椿邸にて、再び
二匹の猫がそれは仲睦まじくじゃれ合っていて、とてもじゃないけど邪魔できなかった。
(実際、俺より似合うだろあの二人)
* * *
「うっわぁ。違和感ありまくり。違和感しかねえ」
レストラン「海の星」メンズ三人組を自宅に迎え入れ、香織はひきつった笑みを浮かべた。
伊久磨はしばらく生活していたので、見慣れているし本人も勝手がわかっている。
違和感醸しまくりなのはパティシエの幸尚。そしてオーナーシェフの岩清水由春。
「どこの店も疲れ切っている年の瀬だからな。家飲みでいい。つーか、マジで古くてでかいんだな椿の家。こんなところに一人で住んでるのか」
がつっとごついブーツを三和土に脱いで歩き出した由春と幸尚の後から、「揃えましょうよ」と言いながら伊久磨が靴を揃えて自分もミドル丈のブーツを脱ぐ。
目が合わない。
(いいけど)
ここまで来たくせに、そこまで避けるのかよ、と言いたいけど言えない何かがどんどん胸の中に積もり積もっていく。
「部屋余ってるだろ、絶対。実際のところ何人くらい住めるんだ」
廊下を歩きながら、柱や壁をむやみに叩いたり触ったりする由春に「なにしてんの? 建築確認? 古いからそこそこ違法だと思うよ」と香織はやけになって言った。
「ケーキありますけど、すぐ食べます? 冷蔵庫に入れます? 冷蔵庫どこです?」
幸尚は勝手にどこかに行こうとしている。
「うち、冷え込みがすごいから、廊下がもう冷蔵庫と変わらないから。そのへんでいいって」
呼び止めても「あ、台所だ」と言いながら幸尚は道を外れていこうとしている。
「なんで? 生徒三人しかいないのに、引率の先生一人じゃ足りないこの感じ、なんなの?」
呆れたように言って、もさっと最後尾を歩いている伊久磨に視線を向けたが、すうっと目を逸らされる。
(ああ~~~~~~~~!! 面倒くさいっ!!)
知ってた。こうなることくらい予想はついていたし、何か問題があるなら可及的速やかに激痛を伴ってでも解決しろと由春が言い出すのもよくよくわかっていた。仕事に影響があるなら、余計に。
――伊久磨が二匹の猫の話しかしないんだが。椿の家には猫がいるのか。二匹。猫が。いるのか。
昼過ぎに由春からの電話にいやいや出たら、やけに低い声で確認された。
いないと言い切ったのに「身に覚えはあるんだろ?」とすかさず返され、誤魔化しても納得しないのはわかっていたからあっさりと認めた。「ありまくりですけど?」と。
――わかった。今晩行く。
そこで電話が切れた。
(なんだよお前はどこの暗殺者だよ! 伊久磨可愛さによくもそこまでやるよな!!)
「むしろ海の星に呼んでもらっても良かったんだけどね。三人でうちに来るより、俺が店行った方が早いし」
居間について、さっさと上着を脱いでいる三人を見ながら香織がぶつぶつ言うと、幸尚が「いえいえ」と片目を瞑って悪戯っぽく言った。
「佐々木さんが面倒なんですよ。仕事上がったあと、結構な頻度で忘れ物したとか言い訳して戻ってきますけど、あれ絶対家に帰りたくないだけですから。クリスマスの打ち上げ中止したくせに店で男だけで飲んでいたら、またドカーンって怒るでしょうね。面倒くせー」
ものすごく愛想の良い笑顔だったが、言っていることはひどくシビアだった。
「心愛ちゃんって、最近そういう感じなの? 昔はもうちょっとふわ~っとしてなかった?」
香織が尋ねると、すぐそばまで歩いてきていた由春が特に答えることもなく「台所借りるぞ」と言いながら居間を出て行こうとする。
「なにそれ、この時間から何か作ってくれる気?」
「なんでもいいぞ」
背中を追いかけると、結局伊久磨も幸尚もついてくる。「手洗わないと」とか「レンジありますよね。焼き鳥あっためます」と言い合いつつ、買い物してきたらしいビニール袋をがさがさと鳴らしながら。
「……は~。この家がこんな賑やかなことってないんだけど。お前ら本当にうるさい。店でも、いっつもそういう感じなのかね」
「そりゃ椿は、一人暮らしなら静かだろうなぁ」
由春の一言に、伊久磨が何もないところでがくんとつまずいた。
なんだよ、と思ってから、「ああ……」ととてつもない疲労感に襲われ、香織は目を閉ざしてがっくりと俯く。
(まさか「静か」と「静香」じゃないよね)
じゃないよねどころか、それしかないという確信なのだが。
目を向けても顔を逸らされるし。それはもう完璧に。
由春も幸尚も完全に気付いている。伊久磨の態度に隠すところがないのだから、当然だ。
「伊久磨と幸は先飲んでろ。椿、鍋どこだ」
由春がのんびりとした調子で言って、流しの下を漁り始める。本当に遠慮がねえ、と言いながら香織は「何作る用だよ」と声をかけて近づいた。
「じゃ、お言葉に甘えてオーナーだけ働かせておきましょう」
幸尚が明るく言って伊久磨を伴い、台所を出て行く。
しん。
一瞬にして場が静まり返った。
やがて、のそっと立ち上がった由春が香織を振り返る。
「正月はどうするんだ。いや、待て。その前に、椿の彼女はどうなったんだ。そこからだ」
「なんでそんなこと岩清水に聞かれるのかわかんないんだけど。俺のお父さんなの? お父さん役は湛さんひとりで間に合ってんだけど。というか父親と息子は彼女の話ってするものなの?」
「水沢の話はいい。世間はクリスマスというときに、お前は何をやらかしたんだ」
ガン無視かよ、と香織は笑みを浮かべてからにこやかに答えた。
「俺の彼女さんは、普段東京なのね。で、クリスマスの話も出るには出たけど無理して会っても仕方ないよねって結論になった。俺も伊久磨の方が気になっていたし」
じぃっと眼鏡の奥から鋭いまなざしで見つめられる。たまらず、「やめてよ」と香織は力なく笑って言った。
「……フローリストじゃないんだろ」
迷いながらも口にしたような、問い。確認。
「うん。違う。静香は昨日伊久磨の部屋で寝たみたい。付き合っているのはあそこの二人」
由春は腕を組んで、ついには流しに腰を預けるようにして眉をしかめた。
「それでなんで二匹の猫の話になるんだろうな」
本気でわかっていないのか、誘導しようとしているのか。
(わかってないってことはないよな)
「朝、伊久磨が出た後にさ。静香にキスしようとしたのを見られた。あいつ、焼き立てパン買って戻ってきて」
由春は眼鏡を軽く指で押し上げてから、溜息をついた。
「俺の見た限り、あのフローリストはうちの姉貴の系統に思えるんだが。見た目が良いから遊んでいるって思われがちだけど、頭の中身は仕事と生活でほぼ埋まってて、恋愛後回しっていうか」
「合ってる。俺が知らないだけかもしれないけど、今まで静香の彼氏の話は聞いたことがない」
視線を流してきた由春の目元が、微かに痙攣している。
「二股するタイプじゃないな」
「うん。たぶん今頃死にたくなっていると思う」
考えてみれば、パンを食べて出て行った静香の態度も不自然だった。明るすぎるような、何もかも諦めたような。何だったんだろうと考えて、今頃ようやくわかる。
伊久磨を見て気付いた。同じくらい、静香は目を合わせようとしていなかった。
少しの間無言になっていた由春だが、やがて「わかった」と低く呟いて、ひとり頷いた。
「俺は年末年始ドイツとイタリアでこっちにはいないけど、伊久磨は予定では椿邸だよな」
「口約束だけどね。あいつには帰省する実家もないし、俺はひとりだし。毎年のことだし。もう俺のことなんか気にしないで、岩清水と海外行けば良かったのに」
少しだけ伊久磨にも悩むそぶりはあったのだ。シェフに誘われている、と。それがいつの間にか「やっぱり行かない」と言い出して、年末年始は一緒に過ごす暗黙の了解が成り立っていた。
別に嫌じゃない。ただ、そういう関係が最近少し重い。
(静香と伊久磨が付き合っていて、あの夜を一緒に過ごすって先にわかっていたら。俺も次の日は仕事休みにしていたし東京に行ったかもしれない。年末年始、伊久磨が岩清水と海外に行くと決まっていたら、相手に「うちに来ませんか」と声をかけたかもしれない)
お互いの事情を知り尽くしているがために、拘束する気もないのに気を遣い合って、他の予定を後回しにしてしまう。二人とも。
そろそろ不健全という関係性に足を突っ込んでいるのは、自覚している。
「この家、部屋余っているんだよな。水沢も出て行ってるし」
唐突に、由春がそんなことを言い出した。
この男の思い付きは危険だぞ、と警戒しつつ「それが?」と聞き返す。
ポケットにおさめていたスマホを手にしながら、由春は香織にちらりと視線を向けて言った。
「俺の知り合いで宿無しがいるんだけど、しばらくここに住ませてくれ。年末年始に合わせてこっちに来るように言っておくから。お前ら二人だと気詰まりだろうし、ちょうどいい」
「宿無し? 宿無しってなに? 住所不定無職的な何か?」
え、なんでそんな話が突然出て来るの!? と喚く香織の前で、由春はスマホを操作してどこかに電話をかけてしまう。
相手が出たのか、由春はにやりとした笑みを口元に浮かべ、「Hello?」とスマホに向けて囁いた。
第12話「失恋ラプソディ」はこれにておしまいです。
……今回お仕事してないですね!? 次回はお仕事したいと思います!! あ、でも年末年始はお店休みなんですよね。仕事…….
人間関係って、良好だったはずなのにいきなりつまずいたり、労りあっていただけなのに、いつの間にか不健全になっていたり。
時間経過、状況の移り変わり、新しい人間関係。
些細な変化だと思っていたものが意外に大きかったり。
「変わらない気持ち」で、決して裏切らないつもりで相手を大切にしていただけなのに、状況が変わった中では悪手で負担ともなる……。
仲違いしたいわけじゃないけど、離れなければいけないのか、とか。順位なんかつけたくない「ずっと特別」だと思っていた相手を、新しく大切な人が出来た時に二番手にしなきゃいけないのか、とか。
相手や自分自身すら裏切るような後ろめたさと、どう折り合いをつければ良いのだろう。
家族ではなく、友人というには結びつきが濃すぎる伊久磨と香織(と、静香)は、距離感について考える時期なのかなと。
書きながらふと思いました。
いつもブクマや評価、感想ありがとうございます。本当にうれしいです。
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いまは資料でレストランに関する本を読んでいるんですが、さてこのご時世どのくらいここに書かれたお店が続けていられるのか……と、本を読んでからWEBで検索するのがしんどい昨今です。正直、できません。
この作品を読んだ方の中で少しでもレストランに興味を持ってくださったり、こういうところに行ってみたいなって思ってくださる方がいたら良いなと願いながら、ここのところガシガシ書いている気がします。
今すぐには難しくても、行きたい気持ちがどこか心の片隅に残ってくれたらなあ、と。
ということで、お仕事面ももっと書いていきたいですね!!(しんみりしてすみませんでした)