花香
海の星でのディナーに向けて、服選び。何を見ても目が滑って選びかねていた女性二人の助っ人は、長身痩躯の美青年。
まるで目当ての店、買うべきものがあらかじめわかっていたかのように、即断即決だった。「そこのマネキン、上から下までで良いんじゃない? 絶対に似合うよ、静香」などと、選び方も勧め方も余人に真似のできないスマートさで、あっという間に買い物終了。
まどかも、便乗して服を選んでもらっている。「野木沢さんは、敢えて飾り気ないのが良いと思います。アクセでメリハリつけて。その方が、本人の綺麗さが際立つから」との見立てで、てきぱきと店員にイメージを伝えて品を出してもらって「この中だったら、これが似合いそうです。試着してみませんか」と。
あまりの手際の良さに「慣れてるんですか、女性の服を選ぶの」とストレートに聞いてしまったくらいだ。なお、本人は至って真顔で「特に、そういうわけでは。自分の服選ぶときと同じ感覚です」とさらっと答えてきた。まどかは、ひそかに絶句した。
(男の人がどこで服を選ぶかなんて考えたこともなかった……。若社長は百貨店で店員さんに相談しながら自分で選んでいる、と。他のひとに同じことされたら、気後れするかドン引きした気がするんだけど。椿社長は嫌味がなくて押しつけがましさもなくて、様になっているというか。異性というより、人間として惚れ惚れしてしまう……!)
呆気にとられたが、嫌な感覚は一切なかった。圧倒的すぎて、「良い経験をした」というお得感があった。
「ずいぶん付き合ってもらっちゃって……、時間は大丈夫だったの?」
「大丈夫。それより、二人とも歩きだったんだよね? 荷物もあるし、このまま海の星まで送るよ。時間、ちょうど良いくらいじゃない?」
買った服を試着室で来て、化粧室で化粧直しという慌ただしい身支度を終えて。
紙袋をいくつも持って、壁に寄り掛かることなく待っていた椿に静香が声をかけたら、気安い調子で提案される。
「たしかに家に寄ったりするほど時間はなくて……、すみませんいろいろと」
「いえいえ。俺の手土産もありますから。お酒はいまタブーってことで、違うの選んだんですが」
まどかが声をかけると、椿は地下の食料品街で買った紙袋を軽く持ち上げた。そこに静香が手を伸ばして「荷物、ごめん」と奪い取ろうとする。椿は「いいよ、車まで持つだけだ」と言ってその手をかわした。
動きに沿って、ほんのり甘い匂いが薫るのは和菓子職人という仕事柄であろうか。優しげな顔立ちに浮かべた微笑まで、ひどく甘く見える。
(齋勝さんと並ぶと、妙にしっくり来る……)
一歩引いた位置から二人のやりとりを見ていたまどかは、奇妙な切なさに胸が痛むのを感じた。
見てはならぬものを見てしまったような、背徳感。
二人は幼なじみの間柄で、静香の結婚相手である蜷川は椿の親友でもあるらしい、と理解している。それなのに、目の前の二人を見ていると、不安になるのだ。
椿は親切で、礼儀正しい。
静香はさっぱりとした裏表のない性格のようでいて、がさつさはなく節度がある。
二人とも、他人との距離感をはかるのが上手そうに感じる。しかし当の二人の距離が、微妙なのだ。決して不用意に触れ合うことはない。親密と呼ぶほど近くもない。むしろ、意識して接近しすぎないようにしている節がある。あまり目を合わすこともない。そのぎこちなさが、痛々しい。
かつてこの二人は、今とは違う関係性だったのではないかと、憶測しそうになる。
(やめよう、過去は過去だ。外野が考えることじゃない。以前どんな関係だったとしても、いまこの二人が蜷川さんを大切にしているのはわかる。やましいことをしているわけでもないのに、変な目で見るべきじゃない)
「椿さんが買った差し入れは、なんなんですか?」
「最近出店したピクルスの店で、一通り包んでもらいました。リンゴ酢の甘めのピクルスとか、にんにくと唐辛子で漬け込んだきのこのピクルスとか、いろいろありましたね。酒のつまみに……。いや、これ以上あいつら飲ませている場合じゃない。渡すときに、まかないの付け合せにでも、って言っておいてください」
もやついた空気を振り払うようにまどかが口を挟むと、自然に会話が始まる。違和感はどこにもない。
やはり、静香と椿の関係に言い知れぬ背景があると勘ぐってしまうのは、自分の考え過ぎ。そう思いながら二人の横顔を見たとき、あ、と声にならない声がもれた。
細身で圧迫感は無いが、椿はかなり長身の部類だ。静香もまた、女性の平均よりはずいぶん背が高い。
その二人を同時に視界に収めたときに不意に、閃いたものがあった。
やはり面差しが、ひどく似通っている。男女の違いはあるが、絵描きとして人相の特徴を瞬間的にとらえるまどかとしては、二人の相似は他人とは思えなかった。
(もしかして両親の離婚で別々に引き取られた兄妹とか……。かなり近い親戚とか。それでこの曖昧な距離感なのかも?)
しかし、兄妹とは名乗らなかった。であればそれ以上考えるのはやめておこう、と決める。
いつか知るかもしれない、知らないかもしれない、他人の事情。興味本位でひっかきまわすのではなく、その日が来るのであればその日に考えよう、そう思った。
* * *
結局、椿の車でレストランまで送ってもらうことになった。
駐車場に停めて、「何から何まで……」とお礼を言って下りたところで「ちょっと待って」と言いながら椿も運転席から出てくる。
車の後ろに回り込んで、トランクを開けて何かを取り出す仕草。
物陰から姿を見せたときには、その右手には青ベースのブーケが握られていた。
「花屋によそで買った花で、好みじゃなかったらごめんね。今日結婚祝いの食事って野木沢さんが言っていたから、俺からも」
軽い口調で言って静香にブーケを差し出す。
「えっ、いつの間に用意したの……!? 着替えている間に? 香織手回し良すぎ……っ」
静香が焦ったように顔をこわばらせる。
所感としてはまどかもまったく同じだったので、静香の素直な反応に妙に安心した。世の中、こんな男ばかりでたまるか、という。
驚かれたのが気恥ずかしかったのか、椿は苦笑しながら自分の背に回していた左手も見せる。その手には黄色ベースのブーケ。
「こっちは明菜ちゃんに、昨日のお詫び。っていう軽い挨拶程度のものだから。渡しておいてくれる? 静香もあんまり気にしないで受け取って。俺まで顔出すとまたあいつらも気を遣うだろうし、仕事邪魔しちゃうからここで帰る」
そこまで言って、ちらっと視線をくれて「野木沢さんに祝うことがあったときは、もっときちんとしたの贈ります」とフォローも欠かさない。まどかは思わず笑ってから、頭を下げた。
「お祝いだなんて言いながら、私、齋勝さんに何も用意できなくて。綺麗なお花のおかげで食事がますます楽しみになりました。ありがとうございます」
椿は夕暮れ時の風に目を細めて、小さく頷く。
淡く微笑んで「楽しんできてくださいね」と、優しく響く声で言った。
ほのかな甘い匂いと花の匂いが、風に柔らかに香った。