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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋@3.3「この人、私の婚約者ですから!」コミカライズ開始
11 いかなる天使が聞こうぞ

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スノーホワイト

 ホワイトクリスマス・イブ。


「湿って重たい雪。最悪だな」

 コースの料理が全部出たところで、デザートやアフターのドリンクに関しては「やっとけ」と言い置き、由春はロングのダウンをコックコートの上に羽織って外に出て行った。

 雪かきである。

 客が帰るときに、駐車場から車を出せないという事態にならぬよう、道を作りに出たのだ。

 雪はどんどん降り続けていたが、クリスマスデートの客が長居することもなく、閉店少し前に全員引き払ってくれたのは幸いであった。


「お先しまーす」

 片付けにめどがついたところで、時間給扱いの佐々木心愛(ここあ)が上がっていった。

 クリスマスシーズンは「お洒落なレストラン」の面目躍如らしく、連日「海の星」は大盛況である。スタッフ全員プライベートも休息もあったものではなかったが、25日をめどに忙しさにはケリがつくだろうということで、その日の夜にささやかに打ち上げをする予定であった。

 イブの24日はまだ戦闘中である。翌日に余力を残す為に仕事が終わったら早々と帰宅すべきというのは全員の共通認識だった。


 キッチンの裏口から由春が戻ったのをちらっと見ながら、伊久磨はホールに引き返し、エントランスに向かう。

 最後の客が出た後、由春が正面から戻るかと思ってドアを閉めていなかった。さすがに間違えて入ってくる客はいないだろうが、灯りを落として鍵はかけてしまった方がいい。

 そのつもりでドアまで行くと、外の灯りの中に人影が見えた。

(見間違いじゃない。誰かいる)

 忘れ物をした客が引き返してきたのかと、伊久磨は躊躇せずドアを開けて外に出た。

 そこにいたのは、見覚えのある若い女性。


「石沢様? どうなさいましたか」

 還暦祝いでケーキが燃えたときの女性客だ。その後、宣言通りに予約を入れようと電話をしてくれたのだが、候補日がすべて満席でランチもディナーも年内はすべてお断りとなっていた。

 その負い目もあり、顔を見たら妙にホッとして表情が緩んでしまった。

 女性は、はっと息を飲んで微笑んだ伊久磨を見上げた。ロングの黒髪にもつれるように雪が絡んでいる。グレーのコートにも雪が積もっていた。長い時間外にいたのかもしれない。


「あの……、蜷川さんにお会いしたくて」

「俺ですか。店にはいつもいますが、ご予約の件は申し訳ないことをしました。年明けでしたらまだ空きもあります。ご希望でしたらお日にち確認しますよ。曜日ですとかお時間は」

(これまではご両親と三人で、という家族での利用が多かったし、たぶん土日休みのお仕事だから金曜日か土曜日の夜のイメージだな。この間の問い合わせは一人でランチだったけど、土日は年明けもしばらく厳しいんだよな)

 さてどうしたものかと記憶を辿りつつ、返答を待つ。

 黒い手袋をした手をもじもじと揉み合わせながら、女性は伊久磨を見上げて勢いこんで言った。


「お店の外でお会いして頂けないでしょうか……っ!?」

「外?」

 いま、店の外だなと間抜けなことを考えてから、由春からの忠告をようやく思い出す。

(ええと、つまり?)

 咄嗟に言葉が出てこない。

 その伊久磨に対して、女性は一歩踏み出して、たたみかけるように言った。

「もし、いまお付き合いされている方がいなかったら、なんですけど。初めてお会いしたときから、背が高くて、声が優しくて。ずっと気になっていて」

 何か決定的なことを言おうとしている。

 その気配に打たれたように立ち尽くしたそのとき。


 降りしきる雪の中から、金色の髪をなびかせ、白いコートをまとったすらりとした人影が視界にいきなり飛び込んできた。


 * * *


「良かったー!! 閉店時間になっちゃったから、もう誰もいないかもと思って……」

 澄んだ声で明るく言いながら、一気に走って来る。

 伊久磨と女性が対峙しているぎりぎりのところまで来てから「あ、ごめんなさい。まだお客様が」と言いながら二、三歩後退していった。


 どうして。


 連絡のひとつもなかったのに、いきなり現れるのかと。

 驚きのまま、名を呼んでしまう。

「静香。どこから」

 それは、彼女が呼べと言っていた通りの呼び方。

 いかにも「素」の表情の伊久磨が彼女の名を呼んだのが、その場の空気を決定づけてしまった。


「あの……。すみません。失礼しましたっ」

 止める間もなく、女性が背を向けて走り出す。

「足元……!」

 そんなに急いだら危ないですよ、と思いながら声をかけたが、足はその場に縫い留められたように固定されていて、追いかけることはできなかった。おそらく、追いかける気が全然なかったのだ。


「ごめん。なんかあたしやらかした……?」

 状況を察したらしく、静香の顔が青ざめる。もともと白い肌は走ってきたのに血色は良くないし、唇もほとんど色を失っている。見るからに痛々しい。

 それでいて、濡れた金髪のまとわりつく精巧な造作をした美貌には、ひとをひきつける輝きがある。目が、相変わらず大きい。

「寒いですから、入ってください。話は中で」

「仕事中でしょ? あたしそのへんで待ってても」

 良いから、と言いかけていたが、伊久磨は手袋もしていない静香の手を掴んで強引に中に引きずり込んでドアを閉めた。

 指が氷のようだ。


「雪や氷の妖精じゃないんですからもう少し自分を大切に」

「妖精?」

 きょとんと大きく目を見開いて、見上げられる。

(一瞬、目を奪われた……)

 暗闇から、純白の雪が人型をとって現れたのだから。

 呼吸が止まって、心臓に痛みが走った。そのときの衝撃を思い出しつつ、伊久磨はやや冷淡に言い放った。


「人間じみてないんです。いきなり現れるし」

「それはなんというか、ごめん……」

 謝られた。そこから逆算して、自分の態度が怒りにも似ているのだと思い当たる。

(責めるつもりじゃないのに)

 深呼吸して、溜息に言葉をのせる。


「驚いただけです。東京から?」

「あ、うん」

 なんで、とか。

 会話が続かず、全然要領を得ない。わざとはぐらかされているような気すらする。齋勝静香、掴みにくい。


「俺は仕事が終わるまでまだ少しあるんですけど。今日はどういう予定なんですか」

「予定……なくて」

「ない?」

 いぶかしんだ態度がそのまま声に出てしまって、静香は申し訳なさそうに身体を縮こめた。

(べつに怒ってない)

 心の中で言い訳をする。どうも自分は、この目の前の生き物に辛くあたってしまう習性があるらしい。

 自己犠牲と同情で付き合ってもらっている立場のせいだろうか。


 静香は、俯きつつ「ええと」とものすごく言いにくそうに口の中で何か言っている。その様子を見下ろしていて、伊久磨は思わず言ってしまった。

「なんか同じようなシチュエーションがついさっきあったんですけど」

 考える前に口をついて出てしまったそのセリフに、気まずさが極致に達してしまったらしい静香が、愛想笑いのような苦しい笑みを浮かべた。


「うん。見た。……告白かな」

「『店の外で会って欲しい』と『もし今お付き合いしている方がいなかったら』を総合すると、そう考えても間違いではないかもしれません」

 由春に言われたときは何を言っているのかと思ったが、状況からするとその線で当たりのようだ。

 静香も異論はないようで、どこか引きつった笑みを浮かべて頷いた。

「それはそう思う。よくあるの?」

「よくはないです。というか、意味がわからない。こちらは仕事中で、それほど話したことがあるわけではないです。他のお客様と何か差をつけたわけでもない。それでどうして」


 神妙な顔で耳を傾けていた静香の固い笑みが不意にゆるんで、くすっと笑い声がもれた。


「静香?」

「ごめん。だけどいまのそのままそっくり伊久磨くんにもあてはまる。あたしに告白したとき、仕事以外ではまだ全然話したこともなかったじゃない。……ま、今もなんだけど」

 それはたしかに。

 あの事故のような告白の後、店にグリーンの搬入に来て顔を合わせているが、以降は特に連絡もとっていなかった。

 本当にろくに話したことがない。

 恋人同士なのに。


 血色が悪いままくすくす笑っている静香を前に、伊久磨は言葉を選びかねて立ち尽くす。

 しかし、そのままではいられないと考えて、「夜は食べましたか」と声をかけてみた。


「ううん。急いで新幹線飛び乗ってきたから。だけどお店はもう終わりだよね。伊久磨くんはこの後予定ある?」

「予定は……」

 打ち上げは翌日だから店からはすみやかに引き上げる。その後、約束がある。

 躊躇いながら、口にした。


「椿邸に向かうことになっています。香織が気にして」

 そっか、と大きな目を見開いて言ってから、静香は「あたしも」と言った。

 戸惑う伊久磨の目を見上げて、いま一度はっきりとした声で言い直す。


「あたしも行っていいかな」


 そのとき、不意に齋勝静香がいま目の前にいる理由がわかってしまった。

 誰かから。おそらく香織しかいないが、聞いたのだ。

 

 命日だと。

 その日が、伊久磨の家族が喪われた日なのだと。


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