溢れるほどの花を君に
皿が。
デザートは心愛と幸尚の合作。それはともかく、皿が。
今日はこれを使ってほしいと和嘉那に事前に持ち込まれたもの。
(今の会話、キッチンには伝わってない)
おそらく二人で最後の仕上げをしている。
湛が「桜がだめだ」という話、伊久磨も聞いたのは初めてだった。和嘉那にも言っていないということは、和嘉那も知らなかったはずだ。
一緒にホールに出ていた由春に「どうするんですか」と目で聞いた。腕を組んで難しい顔をした由春が、和嘉那の背後に立ち、耳元で「姉貴」と囁く。和嘉那は何も気にした様子もなく「デザート楽しみにしているね」と屈託なく笑って言った。
「岩清水さん」
二人でキッチンに下がりながら、伊久磨が由春に声をかける。
「GO出すしかねーだろ。本人が『行け』って言ってるんだ」
「だけど、水沢家の空気最悪ですよ。いきなり葬式みたいになってますけど」
「水沢らしくはなかった。祝いの席で死人の話を始めたらそりゃああいう空気にもなる」
「フォローする気1ミリもねーのかよ!」
思わず掴みかかりそうになったが、由春はスカッとかわしてキッチンの二人に目を向ける。
「できたか」
「ばっちりです」
「よし、行くぞ」
止められない。
――この間、お土産でもらったマカロンがすごく美味しくて。デザートはマカロンがいいな。でね、もしできたらでいいんだけど、お願いがあって。使って欲しいお皿があるの。
和嘉那から話が来たときは誰も知らなかったのだ。
マカロンの色としては珍しくない薄紅色。
桜色の。
発泡スチロールで円錐の土台を作り、全体にアイシングをぬって桜色のマカロンで作り上げたマカロンタワー。
桜の描かれた大皿の上に組み立て、「せーの」で心愛と幸尚でワゴンの上にのせた。それを幸尚が押していく。「そっとね」「大丈夫」と心愛と言い合っている。
「――」
感情がぐしゃりときていて、声が出ない。
伊久磨はホールから見えない位置で、由春の背後から肩に腕をのせて俯き、寄りかかってしまった。
振り返った由春の眼鏡がガツンと顔にぶつかる。近い位置で囁かれる。
「笑えてないぞ。口が」
「ちょっと無理」
(湛さんが泣いていた。怖い。また声が出なくなる)
香織と水沢の両親の折り合いが悪い理由は、もしかしたら。
名前を聞いただけであんな風に凍り付いてしまうのは。
似ているんじゃないだろうか。香織が。小さな息子を残して若くして死んだひとに。
嫌だ、誰も悪くない。だけどひとが死んでいて、消えない悲しみがある。その重みに潰されそうになって、あの水沢湛が泣いている。
どうしようもない確執。葛藤。思い合っているのに、馴れ合えない二人の歩んできた長い時間。
「無理なわけあるか。笑え」
身をかわして、伊久磨と向かい合って、由春が手を伸ばしてきて、伊久磨の頬に触れた。
「俺の店でそんな顔をするな。お前、自分で気付いていないだけでいつも笑っていた。自分で思っているよりずっと笑って、話している。ここでたくさんの客を迎えて、ひととひとを繋げて縁を結んできたんだ。水沢だって姉貴だって。お前が。いいか、ゆっくり喋ってみろ。大丈夫だ。声は出る」
どうして。
(岩清水さんに会ったときはもう、ほとんど普通に喋れていた。声が出なかったときのことは)
……香織が。湛が。
伝えていないはずがない。蜷川伊久磨という人間の不安定さ。脆さ。取り扱いにあたっての注意事項。
「――」
何を話せばいい? 声が出ない。
喉をおさえて、目で訴える。すがるように。
由春は目を逸らさぬまま、大きく頷いた。
「俺がいつも通り名前を呼ぶ。お前は返事をすればいい。ゆっくりでいい」
両肩に手を置かれる。深呼吸してから、由春が口を開く。
「伊久磨」
「はい」
思わずのように抱き寄せられた。強く。
ほら。
大丈夫だ。お前はそうやっていつも笑っているんだ。自分で思っているよりずっと。言葉以上にたくさん。お前がいることで助けられている奴だってたくさんいるんだ。
だから笑えよ。いつもみたいに。
――あの二人を壊さないでくれてありがとう。
* * *
「はじめて『海の星』から客注が入ったときのこと、よく覚えているの。まだ寒い春の夜に由春から電話があって、『どうしても皿を譲ってほしいって客がいる』って。電話を切った後に『やったー』って山奥の家でひとりで大騒ぎしたんだ。わたしの作ったお皿を、買いたいひとがこの世界のどこかにいるっていうのが、すごく嬉しくて。やってて良かったなぁとか、見つけて認めてくれるひとって本当にいるんだなぁとか……。その時から、ずっとそのひとのことが頭の中にあって。どんな人かなぁとか、何が好きなのかなぁとか。そのくせ、なかなか聞けなくて。今年の6月16日のあの日、予約があるって聞いて。直前まで迷って。ええい、行くしかないって、思い切ってお店に来て……」
テーブルの中央。装花の紫陽花の横に置かれた桜色のマカロンタワーを見ながら、和嘉那が言葉を紡ぐ。
「はじめて『和かな』指名で売れたの、桜のお皿だった。桜が好きなひとなんだろうなって思っていた」
和嘉那の正面に座った湛は、やや俯きながら、指で目に滲んだ涙を拭ってから、しっかりと頷いた。
伏せていた目を上げ、和嘉那を見つめて淡く微笑む。
「春は苦手だった。いつも周りを見ないように下を向いていた。……数年ぶりに見たんだ。桜を。不意打ちだったよ、料理を食べていたはずなのに、下を見たら桜が。『和かな』の桜は本当に綺麗だった。どんなに避けて生きようとしても、誤魔化せない。俺は本当に桜が好きなんだ。ひと一人死なせてさえ、どうしても」
湛をまっすぐに見つめていた和嘉那は、花がほころぶような笑みを浮かべた。
「ずっと『わたしの最初のお客様』の為に、桜のお皿を作りたいと思っていたの。今日は無理言って、季節でもないのに使ってもらっちゃった。せっかく作ったから。これからもたくさん作ります。あなたの為に」
湛は居住まいを正すように座り直して、頭を下げた。
「ありがとうございます」
顔を上げて、よく通る声で涼やかに告げた。
「あなたを妻に迎えることができて本当に良かった。自分のこれからの人生を、すごく愛せると思います。ずっと一緒に歩んで行きましょう」
陽だまりに溶かされた猫のように、相好を崩して和嘉那は頷いた。
「よろしくお願いします。なんかもう、すごく幸せです。毎日幸せ。ありがとうございます。末永く一緒に生きたいです」
* * *
春が苦手って言ってましたね。
婚姻届の証人欄に由春が名前を書き込むとき、狙い定めて耳元で言ったら睨まれた。
「季節の話だろ」
「それもそうですね」
笑って、伊久磨も名前を書き込む。
「ありがとう。二人にはきっかけを作ってもらったというか……」
捺印まで済ませた婚姻届を受け取って、湛はなぜか笑い出した。
「なんだよ」
「いや。由春、すごく字が上手いんだな。見かけによらない。伊久磨はふつう」
ふつうなら別に言う必要ないですよ、と言おうとしたけど、やめておいた。まだ喉の調子が良くない、と自分を納得させた。
クリアファイルに届を挟みながら、湛が目元に笑みを滲ませて言った。
「役所には次の大安に出してくるけど、夜に予約入れてもいいかな」
「結婚記念日ディナーですか」
入籍その日は結婚記念日っていうんだろうか、と考えつつ、伊久磨はエントランスのカウンターに向かった。営業中は電源を落とすことのないパソコンをのぞきこんで、時間などは仮押さえで予約を入力する。
追いかけてきた湛に「大丈夫です」と告げて、顔を上げた。
両家の両親たちが談笑する席から少し離れたところで。
食べきれなかった分のマカロンを、ケーキの箱に詰めて手渡そうとしていた心愛が、和嘉那に捕まっていた。
――もし嫌じゃなければ連絡先を交換しておこう。何かと情報交換することあるかもしれないし。
――あの。でも私、結婚とかしないんですたぶん。こういう席に顔を出すだけでも縁起が悪い女っていうか。
ごちゃごちゃ言っている心愛を和嘉那が説得していた。最終的に「予定日近いね」という会話になっていたようだ。
湛は、しずかにエントランスに置かれた大壺を見ていた。
赤い実をつけたナナカマドや、黄色の大振りの実をつけたフォックスフェイスとともに、うっすらと淡い蕾をつけた枝が活けられている。
「齋勝静香が来たんだろ」
伊久磨を振り返ることなく、低い声で言った。
「よくわかりましたね」
「うん。テーブル装花、青メインだけど、合わせている白い花に椿が使われていた。ぱっと見は薔薇みたいなのとか、椿っぽくない花。うちの親はべつに花に詳しくないから気付いていなかったと思うけど」
そこまで言って、肩越しに振り返る。瞳に悪戯っぽい光を宿して。
「俺が毎年春先に故障するせいで、香織はやたらに春の花に強いんだ。その代りというか、俺は『椿』にはかなり詳しい。実は香織よりもはるかに詳しい」
断言されて、伊久磨は神妙な表情で頷いてみせた。
(誰よりも「椿」を背負っている湛さんだから。ちなみに香織の得意は「花筏」ですよ。春先に、店で余ったのか俺の口に滅茶苦茶突っ込んできました。わりと迷惑でしたよ、あれ)
言葉には出さない。喉の調子は問題なさそうだが、これはおそらく言わぬが花。
「それにこれ……」
湛は再び壺に目を向ける。
まだ蕾だけの枝を見つめて、感嘆したように溜息をついた。
「その予約の日に来たら、きっと咲いている。全然時期が合わないのに、さすがのグリーンフィンガーだ。齋勝静香は昔から植物に強くて」
一瞬。
いつかの遠い日を見る湛のまなざしを追いかけているうちに、伊久磨の目にも見えた。
今はまだ蕾をつけただけのその木で花開く桜の、けぶるような薄紅を。
――あの二人を壊さないでくれてありがとう。
この場には居合わせなくても。
湛と和嘉那を祝福している香織の気持ちがあって、「わかる」ように伝えた静香の思いが生きている。
それをいま、湛は受け止めている。
「静香を呼ぶの、高かっただろうな。今、結構有名みたいなんだ」
世間話のようにふられて、伊久磨は受け取っていた名刺を思い浮かべる。
「名刺には携帯電話の番号くらいで、お店の名前とか何もなかったんですよね。この辺で活動しているわけじゃないのかなとは、思っていました」
休みの日でも店に行ってみようかと考えていたのに、あてがはずれた。今後はテーブル装花の予約もとっていこうと考えていたのに。
仕事の話をしたかったのだが。
「静香は、昔からとらえどころのないところがあったからなぁ。だけど、ウェディングやると言ったら、駆けつけてくれるんじゃないかな」
その名刺、大事にしておきなよ。
湛に言われて、「ウェディングですか。『海の星』で? 誰が」と尋ねてから。
口をつぐむ。
肩で風を切るように歩き出した湛の後ろについてホールに戻りながら、伊久磨はぎゃーぎゃー騒いでいる由春の腕を摑まえて、よく聞こえるようにはっきりと言った。
「来週のご予約と、まだ先ですが。ウェディングのご予約も頂戴しましたよ」
目をむいた由春を前に、覚悟してくださいね、と不敵に告げて。
声をあげて笑ってしまった。
実は少しずつ進めてきていたけれど、明日からはウェディング関係の勉強を強化しないとな、と。
心愛と幸尚が歓声をあげて「ウェディングケーキ作ってみたかった!!」と言い、「夏頃に香織もそういう予約を受けていたから、三人で」と伊久磨も言い添える。「スタッフ増やさないとな」と由春も言い出して、伊久磨は真顔になってその顔を見つめてしまった。
「シェフ、お願いします」
「一番働くのはお前だ」
なんだよそれ。言い返した伊久磨の手を取り、有無を言わせぬ勢いで握手してから、伊久磨にだけ聞こえる音量で、由春が呟く。
お前がいれば大丈夫なんだよ、全部。なんだってできる。
レストラン「海の星」はそれから間もなく、その日の営業も無事に終えた。
第10話「いつか桜の花咲く頃に」はこれにて終了です。お読みいただきありがとうございました!
この「ステラマリスが聞こえる」というお話。
前エピソードのあとがきで「なんか吹っ切れて書きはじめた」と抽象的なことを書いていたんですが、
第3話+ムーンライト派生をのんびり書いた頃とある方から
「ヒューマンドラマジャンルには、もっと面白い作品がある」と言われまして。
「あーっ!!好みじゃない人も振り返るような作品書きたいなーっ!!」とぷつッときた結果、レビュー受付停止+集中更新がはじまりました。
そういえば(きっかけとかすぐ忘れるひと)
レビュー受付停止は願掛けみたいなものです、作中の「海の星」が広告を打たずに口コミとリピーターでもっているお店なので、私も、と。
(感想をはじめ、Twitterやブログ、活動報告等で紹介して頂くのは大歓迎です!! レビューも口コミみたいなものなんですが(๑˃̵ᴗ˂̵))
集中更新に関しては、ちょうどその頃一般文芸に特化した「ステキブンゲイ」さんというサイトが良いなと思っていて、自分もどのくらい書けるかやってみたい気持ちがあり、そちらで先行公開の形で連載していました。
最高順位で総合2位となりました(7月17日までの更新にて)。ありがとうございます!!
「ステキブンゲイ」さんでは、文字数の関係で今回のエピソードをもって最終回としています。
もしかしたらこの本編にぶつからない形でまた連載という形をとるかもしれません。
「小説家になろう 」ではまだ続けたいと考えていますが、感想・ブクマ・応援ポイント等大変ありがたく受け取っております!!
いつもありがとうございます。
またのご来店スタッフ一同お待ち申し上げております。