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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
11 いかなる天使が聞こうぞ
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アクアヴィタエ

「よく燃えたなぁ」


 閉店後、クローズ業務を終え近所の焼き鳥居酒屋にて二人。

 ウィスキーをロックで飲んでいる由春がしみじみと言った。

 カウンター席で左隣に並んで座っていた伊久磨は、無言で肘打ちをした。「おい、こぼす」と抗議しながら由春はグラスに口を付ける。

 ざわめきの中、カランと氷が立てた涼しい音がいやに耳に響いた。


「燃えたなぁ、じゃないですよ。30本火をつけた時点で『あっ、だめだな』ってわかったはずじゃないですか。アホ」

 伊久磨は南部美人貴醸酒「Luciola(ルキオラ)」をガラスの徳利から猪口に手酌で注いで一息にあおる。

 由春はごく真面目くさった調子で言った。

「中途半端はよくない。どうせだめなら最後までやり遂げた方が」

 どうせケーキが燃えてしまうなら、30本よりは60本だと。

 馬耳東風と知りつつ、伊久磨は小言を繰り返した。


「良い話風にするな。この年の瀬にレストラン焼け出されたらどうするつもりだったんだよ。明日以降も予約ずーっと満席だからな」

 由春が、ちらりと伊久磨に視線を向けた。

「レストランが焼けることが問題というより、予約がこなせなくなるほうが問題みたいな言い草だ」

「同じだろ」

 何を今さら、と答えてから、言い足りず続ける。


「だいたい、予約席を用意できなくなったときの振り替えとか保証なんて考えるのも恐ろしい。全部のお客様に謝りの電話をして、別の日にずらして頂くことをご検討いただくしかない。だけど、誕生日や記念日関係はそういうわけにもいかないし。ああ、それにクリスマスディナー。うちは原則三か月前からしか予約は受け付けていないけど、『どうしても来年も』って去年のお客さんに拝み倒されて、謝り倒して、三か月前で封切りの瞬間からさんざんやりとりしてきた席で全部埋まっているし」

 ぶつぶつ言い出した伊久磨を、由春はやや呆れた顔で見て、ぼそりと言った。

「『火事で店がない』って言ったら、だいたい全部のお客様は許してくれるだろうよ」

 想像して、(それもそうだな)とは納得しつつも、「海の星」が焼け野原になってしまった光景は思い描いただけで胸にきた。仕事が出来ないのは辛い。


「どうしてもと言われたらランチだけはやりましょう。青空レストラン」

「寒いぞー。俺はいいけど。かまくらでも作るか」

 苦笑しながら、由春がグラスを傾けた。その拍子に、腕と腕がぶつかる。

 そのまま寄りかかられて、横目で見ながら、伊久磨は「珍しいですね、ウィスキー」と声をかけた。

「ワイルド・ターキー」

 銘柄を答えてから、由春はもう一口。そして、思い出したように言う。


「いまはまだ問い合わせを受けていないけど、いずれ低糖質メニューのオーダーも入るだろうな。都市部ではフレンチやイタリアンの有名店で糖質制限のコース料理を打ち出しているところもある。嗜好もあるけど、健康上の問題でどうしても外食が難しいひともいるだろうし」

「やってやれないことはない?」

「もちろん。パスタやパンを独自開発していたらさすがに手が回らないだろうが、そこは既製品もあるし。コースはカロリーは気にしないでたんぱく質や野菜に比重を置く。糖質が多い炭水化物と、デザートも果糖に気を付けて低糖質甘味料に切り替えれば……そこは幸尚にやらせるけど」

 言い終えて、グラスを傾ける。

 なんでこんな話になったんだっけ、と脈絡を追って、伊久磨は「ああ」と頷いた。


「なるほど。それで。お酒で低糖質といえば焼酎やウィスキー、ウォッカですね。ワインや日本酒は糖質高いですから、食事を低糖質におさえてもそちらで数値を上げてしまっては意味がなくなる。実際に低糖質メニューを組むなら俺もその辺強化しないと。美味しいですか? それ」

 何かのきっかけで低糖質について考えだして、酒もそういうセレクトになっているのかと。

 由春が飲んでいるグラスに目を向けて問うと「ん」と短く返事があった。それにつけても、一度寄りかかったら、寄りかかりっぱなしというのはどういうことだ。

 押し返そうかな、と考えながら猪口で日本酒をあおっているうちに、ふと溜息がもれた。


「仕事の話しかしていない気がする」

「お、気付いたか」

「いいですけどねべつに。他に岩清水さんと話したいことなんかないですし」

「冷てぇな。なんだそれ」

 ようやく居住まいを正した由春に、横目で軽く睨まれる。

 なんだそれと言われても、と見返して、視線が絡む。

 先に口を開いたのは、由春だった。


「今日の。石沢さんのお嬢さん。お前目当てだぞ」

 連絡先を聞かれたり、年内にすぐ次の予約をしたいと言っていた女性だ。多少はひっかかったが、だからというのは早計にすぎる気がする。

「またそういうことを。単にホールにいるから話す機会が多いだけです。俺なんかただの行きつけの店の店員ですし」

 蜷川さん、と言っていたからには名前と顔の判別はついているのだろうが、「目当て」は言い過ぎだと思う。

 しかし由春には呆れた顔で見られただけであった。


「ただでさえ、冬はクリスマス、年末年始、バレンタインとイベント続きだからな。その気がないならきちんと断れよ」

「そもそも俺をどうこうって……米屋さんじゃあるまいし。あそこだって、ご本人ではなくあくまで親御さんの希望なのであって」

 べつに俺モテないですよ、と言いかけて口をつぐむ。考えて、言い直した。


「岩清水さんはよほどモテるんですね。そういうの、敏感というか」

「お前が鈍感なだけだ。俺がモテるのは否定しないが」

「うわっ」

 煽るつもりで声を上げたら、手元が狂って手酌で注ごうとしていた日本酒をこぼした。アホ、と言いながら由春が横から布巾で拭いてくる。

 濡れた指先まで雑に(ぬぐ)われながら伊久磨は小さく溜息をついた。


「女の気配もない男がよく言う」

 モテるのは否定しない、とは。

「そういうお前はどうなんだ」

 さらりと返されたので、素知らぬふりをして「いますよ、彼女」とよっぽど答えてやろうかと思いながら、ぎりぎりのところで思いとどまった。


 ――俺はどうですか。俺と付き合いませんか

 

 友人である椿香織(つばきかおり)の昔馴染みで、フリーランスのフローリストである齋勝静香(さいかつしずか)に成り行きで申し出たら、付き合うことになった。

 つまり理論上、彼女はいる。

 ただ、静香は普段東京暮らしで近くにいないし、連絡も取り合ってはいない。クリスマスをどう過ごすつもりかも知らないし、年末年始に実家に帰省するのかも知らない。

 付き合い立てで別れ話は出ていないので、「順調」なのかもしれないが、おそらく詳細を言えば由春には死ぬほど馬鹿にされる。というかおそらく心配されるし、その場で電話をかけろくらい言われかねない。


「いますよ、彼女。仕事さんといいます。クリスマスには仕事さんがいてくれて助かりました」


 思いっきり擬人化して、煙に巻くつもりで小さく笑った。

 由春が妙な顔をして見返してきたが、気付かなかったことにした。



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