いつか思い出す朝
西條聖は、間違いなく長身の部類だ。
その彼が見下されているのだから、一緒にいる相手はさらに背が高いということになる。
(大きいなぁ……。パネルが二枚並んでいる。壁系男子)
改装を終えた美術館内のカフェスペース。
天井を覆い尽くす淡い色合いのドライフラワーに、店内の随所に配置された観葉植物。
花と緑の楽園には、アンティーク風のテーブルや椅子が何セットか置かれている。すべて不揃いで少しずつ形が違うのは、何度も通ううちにお気に入りのひと席が見つかるように、という意味を込めてのこと。
カウンターの向こうには、清潔感のあるぴかぴかのオープンキッチン。当初、何もかも聖ひとりでやると言っていたので、キッチンに立つと客席がよく見通せる。
そこで立ち話をしている二人の壁系男子。
店の入口に立ち、野木沢まどかが遠巻きに見ていたら、先に聖が気づき、もう一人も振り返る。
目が合うと、感じよく微笑んで会釈された。
「館長、おはよう! 良い天気で良かったな。今日はよろしく!」
破顔して声を上げたのは聖。ぶんぶん、と手を振ってくる。まどかは会釈を返しつつ、小さく手を振りながら二人に歩み寄った。
「オープンおめでとうございます」
「なに他人事みたいに言ってんだ。館長も今日は忙しいだろ!」
勢い。声が大きい。風圧を感じたようにまどかが笑顔のまま目を細めると、聖の隣で背の高い青年が「西條さん」と聖の名を呼ぶ。
「打ち合わせはもう大丈夫。細かいことは俺が見ておきますから、仕込みに集中してください。初日ですけど、今日まで『海の星』でもずいぶん問い合わせを受けているんです。行列ができるかもしれませんよ」
「それはそれでやる気が出るな。客が入り切らなかったら道路にテーブルと椅子を出してテラス席を」
「勝手に拡張しない。そのへんも俺が見てますから、準備。はい、行ってください」
冷たくはないが、毅然として無駄話を許さない態度。聖も反論せずに「わかった」と答え、火にかけている鍋をのぞきこんだ。
「蜷川さん、来てくださってありがとうございます。本当に助かります」
二人のやり取りにほっと和むものを感じつつ、まどかは丁寧に頭を下げた。
本店のメートル・ドテルの蜷川伊久磨。本人は「他のお店を知らないので、至らない点が多いかと思います」と謙遜していたが、その立ち居振る舞いはついぞ見かけないほどに洗練された青年だ。
一度、彼の妻である静香と食事をし、流れで聖も加えた四人で飲んだことがある。そのときも、まどかだけでなく静香に対してもずっと丁寧な態度を崩さず、店での仕事中とほとんど変わらぬ様子に(こんなに優しそうな旦那さんっているんだ)とひそかに感動したものだ。
その伊久磨が、今日は「ミュゼ・ステラマリス」のオープンだからと、朝の準備から入ってくれている。これほど心強い助っ人もいない。
「いえいえ、俺は今日たまたま仕事が休みだったので。こうしてミュゼのオープンに立ち会えてすごく嬉しいです。天気も良いですし、客足も伸びそうですね」
「……? お仕事お休みなんですか?」
ちょっといま変なことを言ったような? とまどかが念のため確認をすると、伊久磨はのほほんとした様子で「そうです」と答えた。
「今日結婚するので、休みをとっていたんです。ミュゼのオープンがこの日で良かったです」
「え、え、今日結婚するんですか? ここにいて良いんですか!?」
「はい。婚姻届出す以外予定はないので。客としてミュゼにひやかしにきてバタバタしていたら気になりますし、それなら初めからスタッフとして入っていた方が気が楽です」
やはり、気の所為ではなく何か変なことを言っている。具体的にどうと言えないが、違和感がある。まどかは妙にしっくりこないものを感じて、重ねて尋ねてしまった。
「結婚ってなんかこう、もう少しなんといいますか。緊張とかしないんですか」
「婚姻届に関しては二回目なので、流れはわかっていますからね。緊張はないかな」
気負いのない様子で、予想外すぎる答え。
(再婚ってこと……!? 初婚じゃないんだ……。若いと思っていたけど、そうなんだ。ま、まあ西條さんもこの先結婚ってなれば再婚だし。世の中には一度も結婚できないひともいるのに、二回も三回もできるひと、本当にいるんだ……)
「蜷川、婚姻届先に出してきた方が良いんじゃないか? そのくらいの時間ならあるぞ?」
野菜を刻んでいた手を止めて、聖が口を挟んできた。
「今日は静香も朝から仕事なんです。ここに、もうすぐ来ると思いますけど。役所はミュゼが終わってからでも間に合いますよ」
「どうかねえ。お前のことだから信用ならねえ。うっかり出し忘れるなよ婚姻届」
横で聞いていたまどかの方が、ハラハラしてきた。
(婚姻届出し忘れるってなに? どういうこと? 人生の一大イベントじゃないの?)
「大丈夫ですよ。一回失敗してるんですから、さすがに二回目は何もないと思います」
聖に対して、伊久磨がそれまでとなんら変わらぬ落ち着いた態度で答える。やはり、「二回目」とはっきり言っている。一回めは失敗していると。
もはや二人の会話に入るに入れず、まどかは口をつぐんでいた。気づいた伊久磨が「あれ?」と軽く首を傾げる。
「館長、どうしました? 顔色がすぐれないみたいですけど、何か無理していませんか?」
「う、ううん、そんなことないです。とうとうオープンだなって緊張しているだけです!」
「それはそうですね、緊張しますよね。俺も本店に続いて二回目だけど緊張しています。そうだ、メニューさっき見せてもらったんですけど、館長が絵を描いたんですよね。絵本風。それでメニューも物語仕立てにするって、直前に西條さんが名前あれこれ変えたって。忙しいのに自分で仕事増やして、相変わらずそういうところが可愛いなあ」
「蜷川! お前しゃべりすぎ! 道でチラシでも配ってこいよ!」
すかさず聖が早口で騒ぎ立てる。まどかにも、(照れてる)とすぐにわかった。
わずか一週間前に突然メニューの絵を描いてと言われ、まどかは数日徹夜のような状態になった。それで出来上がった「絵本風」の何枚かを気に入った聖が、物語を想起させるような名前にメニューのいくつかを変更したのだ。
聖の照れは伊久磨にもお見通しなのか、にこにこと笑って「配りませんよ」と受け流す。
「今日はまず、来てくださったお客様にご満足してお帰りいただけるよう、最高の仕事をしましょう」
そう言って、スマホを取り出して時間を確認する。
「そろそろ静香が来ると思うので、搬入口見てきます。西條さんこそそわそわしているので落ち着いてください。館長、よく見ておいてくださいね」
「俺はいつでも完璧だって。いいからもう行け!」
追い払われた伊久磨は、笑いながら出て行く。
身動きできずにその場に残ったまどかは、聖を見て「何か手伝いますか?」と声をかけた。
一瞬、青い目を瞠った聖は、口の端を吊り上げて笑った。
「今はいいよ。今日最高のスタートがきれたら、何かごほうびもらう。考えておいて」
「西條さんの喜びそうなもの、思いつかないんですが。好みも知らないですし」
「そっか。じゃあ知ってよ、俺のこと。館長のことも俺に教えて。知りたいから」
飾り気のない言葉に漂う、ほのかな予感。甘く苦く、胸の奥が疼く。もう少し近づいていいよと言われているのがわかる。それはまどか次第なのだと。
聖はまどかを見つめて、明るく言い放った。
「メニューありがとう。良い店になったのは、館長の絵のおかげだ。絶対に、美術館にひと呼べる繁盛店にするから、期待して」
六月十六日。
間もなく、ミュゼ・ステラマリスオープン。
★70万PVありがとうございます!
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物語はこの先も続きます(๑•̀ㅂ•́)و✧