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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
The scenery we saw from there was really beautiful.
362/405

あまりまろきは、転びやすきぞ(3)

 オレンジ頭は、真田幸尚(さなだゆきなお)、と名乗った。「海の星」の元従業員で、いまは東京のパティスリー勤務ということ。

 奏に簡単に自己紹介をした後は、香織に店の奥の座敷に通され、茶を飲んでいた。


「まだ本決まりじゃないんで、ハルさんには言ってないんですけど。海外行くかもしれないんです。いま言葉勉強中」

「へえ、すごい。東京行って正解。『海の星』にいるより全然良いよ」

「そういう言い方するとハルさん傷つくんで、なんていうか。俺はべつに……、どこにいてもやることは変わらないけど、今はたまたまそういう話があるっていうだけで」


 閉店業務の傍ら、奏は聞くとはなしに二人の会話に耳を傾ける。


「岩清水は喜ぶだけだと思うよ。ゆきを手放す前から、そこまで見越していただろうから。ここで終わって欲しくない、どこか遠くへ行って欲しいって。たぶん、一番思ってた」

「そうスかね。まぁ、経験しておくに越したことはないってのは時々言ってましたね」


 客はもう来なかったが、レジでお金を数えたりしていれば、会話のすべてが聞こえるわけでもない。それでも、内容は奏にもなんとなく把握できた。

 幸尚は香織より、ひとまわり若い。高卒か専門卒くらいで「海の星」に就職したのではないだろうか。


(一度は地方で就職したのに、東京行って海外って、よっぽど仕事に適性があって、才能もあるんだ。大学とか出ていなくても。髪がオレンジでも)


 見た目だけでいえば、夜のコンビニ前でたむろって、ゲラゲラ笑って騒いでるメンツと何も変わらないのに。幸尚は、いつどんなときに、自分の前には道が開けていると気付いたんだろう。

 遠くまでいける翼がその背にあると、確信が持てたのだろう。


 時刻が十九時になったところで、奏は正面のドアに鍵をかけた。

 和やかに話し込んでいる二人を振り返って、告げる。


「閉店しました」

「お疲れ様。さて、それじゃあゆきは材料買い出しに行く? 車出すよ。柳はついでに家まで一緒に送ってもいいけど」

「いえ、ケーキ見たいです。家には連絡するので。プロのひとが作るの、見たいんです。結婚祝いですよね、それってウェディングケーキですか?」


 帰されてなるものかと奏が強気に言い返せば、香織に続いて座敷から立ち上がった幸尚が笑って言った。


「誕生日ケーキのつもりだったなぁ。式を挙げるときにこんな風に来れるとは限らないし、まぁ……そっちも兼ねて祝っても良いかな。一応、ニナさんは三年一緒に働いた同期だし」


 横で聞いていた香織が、思い出したように口を挟む。


「岩清水が結婚したのは聞いてる? あいつ、伊久磨より先に4月の自分の誕生日に入籍してた」

「はいはい、聞いてます。ほんっと、仲良いですねハルさんとニナさん。ハルさんはニナさんに負けられなくて、ニナさんはそれ見越して譲った感じかなって思ってました」

「伊久磨の結婚が岩清水の後になったのは、ただの事務手続きミス。美談なんて何もない」


 幸尚は軽く伸びをし、腕を伸ばして首をまわすストレッチの仕草をしながら、香織に目を向けた。


「ところで香織さんは?」

「俺の話はいいんだって」

「ええ……、ええっ!? あれ!? おかしいな、一番結婚しそうなひとなのに」


 男同士の気安い会話の最中、香織の視線がすうっと奏に向けられ、すぐに通り過ぎて行った。

 三人で連れ立って裏口から出て、小道を通って店の正面まで出たところで、香織が「車まわしてくる」と場を離れる。

 幸尚と二人。

 どうしようと思う間もなく、幸尚の方から奏に話しかけてきた。


「珍しいスね、椿屋に若い子。大学生?」

「高校中退です」

「あ~、そうなんだ。和菓子が好きで? 製菓に興味がある? ケーキ作りの何を見たいの?」


(答える前からどんどん話が移り変わって、置いていかれそう。頭の回転早い人だ)


 緊張しながら、奏はぎきこちなく答えた。


「友達が結婚するんですけど、お祝いが何かわからなくて」

「おめでとうで良いんじゃない? それ以外に何が必要?」


 幸尚のあっさりとした返しに、口をつぐみそうになる。しかし。

 奏はこの短い期間の経験から、大人社会は遠慮をすると癖になる、ということはよくわかっていた。言えなかった言葉を待つひとはいないし、伝えられなかった思いは永遠に捨て置かれる。

 聞かれて答えなければそこまで。

 すっと息を吸い込んで、正面から幸尚を見上げて言う。


「私は、おめでとうもうまく言えないかもしれないんです。そういう性格で。だから、祝う気持ちみたいなの知りたいんです。真田さんは、仕事のお休み少なくて、勉強もあって忙しいのに、元同僚のお祝いのために東京からわざわざ来たんですよね? それはどんなお祝いのケーキになるんですか?」 

「うん、そんなの、聞くまでもなく当たり前の話かな。どんなって、そりゃ最高のケーキだよ。それ以外に無い」


 一瞬の躊躇いもなく答える、その強さ。


(最高の……)


「それは持てる技術の全部で、すごく良い材料を使って、そういう……」


「言ってる途中で自信がなくなるのは、自分が信じてないこと言ってるからだろうね。そうじゃないってのは、わかってるんだろ。最高の技術をつぎ込むのも、材料選びを真剣にするのも当たり前。でもさ、ものを作ってる人間は知ってるんだ。それだけじゃ特別にならないし、記憶に残らないし、もう一度食べたいと選んでもらえない。当たり前の先に最高があって、だけどそこには届くのは簡単じゃない。だから一回一回が真剣勝負。そういう真剣勝負のケーキを作る」


「相手が、知っているひとだからですか? いつものお客様よりも、特別だから?」


 幸尚が、くしゃっと苦笑したのがわかった。はずれの質問をしてしまったなぁ、というのは奏でもわかる。何を聞きたかったのか、自分でもわからない。ただ知りたかったのだ。彼のものづくりを。

 その気まずくなりかけた空気を払うように、幸尚が素早く言った。


「こういうときに、普段のお客様とか特別なお客様とか、そんな区別は無いよって言うのが正解なのはわかる。だけどさ、敢えて言うけど……、答えは君がもうさっき言ってた。忙しい時間を縫ってわざわざここまで来て、俺がケーキを作るって言ってんだよ。そんなの、特別な相手に決まってんじゃん」


 本当に、聞き取りにくいほどの早口で。

 横を向いてしまった頬がほんのり染まっていて。

 そういった彼の態度が、言葉以上に雄弁に語っていた。


 祝いたい相手がいて、祝いに来た。

 自分が一番自信のあることで、最高のお祝いをしたい。

 そのためのケーキなんだと。

 普段のお客様よりも特別。だけど、わかりやすい形でそうとは言えない相手のために。


 照れてしまった幸尚を見ているうちに、奏も落ち着かない気分になってきた。

 顔をそらして、さかんに目を瞬く。


(私もこんな風にまっすぐに、お祝いをしたい。一人で焦ってごちゃごちゃ考えてばかりいないで、結婚おめでとうって言えるようになりたい)


 なんだか涙が出てしまいそうで、一生懸命ごまかした。


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― 新着の感想 ―
[一言] >当たり前の先に最高があって、だけどそこには届くのは簡単じゃない。だから一回一回が真剣勝負。そういう真剣勝負のケーキを作る 小説も一緒ですよね( ˘ω˘ )
[良い点] 若いからこそのこういう純真な感じ いいですねぇ(*'▽')の パイポイは奏ちゃんを応援しています笑 (スポンサー風) [一言] この二人に香織んがどう絡むのかも楽しみだなぁ笑
[一言] ユキがデレた…!いや、わざわざ来ている段階でデレを発露させてるから今さらなんだけれども…! (*´ー`*)………奏ちゃん、ユキくんルート行っちゃう?かおりん、踏み台にして飛び立ちなよ。かお…
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