ひそやかに芽吹く
ひとりでテーブル席に座った奏はスマホを取り出して、ぼーっと見始めた。
カウンター席で奏に背を向ける形になった香織は、目を伏せるようにしてアイスコーヒーのストローに唇をつける。
べつに奏のことなんか気にしていない、横顔にははっきりとそう書かれていた。その文字列を読み取った伊久磨は、いつの間にか自分が息を止めていたことに気づいてゆっくりと吐き出す。
(……かなり気にしているよな?)
香織は、奏の存在に対して明らかに緊張していた。十歳以上年下の従業員に対しての態度としては、どう考えても不自然である。
なんと声をかけるべきか迷っているところで、奏が「んむ~」と唸りスマホから顔を上げた。
「社長!」
げふ、と香織がむせた。かろうじてアイスコーヒーを噴き出すことはなかったものの、渋い顔をして奏を振り返る。
「社外で肩書きで呼ぶなよ」
「は? じゃあなんて呼べばいいんですか? あ、いえ、べつに私はどうでもいいんで、真面目に答えてくれなくていいです。話が進まなくなるので」
香織に何か言わせる隙も与えず、奏はさっさと話を切り上げてしまった。
従業員の態度としては何もかもまずいように感じるのだが、なまじ他社の案件だけに伊久磨としては横から口出ししづらいものがある。
奏は立ち上がり、スマホを持ったままカウンター席まで近寄ってきた。
「社長、今日お客さんから聞かれたんですけど、原材料になんか変なものが入っているって。あれなんなんですか」
「そんな漠然とした質問で、俺が何か答えられるわけないだろ」
「調べようとしているけど、思い出せなくて。なんだったかなー。言われて私も思ったんですけど、椿屋の商品に貼ってある原材料とかのシール、見ると結構いろいろ変なもの入ってるんですよね」
「入ってねえよ。だから、なんの話をしているんだ」
「何って、それが思い出せないんですってば。社長こそ商品のことは全部わかっているんだから、さくっと思い出してくださいよ。まさかわからないんですか?」
あまりの無茶振りに、伊久磨は呆気にとられるを通り越して思わずくくっと笑ってしまう。ちらっと視線をくれた香織が、すかさず言った。
「恐れ入ったか、伊久磨。これがいまどきの若いもんだよ。『海の星』にやろうか?」
「勉強になります。さすが『椿屋』さんです」
姿勢を正して椿屋を持ち上げつつ拒絶した伊久磨に、香織はふん、とそっぽを向く。話のダシにされた奏は奏で、何も気にした様子はなく「なんかカタカナの……」とぶつぶつ言っていた。
片目を細めた香織が、ああ、と頷く。
「トレハロースか?」
「あ、それですそれです。さすが社長、やればできるじゃないですか」
「本当に柳はうるせえな。なんでいちいち一言多いんだよ。西條かよ」
スマホで調べながら、奏は香織からの皮肉は無視して一方的に喋り始めた。
「お客さん、おばあちゃんだったんですけど『この店は昔からの店構えなのに、原材料はスーパーの量産品よね。私は天然素材で体に良いもの食べたかったのにがっかりだわ』って言われて」
あのなぁ、と香織が顔をしかめた。
「天然素材が良いって言うなら、漆で手を洗って長芋で洗顔してろよってやつだ。天然が肌に良いだなんて嘘だってすぐわかる。それにトレハロースは食品添加物だけどデンプン由来で、変な合成品というわけでもない。必要だと判断して使ってる。それ、調べて出てきたか?」
香織の問いかけに、奏が検索した画面を見せるべくスマホを差し出す。覗き込んでから顔を上げた香織が「まあ、だいたいこの通りだけど」と前置きをして言った。
「会社に戻れば資料がある。明日一通り、揃えておく。お客様の質問にまともに答えられない店員を、店に立たせておくわけにはいかない」
「明日ですか。明日になったら私が忘れてそうです」
「覚えておけよ。俺は覚えてるから、今日の柳さんとの会話。明日、出社したらまずは資料に目を通すように」
あー、と間抜けな声を上げつつ奏が香織の目を見た。
「今からじゃだめですか? まだ遅い時間じゃないし。明日早めに出社するより、私はその方が良いです。タイムカード押す前に勉強しているところ他のパートさんに見られて『あら一生懸命ね』とか言われたくないので」
「なんなんだ、その変な意地は……」
見られたから見つめ返したとばかりに、香織は奏と数秒見つめ合う。折れたように「わかった」と返事をした。
「時間外の扱いにはなるけど、俺も仕事上がってきたところだから、今日のほうが都合が良い。工場もいまはひとがいないから、実物をみせるよ」
二人の会話を聞いていた樒が、奏のオーダーのアイスコーヒーを持ち帰りの紙カップに注いでふたをしていた。
「店内で飲んでもいいけど、焦って一気に飲むくらいなら持っていってもいいよ」
「わー! さすがです! ありがとうございます、助かります!」
ぱっと、奏の表情が明るいものになる。樒もまた「いえいえ」とにこやかに応じた。
二人の気安い空気に、どことなく納得のいかない顔のまま、香織は残っていたプリンを一口で食べてアイスコーヒーを飲み干す。レジ前に立った樒に支払いを済ませてから、伊久磨を振り返った。
「なんか話あったんだっけ」
「ん。だいたい終わったからいい」
実際のところ、もうこれ以上言うことはないなと伊久磨の中で一応の整理がついたところだった。香織も引っかかった様子もなく「そっか」と呟く。
「まあ、結婚しても『椿屋』がお前の実家なのは変わらないから、遠慮なく顔出せよ。樒さん、ごちそうさま。プリン硬かったけど、失敗じゃなくてあれは狙い通りなのかな。岩かと思った」
「歯を甘やかすな。顎を鍛えろ」
「プリンでやろうとするなよ。煎餅かよ」
軽口を叩きあってから、香織は財布を取り出していた奏を振り返る。樒が、香織よりも先に笑顔で言った。
「もうもらってるよ、君のところの社長から」
「えっ……そういうのいいですよべつに! 給料出ているので! 働いているので! 社長、勝手なことしないでください」
奏の訴えに、香織はしれっとして「個別会計は店側に面倒かけるだけだろ」と言い返す。
「個別会計って、私は社長のお連れ様ではありませんが?」
「これだけ店内で一緒にぎゃあぎゃあ騒いでいたらお連れ様だよ。いいから、行くぞ。時間の無駄だ。ぐずぐずしていると夕飯の時間になる」
「うち親いないから、夕飯の時間とかないです。ひとりで適当なので」
「あ、そうだったな……」
話しながら「じゃあ、またな」と伊久磨と樒に軽く手をあげて、香織は奏と連れ立って出て行った。
ほとんど口を挟むことなく見送ってから、伊久磨はアイスコーヒーを飲む。
「……あのまま『どうせひとりなら、飯も食ってくか?』とか言いそう。香織、なんだかんだで面倒見が良い上に、ひとりメシ苦手だから」
「言いそうだよねえ。若人のこと、めちゃくちゃ可愛がってるから。ああいうの、世間では溺愛って言うんだよね」
溺愛……と口の中で呟いてみて、伊久磨は首を傾げる。
「ツン……デレ? いややっぱ溺愛かな、ツンない。溺愛ですね、はい。は~……香織あれ、無自覚ですよ。自分ではたぶん全然気づいてない。『当たり前のことをしているだけ』のつもりでいる」
「うん。俺もそう思う。本人の感覚では『仕事をしているだけ』なんだよ。柳さんもたぶんそう。だからまあ、外野は黙って観戦」
「そうなりますね」
同意してから、伊久磨はくすっと笑った。「観戦って」と樒の言葉に食いつくものの、特に訂正することもない。
いまはその地に何が芽吹いているのか誰にもわからないから、すくすくと育っていつか花開くときまで見守るしかできない時期なのだ。
笑いながらアイスコーヒーを飲み干したところで「もちろん君の分も支払いは終わっているから」と樒に言われて席を立つ。
「ありがとうございます、あとで香織に礼を言っておきます。プリンは俺もちょっといつもより硬いなって思いました」
樒は苦笑いをしながら「プリンの硬さは俺の心と連動している」と謎の発言をしたが、職業柄妥協と言い訳を見逃さない伊久磨は「そこはプロなので品質は一定に保つ努力をなさったほうが」と素で言ってから「セロ弾きのゴーシュ」を後にしたのだった。
★お久しぶりです!2026年もよろしくお願いします(๑•̀ㅂ•́)و✧




