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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
10 いつか桜の花咲く頃に
58/405

Thanks.

「お花の業者のひとみたいです。関係性としては友達かな。湛さんと和嘉那(わかな)さんのお席にお花の差し入れをするために下見ということで」

 花束を岩清水由春(いわしみずよしはる)の胸に押し付けて、伊久磨は目をまっすぐ見て続けた。

「男。友達」


「解散!!」


 由春の号令で、ホールを窺っていた幸尚と由春がキッチンの持ち場へと引き上げていく。花束は持て余したらしく、事務室に置きに行っていた。

「暇な店みたいなことやめてください」

 その背に向かって釘を刺した伊久磨の横で、心愛が「ファーストドリンクは?」と声をかけてくる。


「おまかせ。香織はノンアルコール。ブラッドオレンジのジュースを炭酸で割ってミモザ風かな。そういうカクテルっぽいの好きなんですよね。お連れ様は日本酒……、南部美人のスーパーフローズンをリーデルのグラスでいきます」

「最近、蜷川くん日本酒もワイングラス使うよね」

「足つきのグラスを使うと、温度が変わりにくいので。冷たく飲みたい日本酒には良いですよ。香りもふわっと広がりますし」

 感心したようなまなざしで見られて、伊久磨は笑みをこぼした。


「ここの店、江戸切子の猪口なんかもありますけど、扱いに気を遣います。ワイングラスならまとめて洗浄機で洗えますし。片付けも楽なんです」

 勉強しているね、という雰囲気がこそばゆくて効率も考えてですよと言うと、香織のドリンクを任せて手分けをして準備する。

 二人分揃ったところで「佐々木さんがいきます?」と声をかけた。心愛がぱっと表情を明るくする。


「香織さん久しぶりだから、挨拶したかったんだ。行ってくるね」

 ホールに送り出してから、他の席の進行状況をオーダーシートで確認してステンレス台越しに由春に声をかける。

「フローリストの齋勝さん。ウェディング関係も手掛けているひとで、今度のお顔合わせの席に、テーブル装花をと。香織から差し入れで予算三万円で考えているそうです」

 由春の手元を見ながら言う。プレートの上でセルクルを抜くところだった。滑らかなマッシュポテトとサーモンが丸く綺麗に盛り付けられている。

 由春が顔を上げた。


「椿らしくないな」

 思いがけないほど真摯なまなざしで、伊久磨は真意を探るように眼鏡の奥の瞳を見つめてしまう。

 そして、躊躇いながら言った。


「たしかに。『海の星(うち)』は普段、記念日などのお客様に花束手配の依頼を受けたとき『あずみ』を使っています。すでに提携している業者がいるのに、事前に断りなく自分の懇意の業者を入れてくるのはちょっと強引かなとは思いました」

 違和感。

 二人の前では言えなかったが、少々気になってはいた。静香に技術があって、お願いしたいというのは何も構わない。ただ、事前に一言もなかったのが、らしくはない気がしていた。

(断ったりしないのに)

 しかも、香織からと湛に伝えないで欲しい、とは。

 自分の見えないところで何かが起きているのかもしれない。


 ――俺、水沢の家と折り合いがよくないんだ。俺からの差し入れだっていうと、あちらの御両親が緊張しちゃうから言っちゃだめだ


(たぶんその問題は根深くて、今突然起きたわけじゃない。知らないだけでずっと前からあったんだ)

 香織と湛と一緒に暮らしていた期間がある自分でさえ、気付かなかった何か。

 知っているのは、二人が素直じゃないこと。

 香織にとって湛は大恩人であるのは間違いない。そのくせ「苦手」という態度を崩さない。

 一方の湛はといえば、自分のすることすべてにおいて香織に恩を着せることなく、それでいて常に当たり前のように守っている。

 不思議と言えば不思議で、だけど踏み込めない。

 二人の間にあるのは優しさのはずなのに、刺がある。それ以上近づけばどちらも傷つく。だからこその距離だというように。


 * * *


「あ、いいねこれ。イメージぴったり。思いっきり活けよう、一週間はもつから明日以降も使って」

 お顔合わせ予約当日。

 早めにランチタイムを終えたところで、静香がたくさんの木の枝を新聞紙に包んで持って現れた。


 テーブルだけではなく、大き目の壺でもあれば派手なのも活けると言われて、めぼしいものを倉庫で見つけた旨は先に電話で伝えていた。信楽焼のような土っぽい見た目で、伊久磨の腰までの高さの壺。

 静香は大振りな、ほとんど木そのもののような枝を抱えてきたので、ちょうど良さそうに見えた。


「手伝いますか」

 荷物がたくさんありそうなので、と声をかけると、そっけなく断られる。

「いや、いい。自分で運ぶ。伊久磨くんは休憩じゃないの?」

(……? 気のせいじゃない)

 二、三言、言葉を交わしたところで得も言われぬ不安に襲われる。より正しく言えば「落ち着かなさ」だ。実は、先に電話をしたときからずっと続いている。

 おそらく、変な顔をしてしまった。それを静香にばっちり見られてしまって、笑われた。


「あの日、風邪で声がおかしくなっていて。騙せそうだから騙してみたら、騙されていたよね」

 言われた内容を頭の中でさらって、(だよな)と結論を出す。

 面と向かい合った状態で、伊久磨は片眉をしかめて軽く抗議した。


「騙す意味が」

 もともと声が低いのだろうが、静香の艶めいた美声にははっきりと女性的な響きがあった。

 少し引いて全身を見ても、ほっそりとして背が高く、少し華奢だなとは思うが男性と言えば男性に見えなくもない。ただし、はじめから女性だと言われれば素直に信じたはずだ。

 大きすぎる目がキラキラしていて、星空みたいで、まっすぐ見るのは気後れするが。


「名刺も渡したんだけど。全然疑ってもいないのが面白くて」

 面白がられても、という言葉は飲み込んで、一拍置いて尋ねる。

「ええと……、喉悪くしているときに、お酒は大丈夫でしたか」

 今さら、と思いつつ間が抜けたことを聞いてしまった。調子を狂わされている。

 

「『南部美人』ってのが良かった。美人だと思ってた?」

 静香に、にやりと笑われた。なぜか、妙に疲れた。

「いちいちそんな意味は持たせてないですよ。ましてやカップルの……」

 カップルの女性側に店員がモーションかけてどうする、と言いそうになって口をつぐむ。

 何を考えたかは正確に伝わってしまって、噴き出された。

「香織とは、正真正銘友達だから。それなんだよ、『絶対デートだと思われる』て言われたから、男のふりしてみようか? って。実際、香織に彼女ができてしまうと、ただの友達だって言っても、男女って難しいよね。ま、あそこもまだ彼女かどうか微妙みたいだけど……」

 早口に言ってから、突然がばっと両手を広げて「わかった!?」と言って来た。


「何をですか」

「こういう言い訳!! 仕事の話しに来てるのに、言い訳しなきゃいけないのが面倒で!! 男だと思っているなら男だと思わせておけ、みたいな」

 実際、男じゃない。

 ただし、香織の本当の彼女がどんなひとかは知らないが、静香のような女性とディナーしているというのはあまり面白くないかもしれない。それはわかる。

 香織は自然に相手を気遣うところがあり、それは男女問わずで伊久磨相手に対してもなのだが、「雰囲気がある」「さまになる」というやつで、場合によっては言い訳が必要な類だ。


「香織の交友関係、あまり気にしたことがなくて。地元なんだから、昔馴染みもいますよね」

 やましいところはないとしても、何かと気を遣いますよねという意味でフォローしてみる。

 静香はうんうん、と深く頷きながら言った。

「そうだよ! お互い四十歳まで独身だったら結婚しよって言っていたけど、べつに好きとかじゃないんだよなぁ。邪魔じゃない感じ。ただ、やっぱり合わない気がするんだよね。苦手じゃないけどなんていうかな……。伊久磨くんは一緒に暮らしてみてどうだった?」

 伊久磨は思わずまじまじと静香を見下ろしてしまった。

(全方位ツッコミどころしかないというか。結婚を約束した異性の友達ってありなのか)

 これ、香織の彼女は本当に大丈夫なのか、という気がする。


「そんなことより、仕事したらどうかなって思うんですよね。仕事しに来たんじゃないですか」

 本音が出てしまった。

 部外者なので遠慮していたが、そもそも社交辞令以上に世間話が続くのは好ましくない。

 ほら、仕事ですよ仕事、と視線でテーブルを示すと、「その通りだ」と静香に力強く認められた。なんとなく上からだな、と思いつつやり過ごした。


(……変なひとだよな?)

 掴みどころがない。中学から香織と友達というと、もう十五年とかそういう付き合いだろうが、こんな調子で適当につるんで、適当に結婚の約束までしていたのだろうか。


「中学のときの香織ってどんな感じだったんですか」

 私語禁止みたいなことを言った後だというのに、思わずぽろりと言ってしまった。

 花切狭を手に、ちらりと視線を向けてきた静香の目は抉るほどに鋭く、冷ややかだった。


「仕事する気になったのに、すみません」

 いまのは自分が悪かったと素直に謝る。

 静香は「いや」と短く答えてから、小さく溜息をついて、ごめん、と言った。


「昔はさ……。いつ水沢湛を殺すのかってくらい仲悪かったよ。憎まれているのがわかっているくせに、あの男も全然言い訳しないっていうか。水沢湛って中学卒業してから椿の家に住みこみしているんだけどすごい心が強いなって思った。居場所なんかなかっただろうに。だけど、優秀なんだよね。そのうち、みんながあの男を認めるようになっちゃったから、香織の居場所がなくなって。それは香織の思い込みなんだけど……。家に帰りたくない香織にずいぶん付き合ったよ。あげく、迎えに来た水沢湛と香織、ひどい喧嘩はじめて。よく仲裁したなぁ、あたしが」

 言葉もなく。

 絶句して立ち尽くした伊久磨を見上げて、静香は明るく笑った。


「そんな二人がまた一緒に暮らしてうまくいくのかと思ったけど、間に一人いたからなんとかなっていたってね。だけど、君があの家を出た後も、二人でしばらく暮らせていたのはすごいと思った。時の流れっていうのかな。人間まるくなるものだ」

(香織が湛さんを煙たがっているのも。湛さんが香織を大切にしているのも)

 わかってはいた。だけどその因縁がどこから始まっているか、聞いたことはなかった。


「他人に……興味を持つのが苦手なんです。話してくれるなら聞くけど。詮索というか……。自分から聞くことができなくて。今は職業柄、一度聞いたお客様のことは忘れないようにしていて。食べ物の苦手や、記念日の思い出なんか、こちらから聞くこともありますし……何言ってるんだ俺」

 何を言っていいかわからなかったせいで、意味のないことを口走ってしまった。

 静香は唇に笑みをとどめたまま、伊久磨の心臓の上を握りしめた拳でこつんと叩いた。


「それでいいよ。それが良かったんだよ。あの二人を壊さないでくれてありがとう。あたしも、お祝いに参加させてくれてありがとう。きちんと『わかる』お花にするから。任せて」

 


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― 新着の感想 ―
[一言] そ、そういうことかあああああ!!!!!! や、やられたああああああああ!!!!!!
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