パリピ
百貨店にたどりつき、婦人服エリアを上から下まで一通り見て回ったものの、決め手に欠けて収穫もなく。
一度休憩をしましょう、と地下食品売り場の一角、パン屋のイートインでコーヒーを手に向かい合ったところで、静香が言い出した。
「今日着る服に困って探しているのに、店員さん必ず『キレイめの服なので、ちょっとしたパーティーにもお使い頂けますよ』って謎のお得感出しながら接客してきますよね。あれ何なんですかね……? 世の中のひとは、そんなにパーティーにお呼ばれしているんですかね?」
それはもう貴族じゃなくて……? と独り言のようにぶつぶつと続けている。
紙コップのコーヒーを一口飲んでから、まどかもため息をついた。
「女性向けの雑誌でもその言葉よく見ますけど、私もずっと不思議に思っていました。パーティー……? 婚活パーティーとか、たしかに無くはないですけど。あれも結婚式の帰りみたいな服で行ったら絶対浮くと思う。もっとさりげなくっていうか」
「婚活パーティーか。東京いた頃、そういった会場のコーディネートを担当したこともありますけど、自分じゃ出なかったから……」
遠くを見る目をした静香も、コーヒーに口をつけて小さくため息。顔を上げてからまどかと目が合うと、あのー、と前置きらしい前置きもなく言い出した。
「気になっていたんですけど、野木沢さんは西條さんのどこが良いんですか? 顔以外で」
「顔、以外……」
「ごめんなさい、つい直球で。もちろん良いひとだと思うんですよ。でも何かと面倒な男ですよね? あ、いえ、すみませんまた失言を」
静香は片手を立ててごめんなさい、という仕草をしつつもう一方の手で自分の口を押さえる。その気さくな様子にまどかは笑みをもらしつつ、「まだほんとに、何もないんです」と告げた。
「何かあったら良いなって、ようやく思い始めたところなんです。ずっと、奥様のいる方だと思いこんでいたので、距離感もわからなくて。今、本当に少しずつ、そばにいられたら良いなって考えるように」
正直に伝えると、静香は両手で口元を覆い、目を瞠って言った。
「奥ゆかしい……! 素敵な奥ゆかしさですね。それはもう、恋ですね。聞いているだけでときめきます」
「いえいえ、そんな。何も始まってませんから!」
「始まってますよ、大人の恋が!! 西條さんって良い男ぶってるし大人風吹かせてくるとこありますけど、野木沢さんの前では可愛くなっちゃったりしそう。やばい想像だけで楽しい」
ふふ、ふ、と笑い声を漏らしている。面白がられてるなぁ、と思いながらまどかはコーヒーを飲み干した。そのとき、テーブルに影が落ちてきた。
「何笑ってんの。西條がどうした?」
静香が凍りついて動きを止める。
この声、と思いながらまどかが顔をあげると、果たしてそこには水も滴る黒髪の美青年が立っていた。
「こんにちは。その節はお世話になりまして。珍しい組み合わせだから声をかけてしまいました」
「香織、こんなところで何してんの……っ」
余裕綽々といった椿屋の社長に対して、静香は明らかに動揺し、顔を強張らせている。
「俺は納品で。ここに出店しているんだけど、大口の注文があったんだ。菓子折まとまった数すぐに欲しいって。店頭の商品じゃ足りないから、本店で用意した。そうだ静香、昨日ごめんね。伊久磨の朝帰り。喧嘩しなかった?」
仕事の話からプライベートにさっと話題が移行し、まどかは二人の関係性をおぼろげに掴む。つまり彼を挟んで共通の知り合いなのだろう、と。
(名前で呼び合っているところを見ると、かなり仲が良い……? あれ? 顔立ちも雰囲気も少し似ているかも。名字も家業も全然違うから、家族じゃなくて親戚か何か?)
静香は眉間にシワを寄せ、椿を睨みつつ答えた。
「相手が誰かはわかっていたから……そこはべつに」
「うん。昨日は俺が飲みたそうにしていたから、伊久磨も気を使っちゃったんだよね。もう独身のときとは違うだろって帰せば良かったんだけど。岩清水の馬鹿もいたし。明菜ちゃんは大丈夫だったかな~」
笑ってしゃべっている椿だが、よく見ると顔色が良くない。やっぱり二日酔い? と気になるも、聞ける間柄でもないまどかは気配を消して二人の会話を見守るのみ。一方の静香も、先程までと打って変わってどこか沈んだ様子。すでに飲み終わっていたコーヒーカップを握りつぶして、何か言いたげに椿を見上げた。
大きな瞳が、口ほどに物を言っている。訴えるまなざし。気づいた椿が小首を傾げて静香の顔をのぞきこむ。
「どうした?」
「べつに……、飲みすぎたのは香織も一緒でしょ。大丈夫かなって。ほら、納品って運転してきたんでしょ? 朝まで飲んでて、もうアルコール抜けてるの? 飲酒運転になってない?」
「実は俺はそこまで飲んでない。四時から働いてるし。酒臭いって湛さんには怒られたけど。湛さんが怒っているのは、いつものことだから」
明るい調子で話していた椿だが、口をつぐんだ。黙り込んでいる静香に対して「そういうことじゃなくて?」と尋ねる。静香は息を吸い込んで、吐き出した。
「『独身のときとは違う』とかさ、そういうの、私は別に良いんだって。伊久磨くんには香織を優先して欲しいって思ってるから。香織もあんまり私のことは気にしないでよ。謝られても」
「それこそ静香が気にするところじゃないよ。俺と伊久磨は前と変わらず仲良いから。友情は永遠。誰かに頼まれなくったって、伊久磨は俺を優先する。それでも、伊久磨の一番はこの先ずっと静香だよ」
さらっと言ってから、椿はまどかに目を向けて「ごめんなさい、長話になってしまって。お邪魔しました」と謝ってきた。
「いえいえ全然、お気遣いなく。仲良いなって……」
「俺と齋勝は中学の時からの知り合いなんです。ところで今日はこの二人で、どういった集まりなんですか」
「たまたまですかね。夜に一緒に『海の星』に食事に行くことになって、着る服を探しに」
不意をつかれたせいか、正直に言い過ぎた。椿は目を丸くして「わざわざ?」と聞き返してくる。すかさず静香が、椿の腰に拳をめりこませた。
「あのお店に、変な格好で行けないでしょ……! そりゃ香織は普段からブランド品しか着て無いし、『ちょっとしたパーティー』にお呼ばれしても気後れしないセレブだから悩まないだろうけど、一般人は違うんだってば」
「なにその『ちょっとしたパーティー』って。俺、毎日早朝から黙々と工場で働いている職人だけど」
ふきだして笑っている椿の姿を見て、まどかは(セレブ……)と納得した。シャツにジャケットを羽織った姿は、垢抜けた顔立ちとあいまって小綺麗で洗練されている。仕事で来たということだが、そのまま食事に行ってもなんら不都合のない装いだ。
「参考までに、セレブは普段どこで服をお買い求めに……」
つられてまどかが尋ねると、椿は「ええ?」と首を傾げてまどかを見てから、腕時計を確認した。
「二人ともまだ何も決まってない感じですか? 夜の食事って十八時くらい? 選んで着替えて化粧直すとしたらもうあんまり時間無いけど大丈夫?」
午前中から動いていたはずなのに、すでに昼過ぎ。気になっていたことを言われた女二人、静香が先に口を開いた。
「そうなんだってば~! もう、先に差し入れでも選ぼうかって、思ってた。ここの地下で何か。椿屋じゃなくてね、もっとべつの」
「時間無いなら俺が選ぼうか? 俺も海の星に昨日のお礼したかったし、地下名店街に顔出しがてら付き合いで何か買って帰るつもりだったから、ちょうど良い。カヌレと焼き菓子の美味しいお店があるからそこでいいかな」
「その調子で服も選んで欲しいくらい。いろいろ見すぎてもうよくわかんなくなっちゃった」
てきぱきとした話しぶりの椿に、絡む静香。やはり口を挟めず見ていただけのまどかであったが、椿は「べつに構わないけど」となんでもない調子で言った。
静香を見て、まどかを見て、軽く頷く。
「伊久磨の好きそうな服と、西條の好みってことだよな。わからなくもない、たぶん大丈夫」
言われたまどかは、展開についていけずに黙り込んでしまった。
今更ながらに、西條みたいなセレブっぽいパリピと自分は住む世界が違うのではとか、良い年した大人なのにこのひとたち友達付き合いが密で情報が早いな……? と思わないでもなかったが、偏見は良くない、と自分に言い聞かせる。
ひとりひとりは、話してみた感じ決して付き合いにくいわけではなく、不真面目な遊び人でもない。変に自分から壁を作らないようにしよう。そうしよう。ほとんど念じるように心の中で繰り返す。
椿はただただ非の打ち所無く爽やかに、「では早速行きましょう」と声をかけてきた。