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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
11 いかなる天使が聞こうぞ
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燃えるケーキ

 やってやれないことは無いんじゃないか?

 その一言を、信じてしまった。



「お客様!! 危険ですので動かないでください!!」

 誰あろう、レストラン「海の星」のオーナーシェフ岩清水由春(いわしみずよしはる)と対峙する形で、ホール担当の蜷川伊久磨(にながわいくま)はテーブルに座したままの客を守るべくその前に立ちはだかる。

 危険物扱いされた由春は、一瞬「そりゃねえだろ」とでも言いたげな目で伊久磨を見てから、押して来たステンレス製のワゴンの横に立って「吹き消す動作だけでも……?」と言った。


「馬鹿!! アホ!! バケツ!!」

 余裕がなさすぎるあまり、単純明快な罵声を飛ばしてから、伊久磨はキッチンに向かって声を張り上げる。

「ゆき!! 消火器!!」

 だよねー、と薄笑いを浮かべたパティシエの真田幸尚(さなだゆきなお)が消火器を持って姿を現した。


「やっちゃいますよ?」

 軽い口調で最終確認。手は安全栓にかかっている。

 そうだな、と由春は重々しく頷いた。

 それら一連のやりとりすべてがじれったく、伊久磨は「俺が」と低く言い捨てて幸尚の元へ大股で歩み寄り、消火器を受け取る。

 横顔に何か言いたげな視線を感じて、噛みつきそうな勢いで由春を振り返った。


「信じた俺が馬鹿だった」

「この建物、火が付いたらよく燃えるだろうからな」

 遠まわしな表現であったが、消火器使用のGOである。


 お客様、退避しましょう、と幸尚が客に声をかける中、伊久磨は安全栓を抜いてホースを持ち上げ、消火器をステンレスワゴンに向ける。


 炎に包まれたケーキに向かって、白い噴霧を勢いよく吹きかけた。


 * * *


「本日は大変申し訳ありませんでした。またのお越しをお待ち申し上げております」

 丁寧に頭を下げた伊久磨の横で、由春は「これに懲りずに」と悪びれなく朗らかに言い添えた。

 本気で頭を押さえつけて謝らせようかと思った伊久磨であったが、エントランスに立った客グループ五人全員がにこにこと笑っていたので耐えた。


 還暦祝いの席。

 主役は女性で、その夫と、二十~三十代とみられる娘と息子。息子の嫁という構成。

 ケーキにローソク60本立てられますかね? という問い合わせを予約段階で受けて、「やってやれないことは無いんじゃないか?」と由春が安請け合いをしたせいで、「やってみた」結果ケーキは消し炭だし、「海の星」も焼失するところだった。

 軽い気持ちで無理を言ってすまなかった、コースの正規のデザートは食べられたから問題ない、いえいいえこちらこそ安易に「できるかも」と思ったあげくケーキを燃やしてすみませんでした、とお互い散々謝り合ったり慰め合った後である。


「ケーキって燃えるんですね」

 グループで一番若い、二十代後半と見られる黒髪ロングの女性が声をかけてくる。ご本人の娘さんだ。これまで家族での利用が何度かあったので、顔見知りではある。それゆえの気さくさだろうか。

 燃えたのは事実だし、もっといえば燃やしたのだが、伊久磨はにこやかな笑顔で答えた。


「ふつうは燃えませんし、燃やすものではないんですけどね。ご家庭では危険ですのでおやめください」

「そうですね。消火器常備していませんから」

 くすくす、と軽やかに笑われて、伊久磨も笑みを浮かべたまま頷いてみせる。

 そのままグループと合流して帰るかと思われたが、女性はまだ何か言い足り無さそうに伊久磨を見上げて、悪戯っぽく目を輝かせて言った。


「蜷川さんって、いつも落ち着いた印象だったので、新鮮でした。シェフのこと怒鳴ったりするんですね」

 死にたい。

 素直にわかりやすく心情を述べればそうなるのだが、さすがにそのまま言うわけにもいかず、笑みを深めた。

「お見苦しいところを。お祝いの席で大変失礼しました」

「ううん、いいんです。あれが一番面白かった。最高の思い出になりました。私、動画撮ってたんだけど」

(それ、SNSにアップするのはやめてほしい。切実に。心の底から)

 気持ちが通じたかどうかは定かではないが、顔に出たらしい。女性は噴き出しながら言った。


「ネットにあげたりはしないから安心してください。でも、もしよければお送りしますよ。蜷川さんの、アプリのID教えてもらってもいいですか」

 何を言われているのか、頭の中で整理して考えようとした。

 横から、由春が名刺サイズのショップカードを差し出した。


「ありがとうございます。面白そうだからスタッフ全員で見たいので、店のメアド宛に送ってください」

「あっ……」

 差し出されたカードを受け取りつつ、女性が一瞬戸惑った顔をする。

 由春はまったく気づかなかったような清々しさで「お手間でなければ。いつでもいいですので」と言い切る。そして、さっとドアに向けて歩き出した。

 すでにグループの先頭は外に出ている。由春は、閉まりかけていたドアに手を書けて開け放ち、振り返った。


「雪が降っていますよ。お足元お気をつけください。今年お目にかかるのはこれで最後になるかもしれませんね。少し早いですが、良いお年を」

 眼鏡の奥から、理知的な光を宿したまなざしを向けて、甘やかに微笑みかける。

 滅多に見せない愛想の良さだ。

(それで今日のマイナスを補ったつもりか)

 伊久磨としては納得いかないものを感じつつも、足並みを揃えることにする。

「表までお送りします。行きましょう」

 まだ何か言いたそうにしていた女性であったが、伊久磨に先を行くように促されて歩き出す。

 そのまま由春のおさえるドアの横を通り過ぎて、外に足を踏み出した。


 凛と冷えた夜気に、粉雪が舞っている。

 吐き出した息が白い。

(積もるかな)

 後に続きながら思わず空を見上げたとき、女性が振り返った。

 あまりの勢いに(忘れ物?)と首を傾げそうになった伊久磨だが、女性はその目の前まで引き返してきて、意を決したようにはっきりとした声で言った。


「年内にまた来ます。また明日予約電話しますね」

 そんなに一生懸命言うような内容かな、と不思議に思いながら伊久磨は穏やかに微笑みかけた。


「ありがとうございます。お待ちしています」


 ふと視線を感じて由春を見る。

 客から見えない角度で渋面を作ったあげく、声を出さずに唇の動きだけで何か言っていた。

 見間違えでなければそれは「アホ」だった。


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