あまりまろきは、転びやすきぞ(4)
香織が車庫から車をまわして店の前に着いたときに、そこにいたのは幸尚のみ。
街灯の下でスマホをいじっていたが、すぐに気付いて助手席に「お世話になります」と乗り込んできた。
「うちの従業員は?」
「帰りましたよ。歩いて帰れる距離だから車はいいって」
「喧嘩した?」
「そういう問題ありな感じとは思いませんでしたけど、そうなんですか」
シートベルトを締めながら、幸尚が聞き返してくる。「スーパーでいい?」と会話をして車を発進させ、香織は質問に考えながら答える。
「問題ありというか、俺が気にして見ている、かな。椿屋ってほとんど人の出入りがなくて、若い子なんてここ最近いなかったし」
「高校中退だって言ってましたね」
「そこまで話した?」
「流れで。なんスかね、不登校かなって思いました。香織さんの親戚か何かですか?」
さらりと聞かれて、香織は口の端に微笑を浮かべた。
「縁あって、手元に引き取ってる。学校は、体弱くて休んでいるうちに、嫌になったのかな。仕事するからって、辞めた。それでさ、うちで働いてんだけど、意地だとしても根は真面目なんだと思う。引きこもったり、なーんにもしなかったり、そういう時間の過ごし方もあるはずなのに、毎日きっちり働いているから。それでも本人は、ずっと不安そうな顔してるんだよね。なんだろう、焦り……」
「体が弱いって、他人が思うより、ずっと難しいんですよね。俺もいま仕事していて、体が頑丈だからどうにかなってるところあるし。無理したいのに無理がきかないって、それもしんどいですよ」
信号待ち。香織は背もたれに背を押し付け、幸尚の話の通じる具合にほっとしながら「そうなんだよねえ」と相槌を打った。
「無理がきかない体で、無理がきく相手と同じパフォーマンスを望むとかなり辛い。もちろん無理は長く続かないから、誰だっていつかセーブするときは来るだろうけど。若いとさ……周りとどんどん差が開くのが目に見えちゃうし」
「この業界で働いていると、実働八時間の範囲でできることなんて仕事のほんの触りくらいじゃないですか。わかるんですよ、遊んでる場合じゃねえなって。マジでやることが多い。『頑張りすぎなくていい、そういう時代じゃない』ってみんな口では言うけど。人生かけなきゃ、欲しいものは手に入らないんですよね」
幸尚の口ぶりは香織が想定していた以上に真摯なもので、気を抜いている場合ではない、と思い知らされる。
近場のスーパーにたどりつき、駐車場に滑り込みながら、香織は言葉少なく同意を示した。
「欲しいものを手に入れるひとは、人生のどこかのタイミングで、必ず無理を押して行動している。その点、ゆきには岩清水がいて良かったね。あいつはきちんと無理して生きてきた奴だから、他人を押さえつけないし、背中を押すときには押してくれただろ。若い子育てるってそういうことだよね……」
車を停めて、二人で同時に降りる。
ごく自然に香織と並んでスーパーの出入り口に向かいながら、幸尚は「まあ、そうっスね」と軽く頷いた。
照れ隠しで否定したり、茶化したりしない。
そこにはたしかに、由春への信頼が感じられる。少し、羨ましい。
「なんかゆき、ずいぶん大人になってない?」
「俺もとから大人ですよ。ハルさんとニナさんとやってきたんで」
「……ああ、うん。それはあの二人がガキ……。いや、ひとのこと言えないな、俺も」
かごを掴んで青果コーナーに向かう幸尚。その後にのんびりついて歩きながら、香織は辺りをそれとなく見回した。
「うちの工場貸すって言ってゆきが使うって言うのも意外だったけど。何を作るのか、楽しみなんだ。最近俺も新作行き詰まってて。面白いものが見たい」
「はい、期待していてください」
「頼もしい」
幸尚が、並んでいたブドウのパックをひとつ手にして、考え込んでいる。選ぶ基準はなんだろう、と勉強するつもりで香織が横からのぞきこむとちらっと見返された。
以前はピンクだった髪が、いまはオレンジ。耳元のピアスも増えたようだ。それが幸尚の戦闘衣装なのかな、と香織はふと思った。
気合を入れるために必要な準備。日々を戦うために。
「香織さんはなんか、丸くなった気がします」
「俺もとから丸いって。え、それ見た目のことじゃないよね?」
「うーん……、こっちにしよう」
不安になって聞き返したのに、流される。幸尚はブドウのパックをかごにそっと入れる。
それから「やっと思い出した」と顔を上げた。
「『丸くとも 一角あれや 人心』です。丸くなりすぎると転びやすくなる、から、角はとれなすぎなくても良いんだって、いまの上司が言ってました」
「坂本龍馬ファン?」
すかさず香織が言い返すと、幸尚は口角を上げて、へへ、と笑った。
「やっぱり知ってるんだ。この業界のひとって、格言とか好きですよね。俺なんも知らねーの。どこでこういうの知るんだろう」
「坂本龍馬ならビジネス書かな? 自分で店出すひとってそういうの読んでるよ、意外と。ゆきもそのうち読んで他人に教えるようになってそう」
「俺、店持てそうですか?」
その問いかけに真剣なものを感じたからこそ、香織はにっこりと笑って「がんばって」と答えるに留めた。
店を持つことが成功の目安とは思わないし、店を持っても続けていくのが難しい。才能や経歴だけでどうにかなることでもないし、それこそいまになって香織が直面している「ひとの使い方」「育成」の難しさも目の当たりにするはず。
いつまで立っていられるか、死ぬ時に満足な人生だったと言って終えられるか、そんなことはわからない。
それでも、羽ばたくべきときに飛び立った幸尚には、そういう生き方をしてほしいと思う。
「ニナさん、甘いもの好きですよね。結婚して嗜好変わったりしてませんよね」
「変わらないよ、あいつはあいつ。ゆきがケーキ作ってくれたって聞いたらきっと泣いちゃう」
「面倒くせぇな。言うかよ」
憎まれ口を叩く幸尚と話しながら、売り場を歩いて行く。
以前は二人でこんな風に話したことはなかったのに、縁とは不思議なもの。
ほどけたように見えた縁はどこかでつながって、こうして久しぶりなのに笑い合って。
目に見えないつながりは、思った以上に強く生き続けているものらしい。
この日ほんの短い間だけ出会った奏と幸尚の間にも、何かの縁が結ばれたのだろうか。香織は少しだけ考えたが、幸尚と会話しているうちにすっかり忘れた。
それはまた、いつか思い出す日まで。
★お読み頂きありがとうございます!
来週から本編第45章に戻る予定ですが、別作品との進行の兼ね合いで更新滞ったらその……すみません! 無理のきかない体でして!
読者さまにおきましては毎日更新ってどうですかね……?
★ブクマや★、イイネ、はげみになってます(๑•̀ㅂ•́)و✧
いつもありがとうございます~!