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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
45 ミュゼ・ステラマリス
373/405

めでたいことはいくつ重なっても良い

「そうだ、館長はどこ行ったかな。え~、野木沢さん。そうそう、野木沢きょうさんの直系なんだよね。若いのによくやっているよね、あの子は。ああいう子がこれからのこの街を引っ張っていく人材なんだよ」


 市長の話が止まらない。


(どうして? 見えていないのか? この行列が。市長の話を聞くために集まっているわけではなく、食事をするために来ているお客様なのですが……!)


 伊久磨としては、「小学生の頃から、校長先生の話を聞きたいひとなんかいませんでしたよね!?」とよほど言いたい心境であった。だが、「市長さんが来てるのね」と話している声もちらほら聞こえていることもあり、仕事中(の邪魔)だからといって即座にその祝辞を遮ったりはできない。大人になってみると、この手の挨拶には、一定の需要があることにも気づくものだ。

 これは「海の星」の客層に、会社役員や政治家も多く含まれているのも関係しているが、そういった相手に気にかけてもらえるのは悪いことではないのだ。後々のことを考えれば、邪険にしたり追い払ったりなどできはしないと、伊久磨もよくわかっている。

 ただタイミングは、ありえないほど悪い。


(館長さえ戻ってくれば……。ヒロシェフがキッチンに入ってくれたいま、西條さんがホールに出られる。一回転目のお客様はメインの料理がだいたい終わっているし、この後は会計ラッシュとして、俺が戻れるなら、少しくらい西條さんが抜けても)


 ちらりと政道へと視線を向けると「わかっている」と目で返される。そう、わかっているのだ。あとは「ありがとうございます、市長それでは」と話を切り替えるタイミング。

 さてどうしたものか、と思案している伊久磨の視界に、妙なものが入り込んできた。

 椅子を積んだカートを押す穂高紘一郎と、そのフォローをしている静香。


「……えっ」


 声に出た。幸いなことに、気づいたのは政道だけで、市長は話を続けていた。

 静香は「大丈夫だから、こっちは気にしないで!」と声を出さずに目と口の動きだけで伝えてきた。紘一郎が椅子を下ろして開き、静香がそれを行列の先頭へと運んで行っている。「お待たせしてすみません~」と愛想よく客に話しかけながら。紘一郎はなおもガシャンガシャンと椅子を下ろし続けている。動作に無駄がなく、キレがあって、早い。


(いやでもなんで? 西條さんが呼んだのかな? 静香とは学校祭の本番みたいな謎の連帯感で息ぴったりだけど、あれ任せておいて良いのかな……)


 そもそも、伊久磨は伊久磨で、身動きがとれない。

 そのとき、店内の西條に呼びかけていた女性が「いま手が離せないって」と言いながら戻ってきて、もうひとりの女性と小声で話しだした。市長がそちらを気にして、話が止まる。

 その空白に、伊久磨は場に残っていた側の女性と目が合った。あら、と相手が目を丸くしたのがわかる。そのままの勢いで、身を乗り出して言ってきた。


「あなたのこと、覚えてます! 三月に結婚できなかった方ですよね!? あのあと婚姻届出しに来たの見かけた覚えがなくて気になっていたんですよ! 結婚だめになったんですか!?」


 くら、と目の前が一瞬暗くなって、めまいがした。

 伊久磨とてそろそろ後輩指導もはじめた客商売四年目。この程度のイレギュラー、普段なら造作もなく対処できる。

 ただタイミングが、ありえないほど悪い。

 

(今日の俺はあくまでミュゼオープンの応援、黒子の中の黒子。主役のように注目を集めるわけにはいかない。しかも「だめになったんですか?」とか、験担ぎ的な意味でオープン当日の店の前では絶対に言ってほしくない。だめになってないです、今日結婚します)


 ここでいつものように洒脱な口調で流すことも考えたが、すでに注目を集めてしまっているので、絶対にひとこと二言のやりとりでは済まない。

 どうする、と思考。この流れでわずか一秒ほど。

 二秒目。

 伊久磨が決断して話すより先に、市長が動いた。「君、よしなさい」とたしなめるように女性に声をかける。「あ!」と女性が大きく開いた口に手を当てて、ようやく自分が失言をして、しかもいらぬ注目を集めたことに気付いた様子。


(市長、さすが市長。いざというときは頼りになる……)


 心の中とはいえ、嘘偽りのない気持ちでほめたのに。


「こんなめでたい日に、滅多なこと言うものじゃない。縁起が悪いだろう」


 眉をひそめて女性を注意した内容を聞けば、伊久磨を完全に「厄」認定している様子。


(そっちか! プライベートの話をぶっこんでくるのは個人情報を預かるお役所的によろしくないとかそっち方面じゃなくて、厄の方! たしかに験担ぎに関しては俺も気にしたけど!)


 へええ~さようでございますか~~と、鉄壁の笑顔の裏で伊久磨が飲み込んだ言葉が聞こえたわけでもないだろうに、政道がこそっと声を潜めて耳打ちをしてきた。


「市長、離婚二回しているから、この手の話題には敏感なんだ」

「おそれいりますが、それは・いま・聞いていません」


 冗談か本気か知らないが、気の使い所の間違えている解説をされてしまった。相手が由春の父でなければもう少し物騒な返事をしただろうが、伊久磨はきわめて穏便に興味がないと伝えて済ませておいた。ひとまずは。

 そこに、ようやく大豪と代わることができたのだろう、聖が姿を見せた。


 一歩、店内から玄関ホールに歩みだして姿を見せただけで、さっと衆人の視線を集めていく。

 艶やかな黒髪に、整いすぎた横顔。深く澄んだ青の瞳。顔が小さく手足の長い、すらりとした黄金比が目を引く長身。真っ白のコックコートが、まぶしいほどに映えている。

 俳優さんみたいね、というざわめきが聞こえ、伊久磨も(さすが西條さん)と素直に感心した。そこには、聖が現れたからには場の収拾がつく、という安堵感もあった。

 聖は、周囲を睥睨してから、ひた、と市長をみすえる。鮮烈な印象を与える青のまなざしが、相手を黙らせるに足る迫力を醸し出す。

 続いて、聖は伊久磨を見た。そして、やにわに早口に言った。


「きちんと言えよ。結婚はだめになってない。今日するって。こんなこと俺に言わせんな」


 おそらく、辺りを見回した際に静香が椅子配りをしていることにも気付いたのだろう。であれば、ここまでの会話を耳にしていたであろうことにも。

 こんな誤解、即座に言い返して訂正しないでどうする、というのが聖の見解。

 ここまでもほんの数秒、伊久磨はきちんと流れを理解していた。

 問題は、タイミングがありえないほど悪かったことだ。


 ざわ……


 控えめな波。


 ざわざわ……


 少しずつ広がっていく。それなのに、辺りは妙に静かだ。その静けさの底で遠慮がちに囁かれている言葉に、伊久磨は耳をすませてみた。


(つまり、シェフとウェイターがカップルってこと?)(最近はいろいろだもんね、いろいろ)(良いと思うよ、若い人は好きにやったらいい)


 伊久磨はまだ笑顔だったが、果たして自分がどこまできちんと笑っているのか、自分でもわからなくなっていた。


「不安に……させんなよ。馬鹿」


→「(※静香を)不安に……させんなよ。馬鹿」


 西條の呟きが天然過ぎて手に負えない。


(残念ながら皆さんに※部分伝わっていませんで、いま一番ここ引っ掻き回してんの西條さんになってます。トラブルメーカー世迷い言選手権ぶっちぎり優勝殿堂入り)


 ちらっと静香を見ると、案の定「大丈夫なの?」という心配の目で見ていた。しかし、見ようによってそれは、不安そうであり、困っているようにも受け取れた。

 間の悪いことに、伊久磨の視線の動きで、発端の女性が静香の存在に気付いた。「あら」とばかりに口を両手で追う。何を考えたかは、手に取るようにわかった。


(三角関係の修羅場ではないですよ。ではないですからね。いま、聞かれてもいないのに俺が言い訳したらおかしいので言いませんけど! 絶対に勘違いしましたよね!)


 もうそこはぶん投げておくこととする。伊久磨はきわめつけの愛想の良さで口を開いた。


「シェフ、(このくそ忙しいときに)内輪の話(で、ボケるの)はいいですから。こちら、市長です。当店のオープンを気にかけて、わざわざ足を運んでくださいました。市長、こちらは当店のシェフの西條です」


 後はもうそこで話をつけてくれ、俺は店に戻る。そのつもりで二人の紹介をクロスさせ、立ち去ろうとした。

 市長が「君ね」と、咳払いをしながら伊久磨めがけて声をかけてきた。


(もう悪い予感しかない)


 にこりとほほえみ返した伊久磨に対し、市長はさらにもう一度咳払いをしてから言った。


「めでたいことはいくつ重なっても、いいものだ。この店のオープンの日に、若い二人が結婚だなんて実に粋じゃないか。末永くお幸せに、店も君たち二人も」


 間違えてる。間違えている。微妙に真実を噛んでいるだけに、厄介な絡まり方をしながら間違えている。

 もうこれはシンプルに否定から入るしかない、と伊久磨は頭の中で話す順序を組み立てつつ告げた。


「あの、俺は結婚しません(このひととは)」


 おそらくあと一秒あれば、最後まで言えたのに。

 ガシャン、と不吉な音が響いてホールのざわめきが途絶える。

 視線を向けると、カートから椅子を下ろそうとして、落としてしまった、と青ざめている風のまどかがいた。

 頬がひきつり、手がわなわなと震えている。


(館長待ってくださいその反応はなんですか。どこから聞いていたんですか。戻ってきていたなら椅子下ろしてないでこっち……)


 まどかは、小走りに近づいてきたものの、なぜか伊久磨たちを避けて客の行列の方へと突っ込んでいった。

 そこで立ち尽くしていた静香の手を取り、鬼気迫る剣幕で叫ぶ。


「静香さん、聞いてはだめです。ちょっと向こうへ行きましょう! まずは落ち着くのが肝心です!」


 すべてにおいて後手にまわった伊久磨は、大声を出して引き止めることもできず、心の中で絶叫。

 館長がまず落ち着いてください!! と。



★二週連続平日更新達成(๑•̀ㅂ•́)و✧

 来週はお休みの予定です。

 いつもブクマや★、イイネ、感想ありがとうございます! すごく励みになっています!

 

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― 新着の感想 ―
[一言] アウト〜( ;´Д`) 公務員の守秘義務違反ですよ。実際にいたらヤバい。 でも届受付する仕事の人が市長にくっつくお仕事はしないからちょっともやっとしました。市の規模ならそこの仕事は重なること…
[一言] ぶるうちいず先生「エクストリームヘヴンフラーーーッシュ!!!!」
[良い点] 感想返しで頂いた「そこまで悪いひとがいないのに問題がきちんと起きるステラマリス!」は前振りだったのかwww ちょお爆笑! 空気読めない市長さんからのジャブ! どこから湧いてきたのか役所の…
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