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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
10 いつか桜の花咲く頃に
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 姉妹にしか見えない母娘というのは、先日のお顔合わせに続き二例目である。


「やったー。これからお母さんも『海の星』解禁かなー! 今度友達とランチで来ていい!?」

 なるほど岩清水和嘉那と由春の母、という美女に満面の笑みで詰め寄られた由春が。

「カーチャンはだめだ」

 などと焦った様子で口走ったことで、場が騒然とした。スタッフ全員で出迎えと称してエントランスに溜まっていたせいで、三人ともしっかりその会話を耳にしてしまった。


 由春が「今日はよろしくおねがいしまーす」とはしゃいでいる母娘をホールに追い立てる。花で飾りつけられたテーブルを目にしたらしく、ひと際大きな歓声が上がった。

 質問攻めにあいながら、逃げるように戻ってきたところで、心愛がぼそりと言ったのだ。


「『あの年頃の男性って、そもそも母親のことをなんて呼ぶのか問題』」


 あの年頃の男性、が自分のことと気付いた由春が「ああ!?」とは言ったが、幸尚に感心したように「カーチャンか」と頷きながら言われて、勢いを削がれたように視線を逸らす。

「まあ、おふくろとか言われても……『いつから』って感じよね。みんな最初はママパパ、おとーさんおかーさんなわけでしょ。ちなみになんて呼んでるの?」

 心愛に言われて、幸尚が早々にハンズアップした。


「オレ、しばらく呼んだことないですね。うちの母親、男つくって蒸発しちゃってるんで」

 え、と心愛が言ったところで伊久磨は「うちはもう死んでいるので呼ぶ機会ないです」と言い。

(どうするんだこの空気)

 と、一瞬不穏になったところで何を思ったか焦った心愛までが。

「うちなんかもう全然口きいてくれないから、お母さん、なんて言うこともなくなっちゃったかな」

 なかなかに厳しい家庭環境を明らかにしてしまった。

 三者三様の理由で曰く言い難い緊張を作り出してしまったあげく、心愛が由春に顔を向けて明るく言った。


「御両家で六人でお顔合わせできるって実はすごいことだと思うんです!!」

 そうだな、と伊久磨は深く納得したが、由春が吼えた。

「俺の顔合わせじゃねえぞ!! 姉貴だ姉貴!!」

「おめでとうございます!! 家族が増えるっていいですね!!」

 すかさず幸尚が呼応する。

「俺に増えるわけじゃねえ!!」

「義兄が増えるじゃないですか。いいなぁ」

 トドメのように言って、伊久磨は静香が活けた大壺の脇を通ってドアから出て行く。

 水沢家がまだ到着していない。


 ちょうどドアを出たとき、外観を眺めていた由春の父が向かってきた。

 和嘉那と由春は似ている。そして、二人とも母親に似ている。だが、由春は父親にも似ているのだとわかった。

 髪が黒くないのは家系だと言っていたが、父親からのようだ。茶色っぽい髪に、同色の髭。炯々として好奇心の強そうな瞳。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」

 伊久磨は道を開けながら丁寧に頭を下げる。


「いつもありがとう。今日はよろしく」

 歯切れの良い口調で言われる。

(いつも「息子を」ありがとう。今日は「家族を」よろしく)

 初対面で、息子の店の従業員にも自然とそういう言葉が出るひとなのだなと。 


「水沢さんはまだかな。駐車場に車がなかった」

「はい。性格上、遅れることはないと思いますが」

「じゃあ、ここで待つか」

 伊久磨の横に何気なく立つ。軽く足を開いて、両手を身体の前で重ね合わせて待機姿勢を取ってから、横目で伊久磨を見上げてきた。

「背が高い。由春よりずっと大きいだろ」

「そうでもないですよ。10センチ差くらいです」

「しかし、君と並ぶと」

「それは否定できませんね。シェフがお客様にご挨拶に出るときは、並ぶことも多いので。ちょっと悪いことしているかもしれません」

 やや崩した口調で伊久磨が軽口を叩くと、屈託ない笑い声が上がった。

 ちょうどそのとき、スーツを身に着けた湛が門をくぐって姿を見せた。

 伊久磨に視線を向けてから、由春父に気付いて深くお辞儀する。その後に、湛の両親が続いた。


 ――俺、水沢の家と折り合いがよくないんだ。俺からの差し入れだっていうと、あちらの御両親が緊張しちゃうから言っちゃだめだ


(香織に心情が寄っているから)

 湛の両親に厳しい目を向けそうになって、伊久磨は頭を下げた。心を落ち着けて顔を上げる。


「いらっしゃいませ。本日はおめでとうございます」


 * * *


 会食そのものは和やかに進んでいた。

 本人同士の同居に先立ち、両方の親にはよく挨拶が済んでいたようで、本当に結婚前の最終確認としての双方の両親対面の席、という様子だった。


 ――食事の後、婚姻届を書く。印鑑用意しておいて。


 湛にはそう言われていた。まさか、他に相応しいひとがいるはず、と伊久磨はもちろん辞退しようとしたが「断らないで」と言われて、断れなかった。


 水沢家の両親はさすが湛の家族というだけあって、折り目正しく品のある夫婦に見えた。天真爛漫な由春の母や、どことなく華やかな印象の由春の父に比べると地味な観は否めなかったが、良い意味で落ち着いていて感じが良い。

 料理の皿が進むたびに褒めそやし、残さずよく食べてくれる。

 湛も穏やかに微笑みを浮かべて相槌を打ちつつ、ときおりテーブル中央に飾られた花に目を向けると、そのまましずかに見つめていた。

 それは和嘉那も気付いていて、一緒に花を見つめて、時折湛と視線を絡めては笑み交わしている。


 この時期には難しかっただろうに、中央に飾った青系の花の中には紫陽花が使われていた。すぐに用意できたとは思わないので、香織がだいぶ前から静香に相談していたのだろう。

 秋も深まった時期に、青系でまとめると聞いたときは寒そうなイメージで少し気になっていたが、出来上がりを見たらそんな心配は杞憂に終わった。


「今日のお花、すごく綺麗。高かったでしょ?」

 皿を目の前に置いたときに、和嘉那にこそっと話しかけられた。

(香織からです)

 本当は、こういうときにさらっと言えたら良かったのだけど、言えずに。

 伊久磨はにこりと微笑みかけて身を引いた。

 その心の声が聞こえるわけもないのに、会話が絶えた一瞬をつき、湛が言った。


「これ、香織から?」


 岩清水家には取り立てて変化はなかった。だが。

 水沢家の両親の顔が凍り付いた。

 その目覚ましい変化を前に、伊久磨も息を飲んで、誤魔化すタイミングを逸した。

 絶句したことで確信を得たらしい湛が、口元に笑みを刻んで伊久磨を見上げる。


 悲しいほどに、優しい笑顔。


 なぜ。

 悲しいと思ってしまったのだろう、笑っているのに。


「実は和嘉那さんにもまだ話していなかったんですけど。僕、子どもの頃死にかけたことがあって」


 静まり返った場で、少しだけ余所行きの「僕」という一人称で湛が話し始めた。隅に座った湛の母親が、中央に座った湛の父親の腕を掴む。やめさせて、と声なき悲鳴を上げたように見えた。

 誰も止めなかった。


「和菓子職人なんですけど、僕は桜の菓子が苦手で、今でも作れません。その……、子どもの頃、桜を見上げていて、川に落ちたことがあります。ものすごく綺麗だったんです。散る花が川に降りそそいでいて、水面が花びらに埋め尽くされていて。『花筏』というんですけど。花びらは筏にはなり得ないので、落ちて来た子どもを受け止めることはありません……。本当は僕はあのとき、死ぬはずだったんです」

 青みを帯びるほどに澄んだ瞳に、癒えぬ傷を浮かび上がらせて、湛はゆっくりと話す。

 まるで罪の告白のように。


「助けてくれたひとがいました。若い男のひとでした。通りがかりの、僕とはなんの縁もゆかりもないひとです。川に飛び込んで、僕を助けだしてくれました。春先の、とても冷たい川に……」

 湛の母が崩れ落ちるように顔をおさえて項垂れてしまった。嗚咽が聞こえる。


 ――ああ、助けられて良かった。僕にも小さな息子がいるんです。本当に良かった。


「溺れたわけではないんです。だけど、もともと身体が弱かったというそのひとは、その後、肺炎をこじらせて亡くなりました。小さな息子を残して。僕は本当に取返しがつかないことをしました」


 当たり前のように。

 椿の当主である香織を守って支えている。

 優しいのに刺があって、どうしても素直になれず、近づくことがない二人の関係。


「椿の先代は、僕のことを決して責めませんでした。身体が弱かったから、長生きはしないと思っていた、と。だけど僕はどうして良いかわからず、中学を卒業したときに椿の家に住みこみさせてもらい、職人として弟子入りさせて頂きました。あの、周りにものすごく怒られて、高校には通いましたが」

 大学には行っていないが、以前聞いた高校名は県下一の進学校だった。

 親としては思うところがある決断だったに違いない。

 和菓子職人以外にもなれた。だけどあまりにも早く彼は道を決めてしまった。人ひとり死なせてしまったという後悔を胸に。


 ――昔はさ……。いつ水沢湛を殺すのかってくらい仲悪かったよ。憎まれているのがわかっているくせに、あの男も全然言い訳しないっていうか。


(香織もわかっていたはずです。湛さんは悪くない。それは誰も悪くない。だから、先代だって湛さんを責めなかったんです。それなのに、椿の家に入った湛さんにかえって申し訳ないような思いと……)

 感謝を。


 香織を黙って守ると決めた湛と。

 本当はそんな湛の真心を知っている香織。


 二人の絆を知るグリーンフィンガーの静香が紡ぎあげた花のテーブルは、言葉に拠らない優しさに溢れていて。


 瞳に涙を浮かべ、眉間を指でおさえてしまった湛を、その向かいに座った和嘉那が包み込むように穏やかな表情で見つめていた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 湛さああああああああああん!!!!!!!!!(号泣) ……湛さん(落涙)。
[良い点] いやあぁぁ〜……。 こんな展開だなんて…!! ラスト回まで見守るつもりでいましたが、思わず書かずにいられません! 涙腺大崩壊。 なんでこんな深いストーリーを考えられるんですか? まひさん、…
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