同病相憐れむって、一緒にしないでほしい(2)
「香織さんっ」
ステイしている場合じゃない、と光樹は店の中に飛び込んだ。
(瘴気とか闇とかセロ弾きのゴーシュ殺人事件とか、本当に事件になってからじゃ遅いっていうか!)
夕闇に沈む店内は、暗かった。そのあまりの暗さに、思わず本音が口をつく。
「これはっ、営業中の照明じゃない……! 和明さん、明かりどこですか!」
「光樹、大丈夫だから」
暗がりから、香織が姿を現した。さっと全身に視線を走らせ、無事を確認。ひとまずほっと息を吐き出し、光樹は緊張を解いた。
「無事でしたか。さっき悲鳴が」
「樒さんを踏んで、びっくりしちゃった」
ひっと短く息を呑み、光樹は口元をおさえた。セロ弾きのゴーシュ殺人事件、と呻く。香織は「何言ってんの?」と軽い調子で言って口角を持ち上げた。
「生きてたよ。なんか言ってた、たぶん」
「生きている以外、不確定情報しか無いんですけど」
「大丈夫大丈夫、生きていればどうにかなるから」
「そんな、全滅エンドだけ免れた後の、アニメの最終回みたいなセリフ言われても」
テーブルや椅子の輪郭がぼんやり見えるだけの店内を見回し、光樹は最後にカウンターへと目を向ける。窓からの薄明かりが届かず、一際闇の濃くなったそこに、長過ぎる足が伸びているのが見えた。なんとか視線で追えば、客席側の椅子にだらりと体を投げ出すようにだらしなく座り、カウンターに突っ伏している大きな人影があるのがわかる。灰色髪の後頭部を見て、それが誰かを確認。
「せめて店閉めてから倒れましょうよ和明さん……。お客さん入ってきちゃったらどうするんですか」
曲がりなりにも客商売なんですからと光樹が言う横で、香織は体を半分に折り、腹を押さえてくっくっく、と笑い声をもらしていた。
「光樹厳しいな。本当に具合悪くて倒れているってことも、あるかもしれない。それなら明かりをつけることもできないよな? それこそ、入ってきたお客さんに気づいてもらって救急車でも呼んでもらわないと」
「和明さーん、救急車呼びますかー?」
一理あると納得して、念のため確認。
うっそりとした緩慢な動作で起き上がった樒(本名:樒和明)は、顔の前に落ちてきた髪を指でかきあげながら「あ~……うるせぇ……」と陰々滅々とした低音で吐き出した。
「こんな店、俺がその気になれば誰も入って来ねえから大丈夫だよ」
「和明さんが暗黒の魔術師みたいなこと言い出した。客避けの結界でも張れるんですか。自爆芸にもほどがあると思うんですけど。店潰れますよね?」
「働きたくないときは働かない。それが自営業だ」
どうも会話が成立した気はしなかったが、樒が働きたくないということだけは理解できた。
そこで、ぱちりとカウンターの内側に明かりがつく。香織がスイッチを探し当てたらしい。
「勝手なことするな。営業中だと思われたらどうする」
「暖簾さげてくる。樒さん大丈夫かなぁと思っていたけど、思った以上にお疲れだね」
苦笑を浮かべて答えた香織が戸から出ていき、てきぱきと閉店業務を進めていた。手伝うタイミングを逃して見送った光樹は、やる気のなさそうな樒を遠巻きに見て「何があったんですか」と尋ねた。
「べつに……。やる気がないのは平常運転だよ」
「最近はまともになったって梓さんから聞いていたんですが。まともさはどこへ……どうしちゃったんですか」
言ってしまってから、光樹は(あれ、これもしかして落ち込んでる?)と気づき、ようやく口をつぐんだ。
戻ってきた香織が、うんうん、と無闇と頷きながら樒に代わって返事をする。
「最近は柄にもない王子様業をしていたから疲れたんだよ。この、軟体動物みたいなグダグダしたのが樒さんだよ。俺はこっちの樒さんの方が安心するなぁ」
(王子様業? つっこみにも限界があるんですが)
光樹はひとまず、薄く笑うにとどめた。何か、足を踏み入れてはならない爛れた空間にお邪魔してしまった感は、ひしひしと感じていた。




