらっと悪戯っぽい視線を流してくる。
「蜷川も?」
「えっ」
何を。
(味見って現物食べるんじゃなくて? 口移し? んん!?)
由春は何気なく、自分もキャラメルのかかった輪切りパイナップルを一枚手にして口に運んでいる。口づけ一回では味がわからなかったのか、足りなかったのか。
「キスしましたよね」
間が抜けた確認をしてしまった。
答えたのは由春で、「こいついつもだぞ」と咀嚼の合間に言う。
「味見が? キスが? なんの味を見ているんですかそれ」
同時に、つい最近似たようなシチュエーションがあった、と香織と静香のことを思い出す。味見だったのか?
「死んだ妻をこうやって可愛がっていたから、つい。蜷川もして欲しくなったら遠慮せず言えよ。いくらでもしてやる」
おいで、というように両手を広げて微笑む聖。
(何を?)
爽やかすぎる聖の笑顔から視線を外して、由春に尋ねる。
「西條シェフ、酔ってます?」
「こいつ酔わないぞ。普段からこうだって。あ、機嫌悪いときは狂暴だから近寄らない方がいいが」
幸いと言うべきか、機嫌が悪いらしい場面は、初日に目撃している。グダグダの由春を前にして、いきなりバイオレンス壁ドンしていた。
(「幸い」要素は何もなかった)
「食べ物足りているか。休業に入るんだし、食材使い切った方がいいんだろ。俺が作るから由春は飲んでていい」
「そうだな……」
由春は白いエプロンを外しながら歩いてきて、伊久磨の横で足を止めた。
「あいつら喧嘩してねえ?」
「誰と誰がですか。あ、ゆきと香織?」
椿邸では見るも無残なことになっていたなと思い出しながら「俺がいたときは特に」と答える。
突然、由春に寄りかかられた。
うわっと言いながら抱き留めて、優しくしすぎたと後悔してすぐに投げ捨てた。
「そっちもだけど、幸尚と佐々木もな。昨日事務室で寝ているときに、幸尚とは話したが……。佐々木ともまた時間とらないと」
幸尚と心愛と言われると、伊久磨にも頷けるものがあった。表面上はぶつからないようにしている二人だが、決して仲が良いわけではない。職場なので、友だちになる必要はないが、最近では心愛が幸尚に気を遣っている素振りもある。
何か言われたら一度自分の中に取り込む伊久磨と違い、幸尚はすぐに言い返すせいもあるだろう。
(じゃんけんみたいだな。佐々木さんは俺には強いけど幸尚に弱い。幸尚は佐々木さんに強くて俺にも強い。……ん?)
じゃんけん不成立。
「俺とは時間とらないんですか?」
何気なく言うと、由春に目を瞬いて見返された。それから、顔を寄せてきたので何か言いたいのかと少しだけかがんで耳を寄せた。耳に唇を押し当てられた。
特にコメントは残さず、ホールへ歩いて行ってしまう。
硬直した伊久磨は、はっと気づいてからキッチンで立ち働いていた聖に向かって、声を張り上げてしまった。
「毒されてますけど!!」
「由春、真似っこだな。困った奴だ」
全然困った様子もなく、聖は声を上げて笑っていた。
* * *
「心愛ちゃん、妊娠しているよね」
シャンパングラスに注がれたスパークリングワインを飲みつつ、香織がそう口火を切った。
並んで座ってアップルタイザーをちびちびと飲んでいた心愛は「えーと、はい」と躊躇いがちに答える。
その答えにくそうな様子で、香織は事情を察したようだった。
「訳アリ?」
羊肉の串焼きに伸ばしていた手を引っ込めて、さらに尋ねる。
心愛は「ええと」と無理に笑っています、という笑みを浮かべた。
それらのやりとりを、まったく関知しないように串焼きを食べていた幸尚が、ちらりと目を向けて口を挟んだ。
「彼氏と別れた後にわかったって。別れた後だろうがなんだろうが、父親がはっきりしているならそいつにも責任あるだろうに、話し合っていないみたいで」
だっせえ、と聞こえる音量で付け足す。
その幸尚を見てから、心愛に視線を戻した香織は、軽く小首を傾げて言った。
「……それ本当? 不倫じゃないの?」
関知しないふりを貫こうとしていたらしい幸尚が、思わずのように動きを止めて香織を見た。
心愛は一切反応できないように、笑みを浮かべた表情のまま、固まっていた。凍り付いているようだった。
ややして「なんでですか」と乾ききった声で呟いた。
自分のグラスに手を伸ばしてから、飲む気にならなかったように、香織は何も掴まずにテーブルの上で手を軽く握りしめた。
「同じパターン見たことあるから。高校の時、クラスメートが教師と不倫して妊娠したんだ。親にバレたんだけど、相手が悪すぎて名前を出せないから『別れた彼氏との間の子にしたい』って彼氏役頼まれたんだよね。それで『生むならいいよ』って俺も言っちゃってさ。だけど最終的に、中絶同意書の父親欄に名前書かされそうになった。その子の父親なんか、最初『うちの娘を妊娠させたのはお前か』ってすげー騒いでいたくせに、本当に妊娠させた当の教師がなかなか認めなかったせいで『このままだと中絶できなくなる。サインしてくれないか』って俺に泣きついてきたんだ」
「香織さん……」
絞り出すように名を呼んだ心愛を前に、香織はもう一度グラスに手を伸ばして持ち上げ、今度は口をつける。唇を湿らす程度飲んだのか、ほとんどかさが変わらないままテーブルに戻した。そのまま、グラスを見つめて独り言のように呟いた。
「まだ間に合うなら、同意書、俺がサインしてもいいよ。俺そういうの大丈夫だから」
そういうの。
そこにどれほどの思いを込めているのか。
息を詰めて見つめる心愛と幸尚の前で、香織は心愛を横目で見て冷然として告げた。
「産んでどうするの?」
誰も何も言わない中、キッチンから、エプロンを外した由春が歩いてきた。
第13話「春遠からじ」はこれにて終了です。
毎回、連作短編の最終話にはあとがきを入れているのですが、ここ数回本編が緊迫しているので何書こうか、です。
感想欄のやりとりなどをご覧頂いたときに「何か前提がある」感想や返信もあるのですが、
これは内輪ネタというわけではなく、
いつもの更新予告活動報告の本文並びに、コメントくださった方との会話で作者自身が先の展開や設定に言及していることがあります。
(その方がインスピレーションに良いといいますか、作品を書く上で欠かせない過程になっています)
今回新規加入の聖さんに関しては「作者が高校時代に書いていた作品のヒーローを連れてきたい」と呟いていました。
そのこと自体はどうというわけではないんですが、自分が高校生のときに書いていたひとが、大人になったら何をしているか、昔書いていた話(原稿はもう存在しませんが)との整合性はどうか、考えながら書いていて「懐かしいな〜」と思いました。
彼は彼で事情がたくさんある人ですが、物語の中でこれから一緒に生きて行きたいと思います。
いつもブクマや評価ありがとうございます。
それにつけても、感想の勢い!!ブクマ越す!!(笑
広いなろう の中には「更新するたびに感想がすごい」という観測の仕方をされている作品もありますので、よし、ステラマリスもその路線でいこう!!!!
なんて思っていますが、私に出来ることは書くことと念じることなので、
さあ、初めての方も周り気にせず書き込んでください!
ありがとうございました(๑˃̵ᴗ˂̵)
まだまだ続きますよ!