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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
13 春遠からじ
87/405

優しい味

(あ、美味しい)

 さつま芋入りのきび粥。ひとさじすくって食べて、甘さがじわっと身体に沁みる。

 シェフとパティシエが引き続き使い物にならなかったので、まかないは聖が作った。


「悪夢みたいな店だ。やめるなら次の就職先探してやる。蜷川の動きは悪くないが、もったいない。独学には限界がある。研修は行っているのか。あ、二日酔いのゾンビに合わせて病人食みたいなので悪かったな。足りなかったら言えよ」

 粥の他には、蒸した鯛にねぎとピリ辛のしょうゆタレをかけたもの。箸をつけてみたが、味は抜群に良い。

 客席で向かい合って座り、矢継ぎ早に喋る聖に伊久磨はなんと返そうか考えながら、とりあえず食事の感想を伝えた。


「薬膳みたいですね。胃に優しそうだし、身体があたたまる」

「そうだ、よくわかったな。補益・助陽・散寒・解毒・清熱……あいつらボロボロすぎるだろ。あそこまで無茶な飲み方する奴じゃないと思うんだけどな」

 心愛は先に休憩をとって、キッチンでディナーのスタンバイに入っている。

 ボロボロの二人は事務室にまかないを運んでおいたので、今頃同じものを食べているはずだ。


「西條シェフは、どうしてこちらへ? この時期に旅行ですか」

 朝のスタンバイから、ランチタイムの動きを見ていても、かなりできる人間だということはわかった。普段の由春と比べてまったく見劣りがしない。

 初めてのキッチンで、火器の火力や器具の配置など、不慣れな状況であったことも考えれば、万全のパフォーマンスならば相当だろう。

 寝ていると言っていた幸尚まで、結局事務室との境目にもたれかかって見学していた。

(わかる。見飽きない)

 由春は動きのすべてに華があるが、聖はとにかく、淀みなく流れる水のようだ。

 静謐。

 それでいて、格別の存在感がある。

 侵し難く、遠い横顔。だが、話し始めると気負った様子のない普通の青年だ。


「写真展の準備があるんだ。知り合いの写真家が、北から南下してきて個展を開いている。全国何か所か回る予定で。俺も帰国したばかりで手が空いていたから、事務方みたいにスタッフに入っているんだけど、たまたまここには由春もいたから。長めに滞在の予定で」

(シェフが写真展のスタッフ?)

 よくわからない、という表情をしてしまったせいか、聖はさらに言い募った。

 

「まだ勤め先を定めていない。どこで働くかも決めていないんだ。東京か北海道かもね。ああ、俺、出身が北海道なんだ。札幌。しばらくふらふらするつもりだったんだけど、写真展のことがあったから由春に連絡したら、すぐに来いって。で、昨日になってまた突然電話がきて、長期滞在するならちょうどいい知り合いの家があるから、年末年始はそこでって。ホテルとっているから別にいいって言ったんだけど……」

 そこで話を区切ってから、聖は椅子の背もたれに背を預けて微笑みかけてきた。


「何かわけがあるみたいだ」

 長期滞在の、知り合いの家。年末年始。昨日。

 並べてみて、結論はひとつ。

「和菓子屋がどうとか、言ってませんでしたか」

「言ってた。広い日本家屋で旅館気分を味わえって」

 自分の家でもないくせに、また何を言っているのか。

 伊久磨は無言で粥をすくって口に運んだ。鯛も。もくもくと食べてから、顔を上げた。


「西條さんはそれで良いんですか」

 名を口にしてから、ふと記憶が刺激される。

 偶然、と思いつつも一瞬動きを止めてしまった。

 それは表情に何か出たとしても、本当に些細な変化だったはずなのに、聖には面白そうに微笑みかけられた。


「俺の義理の妹がここの大学の獣医学部にいた。その頃、ちょっと海の星でバイトさせてもらったらしいね」

「あ、そうなんですか。いまちょうど思い出したところだったんです。そんなに長い期間じゃないですけど、去年の冬くらいまで西條さんってバイトがいました。たしか、シェフの知り合いの伝手がどうこうって聞いていたんですけど」

(義理の妹……、義理の妹?)

 どういう意味だ。血縁じゃないと? という疑問をまたもや読まれてしまう。鋭い。


「死んだ妻の妹だ。俺は妻の苗字を名乗っているから」

 反応しそびれた。聖は両手を開いて、くすっと笑う。


「聞かれて困ることは何もない。妻は病死だ。俺が大学を卒業する頃だな。それで、地元に留まる理由もなくなって、海外に出た。何をするか決めていなかったときに由春に会って、巻き込まれて……。もともと料理はすごく好きだったけど、きちんと修行を始めてから年数は経っていない。向こうで運よく名前のあるレストランをいくつか経験できたから、日本に戻って困ることはないと思って帰って来たが」

 穏やかな、水の流れのような話し方をする。

(大学卒業してから修行をはじめて、日本でも名前の通っている海外のレストランを経験して……優秀だな)


 同じ頃に同じように家族を喪い、ぼんやりしてどこにも行けずに、なんとか就職をした自分とは出来が違い過ぎる。

 それにしても、大学卒業時点で結婚していたというのは少し早い気もするが。病死ということは、先が長くないのがわかっていて、決断したのだろうか。わずかの時間でも一緒にいる為に。

 しかもそれで相手の苗字を名乗るとは。

 死んだ後も確実に縛られる生き方だ。

 年齢の頃は伊久磨より少し上、由春と変わらないくらいに見える。死に行く女性に身を捧げるにはあまりにも若い。相手は本当に、そこまで望んでいたんだろうか。


 そうは思いつつも、生きる力強さが自分とは圧倒的に違うように感じて、少しだけ眩しい。


「さて、俺も夜の準備があるから。蜷川は休んでいていい。由春の馬鹿は動けるようになるのかな」

 言うだけ言うと、さっさと自分の食事を進めて席を立って行く。

 

 目の前から聖がいなくなった瞬間、どっと力が抜けた。

 気付かないうちに、ひどく緊張していたらしい。

(あの若さで、あの貫禄。経験か……) 

 有耶無耶になってしまったが、聖は言っていたのだ。

 独学には限界がある、どこか他の店に就職する気はないのか、と。


 限界……。


 冷め始めた粥を、急いでかきこんだ。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 西條シェフ…また凄い人が出てきましたね! それにしても、年若いのに、既に老成したこの大物感! ステラのキャラって本当に、各人が濃い。 亡くなった妻の苗字を名乗るって……。 なんか、私も死に…
[一言] 聖さんの設定が深過ぎる!!ww 流石元主人公!!w 聖さんの過去編もいつか読んでみたいですねえ!
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