王子様業、試練(1)
ほぼ内装の仕上がったカフェスペースから、さっと現れた長身の人影。
見慣れているはずなのに、野木沢まどかは全身がはっきりと緊張するのがわかる。
ちらっと彼から視線を向けられ、閉館間際の受付カウンターに立ったまま微笑み返す。それが精一杯の反応。
心の中では、叫んでいる。
(どっっっこからみてもイケメン……っ。目が慣れない。西條さんって、本当にまぶしい。見た目は素敵で)
無意識に見た目意外に疑問を呈してしまってから、こほん、と咳払い。
もちろんスペックだって最強だ。難があるとすれば性格……。
「館長、少し良い?」
あっという間に距離を詰めてきた西條聖が目の前に立っていて、声をかけてくる。
近づいてくるのは見えていたし、用があるんだなと思っていたのだが、いざその声優のような美声で話しかけられると腰砕けになりそうだ。
「何かありましたか」
声が裏返らないように気をつけて、聞き返す。恐ろしく綺麗な青い目がきらりと輝いて、瞬間的に見惚れて息が止まる。
「明日の休み、あいてる? というか、絶対無理な用事がないなら俺に時間くれない?」
(……ふつう、こんな誘い文句言えないと思う……)
答えにつまって、変な笑いを浮かべてしまった。
聖は、初めからまどかに断らせる気がない。自分の思いつきや計画が先にあって、そこに必要なパーツを集めるように誘いかけてくる。
いわゆる三十女のプライドが邪魔して、それが少し引っかかる。そんなに簡単にしっぽ振ってついていくと思われているなんて、と。
その一方で、(素直になった方が良いんだろうな、こういうとき)ともわかっている。このストレートな申し出に対して、少しでも自分の価値を高めようともったいぶるほうが、みっともない。
天秤の両端で、その思いがぐらぐら揺れる。
自分のことながら、面倒くさい。
「返事は?」
「……行っても良いです」
「嫌? 他に何かあった?」
素直になりきれなくて。焦らした挙げ句に「それじゃ、他あたる」と言われたら落ち込むくせに。
たたみかけるように問い詰められることに、ほっとする。完全に惚れた弱み。恋愛敗者。こんな風に彼に翻弄されるのが嬉しいなんて……。
(今からこれじゃ、きっといけない。この先も逆らえなくて、このひとの機嫌ばかり気になる弱々メンタルになる……。いずれはDV、搾取なんて。それでも離れられなくて)
一瞬で遥か先まで、最悪の従属関係を妄想してしまった。まどかは痛む胸に手を置き、聖を見上げて切々と言う。
「西條さんに悪気が無いのはわかっている、つもりなんです。でも気軽に『明日どう』って誘われると、どうしても軽いな~と思ってしまって……。私は年齢も年齢なので、軽い誘いに乗るのはプライドが邪魔するんです」
言い終えた瞬間からはじまる、後悔。
素直に現在の心境を伝えようとしたら、想定以上に素直になりすぎた。
聖は驚いたように目を見開いて、まどかを見下ろしてきた。口をぱくぱくと何度か空振りのように開いて、絞り出すように言う。
「ごめん。全然そんなこと考えてなかった。言われてみればたしかに、俺は軽い。館長はそういうんじゃないよな、悪かった」
「いえいえ、私も意地悪に言い過ぎました。怒ったとかじゃないんです。本当は、焦らすみたいな態度、自分がやっても絶対にすべるだけで誰も何も楽しくないってわかってるんですよ。私みたいに、何もない女が素直さもなかったらどうするんだっていうか」
聖の顔つきが、ムッとしたものになる。まどかは、ひえっと怯んだ。逃げたい。
(美形の凄み、迫力~~)
「館長、それは自分に対して言い過ぎ。『軽く扱われているみたいで嫌だ』って思ったなら、それで良いよ。変に譲歩しない。今のは俺が改めるべきところで、館長が引け目に思うところじゃないから」
強い口調できっぱりと言われた内容は、まどかを責めるものではない。だが、不機嫌そうな西條聖、というだけでまどかは追い詰められた心境になってしまっていた。
「なんかすみません」
「謝らない。館長がそのレベルの内容で謝るなら俺は土下座するぞ。怖いだろ」
「もうすでに怖いです。無理」
「無理って言うなよ。無理じゃないようにするから。どうすれば良い?」
「凄まないで頂けると……」
もともとムッとした顔つきだった聖だが、いよいよ柳眉険しく見下ろしてくる。もう逃げたい。
「凄んでないけどそう感じるってことは……。ちょっと待って、思い出す。俺は常緑にそこまで怯えられた覚えがないんだけど、何がどう怖い……?」
聖は記憶をたどるように眉間に指をあて、目を閉ざす。その呆れるほどに整った顔を見上げて、まどかは気づかれぬように息を吐き出した。
(西條さん、自分の攻撃力に無自覚過ぎる……。常緑さんすごい、絶対に猛獣使いだ。こんな威圧感あるひとにどう接していたんだろう。若い頃はそうでもなかったとか? まさか)
自分が常緑さんのように振る舞えれば、聖とうまく付き合えるのだろうか? と考えて、すぐに打ち消す。常緑になりたいわけではない以上、それだけはだめだ。
「私が西條さんのこと怖いと思うのは、その勢いだと思います。ひとを振り回しそうな感じ。今まで自分のペースで生きてきたから、強引なひとを警戒してしまうんです」
「わかった。でもすぐに実践できるかわからない。館長、後学のために、館長が思う『ひとを振り回す』を俺に教えてくれないだろうか。つまり、俺を振り回してほしい」
「それは無理というもの」
「無理じゃない。やればできる」
力強く言われても、と動揺するまどかに対し、聖は破壊力のある笑みを浮かべて囁いてきた。
「明日は館長に振り回されようと思う。よろしくな」
「お、おかしい、おかしいです……! 全体的に間違えていると思います!」
「間違えてない。こういうのは実地で学ぶのが一番。待ち合わせの時間と場所を決めよう。俺は行きたい場所とか目的もあったけど、明日の館長の気分次第で何言い出しても全然良いから。たいして急ぎじゃないし」
「わー! 絶対何か違う!」
すでに、にやにやとしている聖。わざと言っているようにしか見えず、まどかは思わずカウンターから身を乗り出す。
目が合った聖は、くすっと笑った。
まどかはよほど何か言ってやろうかと思ったが、なにぶん現在美術館は閉館前。
通りかかった年配の女性スタッフに、「仲良いわね」とにこっと微笑まれたところで、言おうとした内容が頭から吹き飛んだ。顔に血が上ってくる。
そのまま、ずぶずぶとカウンターの内側でしゃがみこんだ。
もはや強く言い返すこともできず、ただ心の中でひたすらに、ぼやく。
(そういうところが強引なんですってば。明日私にどうしろと……!?)
もしかしなくてもあれはデートの誘いだよな、というのは家に帰ってから気付いたが、無茶振りの衝撃のせいで聖の意図はさっぱりわからないままだった。




