王子様業、試練(4)
目的の駅に着き、バスに乗り換えて県立美術館まで移動。
初めて来るという聖に、まどかは自分の知る限り常設展や建築の説明をしつつ館内をめぐる。美術館のシンボル的な存在、地元出身で国内外で名の知れたアーティストの作品には、大きな犬の像や体験型の家モチーフのような現代アートもあり、二人で見ながら色々言い合ううちに時間はあっという間に過ぎた。
カフェで一息つく頃には視察という本来の目的も忘れるほど満喫していて、地元食材を前面に押し出したメニューを堪能して「こういうの良いですよね」と和やかに会話し、美術館を後にしてはじめて「はっ」と我に返る。
「私、ふつうに楽しんでしまいました。西條さ……聖さんは見たいものを見ることができましたか?」
時間としてはまだ昼の一時をまわったばかり。駅に戻るバスに乗り、新幹線の時間を念のためスマホで調べつつまどかが尋ねると、聖はのんびりとした声で答えた。
「うん。いますごく楽しいから、今日の目標は達成かな。見たいものは見れているよ」
ふと視線を感じて顔を上げてみれば、聖のまなざしがひどく優しくて、まどかはそのまま固まってしまった。
くす、と聖が笑って「どうした?」と聞いてくる。
まどかはゆっくりと息を吐きだして、ぎこちなくも笑ってみせた。
「綺麗だなー……と思いました。まだすごく緊張するんです。こうも距離が近いと」
「顔? 気にしているみたいだけど、気にするところじゃないと俺は思うよ。だいたい、いくら気にされても顔は変えられないから、末永くお付き合いするならそろそろ慣れて欲しい」
ほとんど人の乗っていないバスの車中にて。のどかな風景が窓の向こうを流れて行き、エンジンの唸りが体に震動として伝わってくる。
聖の表情はやわらかく、怒りや悲しみといった負の感情はおよそ感じられない。しかしそれは彼の自制心ゆえで、まどかの返答次第では彼に強い負荷をかけてしまうことが、このときはっきりと意識された。まどかはそっと吐息する。
「今日はせっかく誘って頂いたのに。また私、自分の自己評価の低さに聖さんを巻き込んでますね。気をつけようと思っていたのに、どーもうまくいかなくて」
「美術館で一緒に過ごしている間はそう見えなかったんだよな。そのスイッチ、どこで切り替わってる? この際、スイッチ壊そう」
明るく言われて、胸の中のもやもやがすっと晴れていく。
どこかでぱちんとスイッチが切り替わって、聖に対して臆病になるというのなら。
そんなもの、壊してしまいたい。
いつも恐れず近寄って、彼に必要とされ、安心して頼られる存在になりたい。心からそう願っている。
(そうじゃないと、二人でいる意味がない)
「私はまず、この自信のなさを克服しないと、ですね」
「どうすれば克服できる? 俺がまどかのこと、もっと好きだって言葉にして、態度で示せば何か変わる?」
「ん~、これは結構根が深くて、他人がどうというより自分の問題なんですよね!」
聖の声が聞こえていなかったわけではないし、無視しようとか流そうと意図したわけでもない。
ただ、自分の考えを伝えるのに腐心した結果、流してしまった。
好き、を。
(あ、あれぇ~~~~~~~~~~!? わ、私いまとんでもないことをした!? もう一回、もう一回言ってもらうことって可能ですか。可能じゃないですよね可能じゃないです、わかってる、わかってる……)
完全にやらかしてしまったと気付いても、もう遅い。
あうあうと後悔を噛み締めている間に、乗車時間十分はすぐに過ぎて駅前到着。
プシュ、と排気音を聞きながら降車して「これからどうしましょう」と弱気に尋ねてしまった。
「せっかくだから少し歩いてみようか。何か面白いもの見つかるかも」
その声に誘われるように、まどかは辺りを見回す。
昼間だというのに、駅前にはさほどの人影もない。「鄙びた」というイメージに近く、有り体に言えば閑散としている。
「面白いもの……」
(あてもなく歩いて、何も面白いものが見つからなかったら? この忙しい時期に、歩きまわって疲れただけで時間を無為に過ごして夕方になったら帰路に……)
そこまで考えて、まどかは目の前の聖の両腕にがしっと両手で掴みかかった。
「振り回されてください!」
「はい」
「私だって、好きなひとと一緒だったらどこで何をしても楽しい~! というテンションで生きたいんです。それこそ、何も得るものがなくても『今日一日二人で過ごした時間が宝物です』って素直に言いたい。でも。何も見つからないのも寂しいので。あの、本当は行ってみたいカフェとか美味しそうなものとか私も調べてきているので、この際エスコートされてください!」
叫んでしまった。
掴みかかられたまま聞いていた聖は、ふっと表情をやわらげる。
「良いんじゃないかな、そういうの。どこ行くとか何するとか、二人で過ごすための口実みたいなものだし。俺はいま何していてもすごく楽しいよ」
「あ~~っ!!」
叫び二回目。悪いと思いつつ遮って、ここぞとばかりに言い返した。
「そんな極上の笑顔で、ストレート過ぎること言わないでください! 耐性ないんですから、失神したらどうするんですか!?」
「すごい言われようだけど、俺さっき『好き』って言っても流されたからこのくらい」
「その件につきましては大変申し訳ありませんでした!」
恥ずかしさゆえに早口になりつつ、まどかは精一杯の謝罪をする。青い目を瞬いていた聖は、そこでにやりと口角を上げた。
ちょいちょい、と手招きされて(耳を貸せ、と?)自分なりに解釈をして、まどかは横を向きながら背伸びする。
ちゅ、という軽いリップ音が耳に直に響いて、まどかは即座に耳をおさえて震え上がった。唇が触れた感触。かあああっと顔に血がのぼってきた。
「い、い、いま、いまの、ここここ、公衆の面前で……っ」
「大丈夫。叫んでも騒いでも、ここ、ひとがいないから。誰も見ていない」
聖は自信たっぷりに言ったが、少ないなりにひとはいるし注目されている。
「聖さんは目立つんですから自重してください!」
「もし目立っているとすれば、俺よりまどかの声」
聖にさっくりと言い返されて、まどかはそれ以上何も言えずに退却。
追い詰めるつもりはハナからなかったのか、聖はすぐにまどかの手を取る。見上げると、楽しげな瞳がまどかを見ていた。
「じゃ、行こう。せっかくの時間を無駄にしたくない」
「そうですね」
目をそらしながら、まどかは聖の手を握り返す。
そのとき、心の片隅で。
不要になったスイッチが、ぱちん、と壊れた。