朝帰りのマリッジブルー
☆前回で第44章終了、その後の話です(๑•̀ㅂ•́)و✧
「あれっ。そっか、美術館、月曜日休みだ」
閉ざされたガラス扉の前に立ち、顔を貼り付けるようにして中をのぞきながら大きな独り言。
すらりと背が高く、健康的な印象の後ろ姿。
休館日、まどかは仕事でもなくたまたま通りがかったところ。お休みなんですよと思いながら通り過ぎようとしたが、見知った相手であると気付き、歩み寄って声をかけた。
「こんにちは。フローリストの齋勝さんですよね……?」
「あっ、野木沢館長。こんにちは。確認しないで出てきちゃって、お休みでしたね今日。館長は休日出勤ですか?」
振り返りざま、畳み掛けるように言われて、勢いに押される。
銀細工風のバレッタでまとめた髪に、グレー系のフレンチスリーブのトップス、細身のデニム。大きなバッグを肩にかけて抱え持っている。飾り気は無いが、黒目がちな瞳と細い顎の綺麗な顔立ちがくっきりと際立っていて、目を引きつけられた。
(美人はいつ見ても美人さんだなぁ。エネルギッシュだし……まぶしい)
「ちょっと用事でそこまで。たまたまここ、通り道で。中に何か用でしたか」
「いえいえいえ、お構いなく。私も近くまで来たので、西條さんの間抜けヅラでも見ておこうかと思っただけです。あっ、すみませんいま口がすべりました。工事の進捗見に来ただけなので」
言い直されても、もう遅い。まどかはしっかり来館目的を聞いてしまった後だった。
「間抜けヅラ……、西條さんに何か?」
しまったなー、と言わんばかりに静香は顔を歪めていたが、あっさりと頷く。
「飲み過ぎですよ。昨日、『海の星』の閉店後、男性社員ですごーく飲んだみたいで。全員、二日酔い。間違いなく。美術館に来ていないってことは、西條さんも海の星か……今頃営業どうなってるんだろう。さすがにシェフは大丈夫なのかな」
「齋勝さんは、海の星に仕事で出入りなさっているんでしたっけ。お詳しいですよね」
昨日の夜の話題が筒抜けなのかと、まどかは探るように尋ねる。静香は「あ~」と声を上げながら何度も頷いて言った。
「私、もう少しで結婚するんですけど、彼というか夫というかその、相手が海の星の従業員なんです。野木沢さん、お店行ったことあるんでしたっけ。背の高い、黒尽くめの」
「ああっ、わかりますわかります。すごく紳士的で親切な、ホールの方ですよね。そういうつながりなんですね……!」
聖との距離感や、事情に通じている理由がそこではっきりと掴めた。同時に、蜷川の佇まいを思い出し、静香と並べばいかにもしっくりきそうだと納得する。
「おめでとうございます。そっか、前に行ったときはそんな話はしなかったような……、そうそうシェフが新婚だとは聞いたんですが。齋勝さんもなんですね。いま幸せいっぱいの時期……あれ?」
話の最中に、静香がその場にめりこむ勢いでしゃがみこんでしまった。どういう反応かと、まどかも焦りながら腰を落とす。
「朝帰り……」
「えっ」
「朝帰りですよ、朝帰り。飲んでいたのははっきりしているし、相手は海の星の社員ですし、べつに何も疑ってないですけどね。何も……。でも飲んでいた場所が問題っていうか」
「どこなんです?」
「あの……、西條さんの住んでるところです。社員寮みたいなものなんですけど、女の人もいるし。参加していたかどうかは知らないけど、家に押しかけて男たちで大騒ぎして飲んでいたとか、どうなんだろうって」
「女の人って、藤崎さんですか? 参加していたとしたら……、朝まで……」
(海の星の皆さんも、西條さんも紳士的だとは思うけど、お酒の席。藤崎さんは、参加したくなくても家で飲んでいたら参加せざるをえなかったり。女性ひとりか)
静香がもやついている理由が、まどかにも伝わってきた。後ろめたいことのない、健全な社員同士の飲み会だと聞いても、飲み屋ではなく誰かの自宅で女性も一緒で朝帰りとくればそれはたしかに、気になる。
「私が心狭いのかな、他のひとはこういうの気にしないのかなって思うんですけど。男のひとで仕事の付き合いなんだから、そのくらいあるってやり過ごすのが正解なんでしょうか。だけど嫌なものは嫌で。ここで甘い顔してまた同じことされるのも嫌だし。でもそれ、面と向かって本人には言えてなくて」
「もしかして、それで西條さんに会いに来たんですか? 彼からではなく、第三者の証言をとろうと」
「それもありますけど、どうなのかな。いざというときは、男同士でかばい合うのかも。だけど藤崎さんにいきなり突っ込んだら、疑ってますって感じがすごいし。彼が家に押しかけて迷惑をかけた側かもしれないのに、私から何か言われたら藤崎さん、立場上謝らざるを得なくなったりとか、それもな~」
しまいに頭を抱えて、うむむむむむと唸りだした。
まどかとしては、気持ちは静香寄りだ。聖がその場にいたらしいと聞けば、気になりもする。他人事に首をつっこむなど、普段なら自制するところだが、いまはそれどころじゃないとの思いもある。
「齋勝さん、それ、放っておかない方が良いと思います。気になるのは当たり前だし、相手が職場のひとである以上、この先もずーっと気にしなくちゃいけなくなりますよね?」
「そうなんですよ……。伊久磨くんに限って浮気なんてないと思うけど、職場のひとは私より圧倒的に一緒にいる時間が長いから。それだけに、『意識しています』っていうのもすごく言い辛い。嫉妬なんて面倒くさいじゃないですか。仕事しているだけなのに疑われたくないだろうし」
そこでぐるぐるするんですよ……、と静香は暗い表情でうなだれてしまう。
居ても立ってもいられない思いで、まどかはスマホを手にした。
「今日はこの後、ご予定はいかがですか、齋勝さん。夜は空いていますか?」
「夜ですか、はい」
「じゃあ、一緒に『海の星』に食事に行きませんか? ランチは無理にしても、夜なら一席くらいなんとかなりませんかね。予約入れます、私が。それで、彼の働きぶりを見たり、それとなーく藤崎さんと話したりすれば、気が晴れるんじゃないですか」
「あ、でも、邪魔じゃないかな……」
存外に遠慮がちに言われた。予想していたまどかは「私が行きたいんです。夜に行ったことないから」と言い切る。
静香はまだためらっている様子だったが、まどかはダメ押しとしてその一言を口にした。
「私も気になるんです。その……、私は、西條さんが」