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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
44 花に風が吹こうとも
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コズミック・ラテ

 可及的速やかにこの場を去るように、とは。


(椿社長からの助け舟……のようにも思えるけど、レッドカード一発退場の方かな。私ひとりで、ずいぶん場の空気を悪くしちゃったから)


 引っ掻き回して、うまくフォローもできず、主催に迷惑をかけっぱなし。神妙に謝れば良いのか、笑って誤魔化せば良いのかも全然わからないまま、まどかは何か言わねばと口を開きかける。


「ごめんなさい、遅くなりました。カフェ経営の(しきみ)です、よろしくお願いします。音大卒で、一芸披露ありだって聞いていたのでチェロを持ってきました。香織、弾いて良いの?」


 ゆったりとした低い声が響いた。

 灰色のウェーブがかった髪、ずば抜けた長身に、楽器ケースを背負った男性が会場に姿を見せていた。彫りの深い多国籍顔で、薄暗がりでも陰影がくっきりと映えている。髪の色のせいで年齢不詳の印象だが、声や肌の質感は若い。


「こんばんは!! 待ってた、樒さん。楽器もありがと。ぜひお願いします。ということで、会場の皆さん、なんと今からBGMは生演奏です!」


 椿が満面の笑みで声を張り上げ、「生演奏? すごい」といくつかの反応が返る。樒と名乗った男性は「少し準備しますね」と周囲に愛想を振りまいてから、まどかのいる方へと近づいてきた。


「聖」


 聖のすぐそばに立ち、ベルトに引っ掛けていた銀色の鍵を外してその手に押し付ける。


「椿屋より、うちの店の方が近い。具合悪い人、歩かせないでまず座らせてあげた方が良いよ」

「それもそうだな」

「片付けさえきちんとしてくれるなら何を使っても良い」

「Thanks.」


 そこで、灰色髪の樒がふっとまどかに視線を向けてくる。目が合うと、瞳に柔和な光を浮かべ、唇には上品な笑みを浮かべて言った。


「俺の目から見ても、顔色が悪い。光の加減だけじゃないと思う。仕事帰りで無理してるか、知らないひとが多いと緊張するタイプかな。聖に珈琲でもいれさせて、一息ついてきたら良いと思いますよ」

「ありがとう……ございます」

「どういたしまして」


 言い終えると、樒は楽器ケースからチェロを取り出す。椿の用意した椅子に座りながら、調弦をはじめた。動作のひとつひとつが洗練されていて目を引き、会場の視線が樒に向かう。

 まどかもまた見るとはなしに見ていたが、聖に「行こう」と声をかけられた。

 注目が逸れた中、まどかは聖と連れ立ってさりげなく会場を後にした。


 * * *


 壁一枚向こう側の会場から、チェロの音が響いている。窓を開けているせいもあるだろう、流れるような調べが喫茶「セロ弾きのゴーシュ」を満たしていた。


「ミュゼは営業時間帯や客層を考えるとカフェが中心になるだろうから、ここのオーナーの樒さんにドリンクメニューの相談をしていたんだ。この店使わせてもらって。だから物の位置はわかってる。温かい飲み物でもどう?」


 まどかをカウンター席に案内し、自分はカウンターの中に入った聖が軽く声をかけてくる。


「はい。お願いします……」


 答えるだけ答えて、まどかは両肘をカウンターについて深い溜め息をついた。

 日中立ち仕事をしていて、終えてからすぐの立食パーティが思った以上に足にきていたらしい。座った途端にどっと疲れが押し寄せてきた。


「お疲れ様。ごめんな、仕事の後に無理させて」

「こちらこそ、すみません。枯れ木も山の賑わいと言いますか、もう少し呼んだ甲斐があると思われるような動きをしたかったんですけど」

「館長は枯れ木じゃないよ。それと、呼んだ甲斐があると思われたかったってどういうこと? カップル成立するつもりだった?」


 のんびりと話しながら、聖は湯を沸かして豆を挽き始めた。ふわっと良い香りが漂う。胸いっぱいに吸い込んでから、まどかは言われた内容を反芻し、答えた。


「それは無理ですね……。いざとなると、結婚のヴィジョンが何も無くて、誰と話しても『このひとと結婚したらどうなるんだろう?』て考えると、そこで頭真っ白。婚活以前に、私に問題が」

「べつに結婚なんかそんな難しいものじゃないよ。『現実だから、好きだけじゃどうにもならない』って訳知り顔で言ってくる奴もいるけど、好きだけで良いんだよ。好きがあればそれ以上何が必要なんだって感じ」

「困難があっても、愛の力で乗り切れるってこと?」

「もちろん。病魔や死神が目に見える存在なら、死ぬまで戦ったよ。俺が死ぬなんてどうってことない、常緑(ときわ)が死ぬ以上に怖いことなんてなかったから」


 不意打ちの名前に、息が止まりそうになる。


(……常緑さんの話……。ずっと聞きたかった。聞けて良かった。いまはいなくても、確かに彼のそばにいたひとのこと。その存在を知っているのに、いないように扱うことは私にはできない)


 病魔や、死神。

 泣く筋合いでもないのに、勝手に涙が滲んできた。若い二人が結婚したとき、彼女の死期はもう定まっていたに違いない。周囲の大人たちが言ったのだろう、「好きだけでは」「現実をみろ」「すぐに死に別れるのに」と。

 それでも、結婚しないという選択肢が二人にはなかったのだ。

 死が二人を分かつまで。


「話してくれて、ありがとうございます。常緑さんのこと、知りたかったんです」

「うん。そうかなって思ってた。たとえ期間が短くても、あのとき結婚して良かったって俺はずっと思っている。だから、俺にとって『結婚』て今でもすごく良いものなんだ。婚活イベント、あの場で出会いがあって、結ばれるひとがいるなら良いなって本気で思ってた。館長も例外じゃないよ」


 聖はカチッとコンロの火を切る。細長い注ぎ口のケトルで、珈琲を淹れ始めた。先程から漂っていた馥郁(ふくいく)たる香りが強まり、外から流れ込んでくるチェロの調べと渾然一体になって全身が包み込まれる。

 まどかは小さく笑って、聖を見た。


「そこまで応援されていたなら、もっと頑張れば良かったです。いけないですね、私。斜めに見るクセがついているんですよ。『結婚なんかしても』『どうせ私なんか』の合せ技で。これまでの人生で、特に大きな幸せを感じる機会もなく生きてきたんです。この先、結婚したくらいで何が変わるんだって……夢がなくて」


「夢が無い、か……。どうして夢が無くなるんだろう」


「手に入るものと、入らないものがあると気づくからかな。他の人が手にしているものが、自分にまわってくるようにはどうしても思えないんです。目もくらむような幸福とか、物語みたいな大恋愛とか……。西條さんの結婚観を否定しているわけじゃないです。でもどうしても、それは私みたいな一般人には手が届かない世界の出来事で」


 綺麗すぎて。純粋な愛情だけで結ばれた二人だけの世界。それはきっと、運命に選ばれた二人だけに許された時間。

 残酷なほど短く終わってしまったとしても、永遠に続く絆がそこにあったのだろうと。


「館長、手を出して」


 カウンターの向こうから、聖に呼びかけられる。まどかは両手をカウンターの天板に置いた。その手の上に、聖が手を重ねた。引っ込めようとしたが、強く握られる。逃げられない。


「西條さんっ……」

「手は、届くよ。俺は特別な存在でもなければ、別世界の人間でもない。お互いに手を伸ばせばこうして触れることもできる。手を伸ばすかどうか、じゃないのか? 手を伸ばして届かないのが怖い? 傷つくから? 傷ひとつない人生を望んだって無駄だよ、どうしたって人間は傷つく。大きな幸福はいらないからリスクも冒さない、そう思っていても理不尽はある日突然殴りかかってきて、全部を壊す。こんなに謙虚に真面目に生きてきたのに、なんで自分がって言っても、世界はそういうふうに出来ているからとしか言えない」


 反論のひとつも、浮かばない。


(このひとは最愛の常緑さんを失っている……。そのことで大きな傷を負っている。だけど、彼女と出会わなければ良かったとも、結ばれなければよかったとも言わない……。傷が残ることを知っていても、きっと生まれ直しても同じ選択を……)


「手を伸ばしなよ、館長。他人の幸せを別世界の出来事みたいに遠ざけてないで、自分は自分の人生を生きればいいんだ。生きている人間にはそれができる」


 そこまで言うと、聖はまどかの手を離した。

 カウンターの奥で手早くロイヤルブルーのカップに珈琲を注いで、まどかに差し出してくる。

 珈琲だと思っていたのに、やけに明るい色の飲み物がなみなみと注がれていた。


「疲れてそうだから、甘いのにしておいた」


 夢からさめたような気持ちで、まどかはカップの中をのぞきこんだ。ミルクがたっぷりのラテ。夢のように甘そう。

 顔を上げて、聖の姿を確認。「何?」と聞かれて、まどかは笑みを浮かべた。


「西條さんはいつもキラキラしていて、夢の内側に住んでいるみたいだなって。やっぱり私には遠い」


 自分は同じようには淹れられないと思う。優れた料理のセンスを持つ聖だからできることで、そうやって自分の腕だけを信じて進む生き方を、まどかは絵と一緒に遠い昔に諦めたのだ。

 けれど、聖は不意に寂しげに笑った。


「夢の内側か。それはときどき悪夢にもなる。俺が悪夢の中にいるとき、隣に寝ているひとが俺を起こしてくれれば良いのにと思うことがある」

「それは夜寝るときに見る夢のこと? 私が隣にいたら起こしてあげられるのに……」


 一瞬の、隙。

 カウンターの向こう側から体を折り曲げてきた聖が、軽くまどかの唇に唇を重ねた。すぐに離れた。

 何が起きたのか。

 確認するように聖の顔を見ると、真面目な顔で見返された。


「コズミック・ラテ。っていう名前で出そうかなと。それ。館長なら知ってる?」

「コズミック……ああ、宇宙の色のことですね。宇宙の色は黒じゃなくて、分析していくと、淡いベージュ、ラテの色になるって」

「そう。ただのラテで出すより、会話が弾む。今みたいに」


 早口でごまかすように言われて、まどかはひとまずラテに口をつけた。


(いま、キス……した……? 夢?)


 宇宙色のラテは、ふんわりと甘かった。



★宇宙の色は淡いベージュ色だそうです!!


★キスの日遅刻しました!!


★読者さまのどなたか、先日はなろうコンにて読者推薦レビューを頂きまして、誠にありがとうございました!!なろうコンでステラマリスは落ちましたが良い思い出です!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 出だしは香織と樒さんの「接客モード」だとこんなに軽やかなんだなぁと、新たな側面をふむふむ読んでましたが 「セロ弾きのゴーシュ」に移動してからの交錯する二人の、いや紡がれるような二人の会話…
[一言] 責任取らせなきゃ!!!!!!
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