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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
44 花に風が吹こうとも
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善意に擦り切れる

 壁掛時計を見上げて、(もうすぐ仕事上がりの十七時。椿香織も、もう仕事終わってるかな)と奏が考えはじめたところで、戸が開いた。


「いらっしゃいませ……」


 声が、途中でかすれる。

 ふわりとした茶髪と、黒髪ストレートの若い女性二人組。見覚えのある顔。華やかなメイクをしており、服装は奏が知っている頃とは比べ物にならないほどに、ぐっと大人びて見えた。

 先に立って店に足を踏み入れてきた茶髪の方が、ちらっと奏を見て目を瞠る。


「やっぱり奏だ。奏だよね。わぁ、三角巾にエプロン……。家庭科の実習みたいな格好。ね、真央(まお)。いたでしょ。私の見間違いじゃなかった」


 後ろから続いた黒髪のいまひとりも、「へぇ」と感嘆めいた声をもらして口を開く。


芽郁(めい)が奏っぽい店員さんを和菓子屋で見たって言ってて。ここで働いているんだ?」


 頭の先からつま先まで視線をすべらせて、笑いながら尋ねてくる。その質問、視線に特別含むところなどないと思おうとしたが、頬がひきつるのはどうしようもなかった。


「うん。働いてる」

「なんで? 高校は卒業できたんだっけ? 病気で休学したままだと思っていたけど、元気そう。いまは浪人中? 音大目指してるの?」


 茶髪で長身の芽郁は、すっかり綺麗な大学生の装いで奏を見つめて、矢継ぎ早に聞いてくる。一方、黒髪の真央は「へぇ~。なんか懐かしい~」と言いながらどらやき等の個包装の菓子が並ぶ棚を眺めていた。


「病気は完治はしてないけど、生活は普通にできる。高校はやめたんだよね」

「そうなの? でも、働けるくらい元気なんでしょ? 高校やめてどうするの?」


(悪気があるわけじゃなくて……、芽郁はこういう性格。影でこそこそ話すより、本人に面と向かって「なんで?」って聞くのが友情で、正義だと思っているから)


 すっかり疎遠になっていた、高校時代の友人。

 以前に芽郁が奏を見かけて、わざわざ出直してきたというのは二人の会話から知れた。会うつもりで、椿屋まで来ているのだ。いま尋ねられたのはすべて、芽郁が「会ったら本人に直接聞こう」と思っていたことに違いない。

 一緒に過ごしていた数年前、奏は芽郁のその性格を、それほど気にしたことはなかった。「少しあたりが強いけど、正々堂々としていて悪くない」と思っていた。芽郁を前にして、後ろめたさ、引け目のようなものを感じるなら、その相手にこそ問題があるのだろう、と。


 いざそれが自分に向けられてみるとわかる。奏は「やりにくさ」をはっきりと感じていた。

 芽郁のタイミングでいきなり挑まれ、心の準備をする隙もなければ、逃げ場も無い。


 背後で、パートの女性が耳をそばだてているのは振り返らずともわかる。仕事仲間ながら「この子はなんで高校くらいきちんと卒業しなかったの?」と思っているのは、普段の会話の端々に滲んでいた。友人らしい芽郁に奏が質問されているのを聞きつけて、なんと言い訳をするのか興味を持っているのだろう。

 とはいっても、奏自身突然のことに対応しきれる精神状態ではなく、曖昧に微笑むことしかできない。


「高校は私には向いていなかったみたいで」


「なんで? そんなことなかったじゃない。それとも、休学が長引いて友達が卒業しちゃったから? もしかしていじめられたりした? 高校生にもなってそんなことするような奴いる?」


「他人が問題というより、自分の問題かな。高校生活に意味を見いだせなくなっちゃったというか」


「意味? 高校生はただの高校生、普通科で専門性があったわけでもないし、あんなの意味を見出す場じゃなくて、将来のために通過する場だよね? 向いているとか向いていないとかそういう問題じゃなくて、決められた時間を過ごせば卒業できて『高卒』になれるんだよ? わざわざ『高校中退』を選ぶ方がしんどいと私は思うんだけど。しかも奏は音楽の才能があったのに、東京に行くでもなくて地元で、こんな店で何やってんの? 和菓子屋の店員が、高校をやめてまでやりたいことだったの?」


(悪気はなくて、これが芽郁の友情であり、正義だから)


 ――芽郁は悪くないよ。私は芽郁のそういう性格、好き。芽郁の悪口言うような奴は太陽の下を歩けないような後ろ暗い事情があるんだよ。何を言われても気にしなきゃ良いじゃない。


 高校時代、「私、言い過ぎたみたいで。最近部活の後輩に避けられている」たとえばそんな風に落ち込む芽郁を、奏はそう言って励ましてきた。

 その気持は、決して嘘ではなかった。奏は芽郁のことを、友人として()()()()()


(いまは少しきつい。「正しい」芽郁をきつく感じるのは、高校をやめた時点で、私は「太陽の下を歩けない」事情を抱えた後ろ暗い人間になってしまったのかな……)


 芽郁を責めたい気持ちはないのに、涙が浮かんできて頬にぽろりと流れてしまった。


「奏……」

「ごめん。芽郁が心配して言ってくれているのはわかる……。でも芽郁と会わない間に私にもいろいろあって、芽郁は普通に話しているだけだと思うけど、私がちょっと、だめみたい」


(悪意のない「純粋さ」にすら傷ついてしまう。私は、自分に自信が無さすぎる。泣いてしまえば芽郁を悪者にしてしまうのに、感情が追いつかない)


「芽郁、お菓子美味しそう。お茶も買ってどこかで食べようよ」

 

 個包装の菓子類をピックアップ用のざるに山盛りにした黒髪の真央が、「会計ここでいいですか?」と言いながらレジに持っていく。

 奏と芽郁が会話を続けられずに止まっている間にさっさと支払いをすませ、戻ってきた。


「久しぶりなのに、芽郁の弾丸トークやばいよね。今度、仕事中じゃないときにゆっくり話そう。嫌じゃなきゃ連絡して。ごめんね、奏が病気になってから、だんだん連絡しなくなって。そういうの結構自分の中でひっかかっていたんだ。私も芽郁も。いま、奏が元気なら良いんだ。また会おうよ」


 のんびりとした声で言って、にこにこ笑いながら芽郁の背に手をあてる。「お店の中で騒いだら迷惑だよ」と言いながら戸の方までぐいぐいと押してから、引き返してきた。バッグからハンカチを出して奏の手に押し付ける。


「それ、返さなきゃとか難しく考えないで。返したくなったときに返してくれればいいから。泣いていたら仕事できないよね。ほんと、ごめん」


 言うだけ言うと、様子を見ていたパート女性の方へと「お邪魔しました」とにこやかに言って、店から出て行く。

 声をかけることもできず見送った奏の耳に「芽郁は、もう少し相手のこと考えようよ。仕事中だったじゃん」と諌めている真央の声が届き、そのまま遠のいて行った。

 立ち尽くしたままでいた奏に、「柳さん、時間だから上がっていいよ」と声がかかる。

 途中になった作業も何もなかったので、奏は涙を見られないように俯きながら、ハンカチを握りしめる。「お疲れ様でした」と頭を下げてからカウンターの奥に戻り、暖簾をくぐった。


 * * *


 従業員用のロッカーは事務室に併設されている。ハンカチを使わずに涙は袖で拭い、重い足取りのまま向かった。応接セットのソファには、私服姿の香織がスマホを眺めながら腰掛けていた。


「柳、お疲れ……。ん?」


 目が赤いのを、見られた。


「あの、ちょっと外に出たときに目にゴミ入っちゃって。痛くて涙が」

「大丈夫? まだ目の中に残ってるんじゃないの?」

「たぶん大丈夫。涙がわっと出たから流れたと思う。あの、でも……」


(このまま椿香織と長く会話を続けたら、絶対に言わなくても良いこと言ってしまう。甘えたり、八つ当たりをしたり)


 香織は、受け止めてくれるだろう。しかしそれは、根本的な解決にはならないのだった。

 誰かに悪意があったわけではなく、悪人がいたわけでもない。ただ「高校をやめた」という事実が旧友の間で話題となり、奏がうまく対応できなかっただけ。徹頭徹尾、奏だけの問題で、香織に寄り掛かるような内容ではなかった。


「……少し疲れたみたいで。お茶を飲んだりは、べつの日でも良いかな。せっかくなんだけど」

「お茶を飲むと逆に疲れそう?」

「うん。緊張したり、作法覚えなきゃって焦ったり。何も頭に入らないで、お茶の味もわからないと思う」

「そっか。無理をさせても仕方ないか。帰り道、倒れない? 顔色悪いけど」

「それは大丈夫。早く帰って寝ます」

「家にひといる? ご飯ある? 何か持って帰る? いや~、昨日、町内会のイベントがあって西條に料理作ってもらったんだけど、冷蔵庫に余ってるんだよね。食べてく?」

「それ、私以外のひとの方が喜びそうじゃないですか。パートの……家族の晩ごはんになるわ~、て」

「それはそうなんだけど、誰かに渡すと他のひとにも他の機会で埋め合わせが必要になるから。柳は、べつに話題にしなさそうだし」


(他の人に対して「社長に特別扱いされちゃった」って吹聴しなさそう? というか、そもそも会話しなさそうだしってこと? たしかに言わないけど……、ひとに知られたらまずいことだって自覚があるなら、誘わないのが一番じゃなくて?)


 わかるのだ。相手は椿香織、「目にゴミが入った」だなんてみえみえの嘘には騙されていない。涙の理由が気になっていて、どうにか聞き出そうとしている。放っておけない、というその性格。よくわかるのだ。他人に利用されるだけ利用されてしまいそうなお人好し。身を滅ぼさない程度に線を引く知恵はあるだろうに、いつも自分から厄介事に顔を突っ込もうとする。


「社長、ひとりでごはん食べたくないだけじゃないですか」

「ばれた?」


 香織が、悪びれなく笑う。


(そうやって、少しだけ自分が弱いふりをする。助けてもらうのは自分の方だ、という見せかけの状況を作って、相手を寄りかからせようとする。そこに寄りかかっているうちは、きっと私は自分の足で立っていることにはならない。「正しい人」に顔向けできる自分になれない)


 断られるとは思ってもいなさそうな香織の笑顔を前に、奏は深々と頭を下げた。


「今日は帰ります。お疲れ様でした」




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― 新着の感想 ―
[一言] 芽郁ちゃんはなろう作家に対しても、「この展開は○○にしたほうが良くなると思いますよ!」って言ってきそう( ˘ω˘ )
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