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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
46 バラの雨は降らない
404/405

長い付き合いのもたらすもの

「いらっしゃい。ああ、珍しいね。この時間に」


 相変わらず客の入っていない「セロ弾きのゴーシュ」で、カウンターの奥にいた樒から声をかけられた。

 馴染みの店に行き「いつもどおり」というのは、ほっとする安心感がある。

 伊久磨は、ちらっと店内を見回して香織がまだ来ていないのを確認してから、カウンター席へと向かった。


「こんにちは。アイスコーヒーをお願いします。お腹も空いているけどどうしようかな……」

「固めのプリンならあるよ。甘いもの好きだったよね?」

「すごく食べたいです。お願いします」


 肩のこらない会話をしてから、椅子に腰掛けて樒の横顔をしげしげと見た。

 特に顔色が悪いということもなく、いつもと同じように仕事をしている様子だ。


(悪い予感や胸騒ぎなんて、あてにならないよな。世の中、良いことはそうそう起こらないけど、起きるかもと危ぶんだ悪いことだって実際にはほとんど起きない。確率的には一割だっけ?)


 伊久磨としては、これまでの人生で何度かその「悪い予感が当たる確率一割」を引き当てている気がするので、逆に普段は簡単に引かない自信がある。

 つまり、「ちょっとやそっとのことで、悪いことなど起こらない」という確信だ。


 樒が冷蔵庫からアイスコーヒーを出している間に、カラリと引き戸が音を立てて、香織が姿を見せた。

 カウンターで、店主と客として向かい合う位置関係の二人を視界に収めて「お疲れ様」と言って微笑みを浮かべる。

 伊久磨は、時間を見ようと手にしていたスマホをカウンターの上に置くと、香織の方へと体ごと振り返り、開口一番で言った。


「香織、藤崎さんと今後も友達付き合いを続けるつもりなら、いったん離れた方がいい。少なくとも同居は解消したほうがいいと思う」


「なんだいきなり。どういう流れ?」


 戸口に立ち尽くしていた香織は、笑顔のまま首を傾げる。

 直感的に、伊久磨はこれは良くない、と思った。すぐに立ち上がり、香織の元へと歩み寄る。


「カウンターじゃなくて、テーブル席の方がいいかな。この件、きちんと話そう」


 前置き無く切り出した伊久磨に対し、香織はひとまず「わかった」と答えて、カウンターの樒の手元を見て「俺も伊久磨と同じので!」とオーダーを入れる。

 そして、テーブルへ向かおうとした伊久磨に「カウンターでいいよ」とすかさず言った。

 伊久磨は一瞬「真面目な話だ」と言い返しそうになったが、冷静になろうと思い直して元の席へと戻った。香織が隣に座ったところで、アイスコーヒーを待たずに話し始める。


「まずはじめに、椿邸から西條さんをさっさと追い出した方がいい。ぐずぐずしていると、きっと館長に愛想尽かされるか、長く不信感が残る状態になるから。こんなこと、普段の西條さんならわかるはずなのに、いまは判断力が落ちているみたいだから、俺から言う。ついでに藤崎さんも、香織と将来的に結婚する可能性がないならこれ以上の同居は良くない。これは『海の星』に誘った俺にも責任があるから、今まで強く言えなかったけど、移住して半年過ぎていまの藤崎さんは十分健康で元気だ。貯金もあるからあの学生とバイトの二重生活を選んだはず。これ以上、赤の他人の香織が甘やかす必要はない」


 おとなしく聞いていた香織は、「わかる」と一度伊久磨の発言を受け止めた上で、答える。


「伊久磨の言いたいことは、わかるつもりだ。ミュゼが大切な時期に、西條は職場内恋愛。それ自体は止められないとしても、藤崎さんとの同居は早々にけじめをつけるべきだ。だよな? だけど、西條は藤崎さんと俺の二人だけ残して出ていって良いものかという責任感から、椿邸を出にくくなっている。結果的に、西條の彼女さんに結構なダメージが入っている……と思う」


 そこまで聞いたところで、伊久磨は不意に「わあっ」と声を上げた。

 カウンターの中で樒がびくっと反応したものの、香織は笑顔になって「なんか懐かしいな、そういう伊久磨」と呟く。過剰な反応に対して、特に驚いた様子がない。

 つまり、ある程度伊久磨の考えを読んでいるのだ。


(そういうのどうなんだよ。「伊久磨ならわかると思っていた」とでも言うつもりか)


 伊久磨は手のひらで眉間から目元を覆うように押さえて、軽く香織を睨みつけた。


「あのな、香織……。西條さんが出ていきやすいように、さらには藤崎さんが椿邸に残りやすいようにって変な気を回してないよな? 西條さんが心置きなく椿邸を出て行くためには、香織と藤崎さんの関係が『安定』していたほうがいい。つまり二人が付き合いだして『俺はお邪魔虫みたいだな!』みたいなあれだ、そうあれ……。なおかついきなり藤崎さんにまで出る出ないの結論を押し付けないためには、一時的にでも『香織が藤崎さんを必要としている』言動があったほうがいいというか」


 言っているうちに、伊久磨は特大の疲労を覚えて、樒から差し出されたアイスコーヒーのグラスを摑んだ。ストローを刺すこともなく「いただきます」とだけ断りをいれて一気に半分ほど飲む。

 キーンと喉から頭の奥まで冷える感覚を味わいつつ、グラスをカウンターに戻した。

 すごく嫌だ、と思う。香織の考えが読めてしまうことが。


「馬鹿。知ってたけど、馬鹿。西條さんが香織を警戒するのも、わかる。『本当』なら何も引っかからないけど、それは『嘘』だろ。自分のためにそういう『嘘』をつかれるのはきつい。藤崎さんだって」


 それ以上の言葉を、伊久磨は呑み込んだ。


(「共犯」なのか? さっきの藤崎さんの反応はどうなんだ。わからない)


 納得ずくで、二人がかりで聖に対し、愛ある追い出しにかかっているなら何も問題はないのだ。エレナは、その後椿邸で暮らし続けることができるというメリットがあるから、大損するわけでもない。

 だが、これが香織の「独断」で、エレナがそうと知らずに利用されている場合は、大事故の前触れだ。


 伊久磨にとって香織は「友人」であり、大切な相手という認識だ。関係性としてはもはや家族以上の何かでもあって、客観的にその魅力を分析することはできない。

 ただ、大変な美形であり経済力もある大人の男であって、性格も良く一緒に暮らすにしてもだらしないところがない、その意味ではかなりの「イケメン」なのだろうということはよくわかっている。


 つまり、香織が実際に交際する気があるがなかろうが「香織に迫られた」と受け取ったエレナがどういう心理状態になるかは、わからない。想像がつかないとも言えるし、したくないとも言える。


(香織はあまり自己評価が高くないというか、恋愛に関しても謎なところがあって……。全然悪気なく「藤崎さんがいまさら自分に本気になるはずがない、これは演技だってわかっているはず」と考えている可能性がある。ものすごくある)


 お前は謎過ぎるんだ、という結論を得て伊久磨は香織を見た。


「アイスコーヒー美味しい。このプリンは自家製?」


 香織は、のんびりとアイスコーヒーをストローで飲んで樒に声をかけ、生クリームの添えられたプリンをスプーンですくっていた。固いな、と呟きながら。

 ぼんやりとその挙動を見つめてから、伊久磨は手を伸ばした。香織の背に手のひらを置く。


「なんだ? 食わないのか」


 けろっとした様子の香織の真意が、まったくわからない。わからないなりに、伊久磨は不吉なものを感じて闇雲に言った。


「椿邸改築したいって、言っていたよな? あれ手を付けろ、いますぐ。それを理由に三人とも解散してしまえばいい。椿邸があるからいつまでも問題が解決しないんだ。さっさと解体だ」


 なぜか香織はとても優しい表情になり、伊久磨に向き直って尋ねてくる。


「あそこは伊久磨にとっても思い出の場所じゃない? 帰ってくる場所がなくなってもいいの?」

 

 伊久磨は即答した。

 帰らないから、いい。もうひと思いに壊してしまえ、と。 

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― 新着の感想 ―
やはり香織さんはまひさんに愛されてますね( ˘ω˘ )
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