後始末をするひと(3)
「たしかに、お前の姉さんが『海の星』に行く前にばったり会って、手土産選ぶのを手伝ったりはした。貸しといえば貸しかもしれないけど、俺からするとあれは返しただけなんだよな。その前日に伊久磨を借りたから。ほら、あの日は光樹も店にいただろ。『海の星』に俺が樒さんたちと行ったとき」
あの後飲んで伊久磨が朝帰りで……と香織が状況を説明してくれるも、正直なところ光樹はぴんとこない。
居間に通されてちゃぶ台に向かって座り、香織に淹れてもらったお茶を飲みつつ首を傾げて尋ねた。
「なんで伊久磨さんが朝帰りをすると、香織さんが姉ちゃんに対して責任取るんですか? べつに友達同士で飲んでいたのは浮気でも不倫でもないですよね。その朝帰りには、どんな責任が発生するんですか?」
光樹からすると、伊久磨は大人でありその行動に責任が伴うのはわかる。パートナーに対して何か後ろ暗いことをしたのなら、償いが必要であろうことも。
フッ、と苦笑いを浮かべそうになり、お茶請けのどらやきをもふっと口に押し込んでごまかす。
(伊達にうちもフクザツな家庭じゃないんで)
だがその伊久磨を挟んで、香織と静香に謎の貸し借りが生じる理由がわからない。
香織は光樹の鈍い反応を受け、つるりとした顎を手で撫でながら「そうだねえ」と呟いた。
「家庭があるなら朝帰りはしない方が良い。今回は俺がその原因を作ってしまったので、『悪い』ってお前の姉さんに謝った感じかな」
「原因があろうがなかろうが、責任を負うのは伊久磨さんであって、香織さんじゃないような気がするんですが。悪の道にひきずりこんだわけでもあるまいし」
「そうは言っても、あの日は俺が飲みたそうにしていなければ伊久磨も飲み過ぎたりはしなかったわけで……。わざわざ謝るほどじゃないにしても、近々のタイミングで顔を合わせたらごめんねくらいは言うもんだよ。そういうの、お前の姉さん気にしないふりして、すごく気にするタイプだと思うし。お前も彼女とかできたら気をつけた方が……、彼女いる?」
ごふ、と光樹はむせた。
流れ弾に被弾した。
「わかんない、わかんないです。いまのなんで俺の話になったのかわからないですって。そういう香織さんはどうなんですか」
「俺? 俺はいないねえ」
やり返したら、思いがけないほど弱々しい声で答えられて光樹は焦ってしまった。
(予想通りだけど! そんな予想通りの反応しないで欲しい! そこは大人として何か含みとか余裕とかもう少し……!)
その思いが、直に口をついて出た。
「なんでいないんですか?」
「すげえダイレクトアタックされてんだけど俺。出会いがないからとか?」
香織は目を細めて苦々しく口角を上げ、光樹はさらに前のめりになってしまった。
「それは甘えですよ、香織さん。大雑把に考えて世の中の半分は女性だとして、毎日誰かしらには会ってるじゃないですか。外歩けばすれ違うし、コンビニ行けば人もいるし。そういう、腐るほどある人間と接触する機会をひとつもものにできないひとが『出会いがない』って言うんだって、あの、俺の友達が言ってました……」
(しまった。フォローしようとしたのに間違えた)
友達、即ち最近のべつくまなく連絡を取り合っている音楽仲間の、若宮飛鳥。
人生に対する積極性が、光樹とは段違い。何か言い訳でもしようものなら、速攻でやりこめられてしまうのだ。普段は光樹も、飛鳥にやられる側なのだ。それなのに。
「甘えててすみませんでした。だめな大人なので、俺」
「いえいえいえいえ、すみません俺が、言い過ぎました!! 香織さんは立派な大人ですよ!! 香織さんみたいになろうと思ってもなかなかなれないと思います、立派だなぁ」
「光樹、もういいから。高校生にすごく気を使われている俺が痛々しいと思うなら少し黙ろうか」
香織にやんわりと止められて、光樹は「ごめんなさい」と言いながらその場に座り直した。正座で。
あぐらをかいていた香織は疲れた微笑を浮かべて「謝らなくて良いよ」と言う。
光樹はその空気を変えるべく、何か言わねばと思考をめぐらせて、とっさの思いつきを口走った。
「あの、借り返してこいって姉ちゃんに言われてた件。姉ちゃんが香織さんに借りがあるのはなんとなくわかったので、晩飯でもどこかに行きませんか! 姉ちゃんに請求するんで!」
勢いのままに言うと、にこにことしていた香織は、一言。
「いいけど。彼女のいない者同士なぐさめあう会?」
かなり大人げない返事だった。
(根に持たれた感)
光樹がどう返事をしようか悩んでいると、香織は「あ」と何かに思い当たったような顔をする。
「光樹に彼女がいないとは聞いていなかった。決めつけて悪かったな」
「いやいやいやいやいや、いませんいません。いませんよ~、香織さんを差し置いてまさかそんな」
「あのね……、その反応それはそれで辛いから。俺って面倒くさい男なんだなって思い知る感じが」
「ああ……」
否定して、「そんなことないですよ」と言う場面だったのに、言葉に詰まってしまった。それが、香織の苦笑を誘う。
「光樹は正直者だね。俺の周り、複雑怪奇で根腐れ起こしたような大人ばっかりだからそういうの新鮮」
光樹は、素直に「なんかごめんなさい」と謝った。香織は、くすっと声を立てて笑う。
「気にしてないよ。それより、せっかく食事なら他にも誘おうか。そういえば、話を聞いておきたいひとがいたんだよね」
そう言いながら、立ち上がる。つられて光樹も立ち上がり、首を傾げて尋ねた。
「誰ですか?」




