表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
44 花に風が吹こうとも
325/405

和やかで、ときに冷ややかで

「今日の前菜、うまっ。ホタテと生ハムにホワイトアスパラ、ソースは柑橘系でさわやか。全部美味しい、全部好き」


 一口食べるなり、香織が絶賛。テーブルについていた伊久磨が、笑いながら「好きだと思った」と答えると、香織はすかさずシャンパングラスを手にして言う。


「ドンペリに合う。美味しいよ、伊久磨」


 にこっと笑みで答えた伊久磨の肩に、背後から近づいてきた由春が手を置き「お前、後で顔を貸せ」とテーブルの面々に聞こえる音量で囁いた。

 ふふっ、と樒が最初にふきだし、夏月も「俺飲まないからよくわからないけど、あれ絶対高いよね」と香織のグラスに目を向けて言う。

 一口飲んで、グラスをテーブルに戻した香織は、ごく真面目な表情で由春を見た。


「結婚おめでとう、岩清水。今日はお祝いだから、良いお酒飲まないとね」

「心遣いありがとう。それはあとで伊久磨の給料からひいておく。楽しんでいってくれ」


 出会い頭の挨拶を終えてかえら、由春は夏月を見下ろして、深々と礼をした。


「今日は来てくれてありがとう。土産もさっき受け取った」

「うん。そこの二人で結婚って聞いたら、来ないわけにはいかないから。あらためて、由春、おめでとう」


 和やかに話し始めたところで、伊久磨は由春に後を託すようにその場を離れた。

 

 日曜日ということもあり、スタートが早めでどこの席も進行はスムーズであった。満席ではなく、そろそろメインまで進んでいるテーブルもある。比較的余裕のある空気の中、聖とオリオンがキッチンにいるので、由春も早々と夏月に挨拶すべく出てきたらしい。

 ホールには伊久磨の他に明菜とエレナもいる。ちょうど、伊久磨がキッチンに戻るタイミングで、エレナが一緒になった。


「樒さんがお客様でご来店されるって、初めてですよね」

「そうなんです、意外にも。藤崎さんもタイミング見てご挨拶どうぞ。同席は風早さんと香織で、楽しそうにしてますよ。香織は……」


 言いかけて、伊久磨は言葉を濁す。香織は、席についてからはさすがに暗い表情をしていない。わざわざ蒸し返すこともないと思い直し、「毎日見ている顔で、新鮮味はないですね」と取り繕ってから、付け加えた。


「仲良いですよね、あそこ。昨日は三人で婚活してたって、似合わなすぎて。ああ、西條さんもか。邪魔にしかならないと思うんですが」

「邪魔。否定できない」

「完全な冷やかしでしょう。『あわよくば』とすら思っていない人たちだし、何しに行ったんだって」

「あわよくば……。西條くんも結局、奥手なのよねえ。初恋がそのまま結婚になったようなひとだから、実は恋愛観が狭いというか、理想が著しく高いというか。香織さんも……」


 小声の会話を切り上げ、二人でディシャップ台に向かい、出来上がりの料理を確認。「サーモン、ありがとうございます」とエレナが西條に声をかけて担当テーブルの皿を手にして出ていく。

 その背にちらっと目を向けてから、聖は伊久磨の顔を見た。伊久磨に何か言われる前に先手を打とうとしたのか、「あのな」と口火を切る。


「藤崎は、結構いま微妙な時期で。こう、どうかすると、どうかするかもしれないっていうか」

「西條さん、わからない、それじゃ。西條さんは藤崎さんのことが大切すぎて、ときどき過保護パパになりますよね。もしかして樒さんのことを言おうとしていますか」


 すらりと言い返された聖は、渋面になりつつも、頷く。


「感触として、ゴーシュ樒も、まんざらでもない。藤崎のことを意識していると思う」

「樒さんの同席が決まったのは、昨日ですからね。今までのらりくらり『海の星(うち)』に来なかったのに、いくら風早さんに誘われたからって急に気が変わるかな……とは思っていましたが。そうか、藤崎さんか。昨日の婚活の弁明かな?」

「そう。藤崎に誤解されて距離を置かれる前に、『あれは付き合いだから』って言いに来たかも」

「樒さんがそんなフォロー入れるだなんて、それは見逃せない、じゃなかった」


 キリッとして出歯亀を予告した伊久磨に対し、聖は「こら」と牽制してから、考えるように遠くに視線を投げた。


「もともと、ゴーシュ樒は遊びの恋愛をするタイプじゃないと思うから、心配はしていない。藤崎が良いなら、ああいう相手でも良いような気がする。そうすると、いつまでも椿邸で暮らしているわけにはいかないだろうけど。俺も」


 一瞬、伊久磨は虚をつかれたように聖の顔を無言で見つめたが、すでに聖は横を向いていてその視線に応えることはなかった。


(藤崎さんが椿邸を出て、西條さんも……。それが自然なのだとして、香織はまたあの家に独り残される)


「穂高、先生……」


 思わず、伊久磨が口にした名。聖は、長いまつ毛を伏せたまま、伊久磨に視線を流す。唇を引き結んだその横顔は、冴え冴えとした氷雪の彫刻を思わせるほどに、侵し難くも美しく、冷ややかだった。

 強烈な拒絶の意志を感じつつ、伊久磨は落ち着いた声で続けた。


「椿邸、建て直しするなら早くしてしまえばいいのにって思って。次に穂高先生が来たらきちんと話し合って設計図決めちゃって。不都合があれば、後から増築でも改築でもすれば良いんだから。あの家は、冬は寒すぎる」

「それな。紘一郎にも言っておく。根無し草の風来坊だけど、俺が呼べば必ず来るから」

「ですね。冬が来る前に決着をつけてしまった方が良いと思います。次の年末年始は暖かくして過ごせば良いんだ、香織」


(その頃香織のそばに、誰かいてくれるんだろうか)


 エレナが去り、聖が去ったとして。

 本当は独りがたまらなく苦手な香織は、一緒に過ごす相手に巡り会えるのだろううか。

 そのとき、事務室から光樹がキッチンへと顔を見せた。


「休憩ありがとうございました。演奏、いってきます」


 大股で横切り、明るい声で言って通り過ぎようとする。すぐ隣に来たときに、伊久磨は呼び止めるでもなく声をかけた。


「樒さんが、風早様の席に同席でご来店されてる」

「ですよね。ミスはしないけど、緊張するな。和明(かずあき)さん、音大卒だし普段は弾かないけど、ピアノも弾くんですよ」

「そうなんだ」


 樒は、静香とは母親同士が知り合いと言っていたが、その繋がりで光樹もよく知っているらしい。チェロ弾きのイメージが強かった樒に関して、思わぬ情報がもたらされて伊久磨は感心したように頷いた。

 

「何弾こう。いっそリクエスト聞いちゃおうかな」


 楽しげに口の端に笑みを浮かべ、光樹はホールへと出て行った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ほぅ……!! 樒さん、付き合いとか気まぐれなんかじゃなくて、(おそらく)そういう考えがあって来ていたとは……これは、想定外でした! ……なるほどな〜。
[一言] まさかここにきて樒さんが!!(ワクテカ)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ