夢と憧れは否定の言葉の先には無く
「横で聞いていたら、思わず口が出ました。でしゃばりですみません」
風早と名乗った男は、意外にも謙虚な調子で謝罪してきた。菊池に対していたときとは違う、威圧感の無い話しぶりで、まどかはほっと息を吐く。
「でしゃばりとは思っていませんが、方向性の違う怖いひとがきたかなって……」
ほっとしすぎたせいで、限りなく本音を口にしてしまった。風早は「ですよね」と素直に頷いた。
「ほんと、ごめんなさい。さっきの菊池さん、俺たぶん高校が一緒だったと思うんだけど、『変わってない』ってびっくりしたんです。それで、なんでこんな簡単なこと誰も本人に言わないんだろうって、思わず……。あいつの言ってることって、普通にまずいと思います。だからといって、言い過ぎた俺も良くないんですけど。同じ年代でああいうの見ると『その年齢で結婚できないのは、それなりの理由がある』という世間の偏見を強化しそうだなってやきもきして。『単に仕事が忙しくて気がついたらこの年齢で』というだけなのに、いまだに理解されにくい面があるじゃないですか。別に未婚だからって、誰も彼も性格や人間性に問題があるわけじゃなくて……忙しくて」
言っているうちに、だんだんと表情がくもってきた。しまいに両手で顔をおさえて「うーん、やってしまった」と呟く。その声に紛れもない後悔を感じて、まどかは「そんなに気に病むことでは」とついなぐさめのようなことを言った。
「晩婚なんて言葉もありますし、結婚が遅いこと、しないことを、いまは他人がとやかく言う時代ではないです。だけどそれはやっぱり建前で、少しでも隙を見せると『ああいう性格だから相手が居ない』と影で言われているような……被害妄想だと気にしないようにしていますが、現に自分も他人には思ってしまいます。それこそ『自分では家事しないくせに、結婚相手は家事をすべきだと思っているようなひと、これまで全くモテなかっただろうな』『そんなんで婚活なんかしても絶対ボロしか出ないだろうに』って。どうしてあんな考えで、結婚してくれる相手が見つかるとか、自分は選ぶ側だなんて思っているのか、不思議です。あ……」
まどかはまどかで、自分の口を手でおさえた。これは、紛れもなく言い過ぎの類。
両手で顔を覆っていた風早は、指の間からちらりと視線をくれた。ばつの悪い思いが現れている目。まどかもまた、自分も同じ顔をしているに違いない、と苦いものを飲み込む。
考えを見透かしたように、風早は手を下ろすと、口の端に力のない笑みを浮かべた。
「俺が今まで見てきた限り、若い頃自分が選ぶ側だと信じ込んで『結婚なんて興味ないけどな』って強がりで言っていた奴、だいたい結婚が避けて通るから年取っても結婚しません。欲しいものは欲しいと言わないと手に入らないんです」
「わかります……。『そんなこと言って、可愛いからモテるでしょ』と周りに言わせていたような知り合いの女性、だいたいスペックはともかく中身はやっぱり問題ありで結婚が避けて通ってました。そして年齢を重ね」
「それ以上いけない」
「ですね。このままだと『結婚できないひとはやっぱり何かしら問題がある』を肯定してしまいます。肯定しながら『自分はそうじゃない』というのは筋が通らない……」
話しているうちに、まどかは乾いた笑いが湧き上がってくるのを感じた。
(結婚するもしないも自由と言いつつ、話題にしてしまえば気にせずにはいられない。「結婚したくない」が明らかに強がりな場合は「したくてもできないくせに」と物笑いの種にされる。でも「いい人がいれば」なんて態度を軟化させると途端に「贅沢言ってるから。もう少し身の程をわきまえて」と年齢や仕事や容姿を換算されて、価値を下げられてしまうの。笑ってやり過ごすのもしんどいくらいに)
風早はどことなくほろ苦い微笑を浮かべつつ、「反省はこのへんで終わりにしましょうか」とやや明るい声で提案してきた。
「年齢が近いせいか、経験が似ているのか、話が合うのはわかりました。でも方向性が同じで話が合いすぎても、落ちる場所が一緒みたいです。あなたの言っていることはすごくわかりますけど、『婚活』にきている以上、今だけでも『結婚しないことの正当化』を離れて、もっと単純に『結婚したい!!』『家庭生活に憧れる!!』って夢を……夢を語らないといけないと思うんです。俺もあなたも」
「まったくもって同感です。結婚には良い面も悪い面もあると思いますけど、大昔からひとが選んできた道のひとつでもあります。そこに夢がないと決めつけてしまえば、夢にもそっぽを向かれるんです。そうじゃなくて……、夢があるかもしれない、楽しいかもしれないと憧れを持つことの大切さですよ。『どうせ結婚なんて』と他人の選んだ生き方を否定しないことが、自分自身の可能性も広げていくことになると思います」
まどかは自分の態度を真面目に反省しつつ、切々と言い終えた。
少しの間、沈黙となる。
それまで口を挟まぬまま側に立っていた椿が、ふふ、と笑った。
「夏っちゃん、結婚しないな~~、性格良いのになんでかな~~なんて思っていたけど、知られざる本音が聞けた気がして、楽しい」
「面白がるなこのやろう。香織だってもう三十歳だろうが。子どもが大きくなるのは早いな。いつの間にかガキがオッサンになってる」
気安い会話。まどかがぼうっと見ていると、気づいた椿が親しみやすい礼儀正しさで、いま一度風早を紹介してくれた。
「この商店街の老舗、風早時計店の息子さんで風早夏月さん。夏の字が名前に入っているから、『なつ』って呼ぶ昔の知り合いも多いです。大学から東京で、そのまま就職して向こうで暮らしていたんだけど、今日はたまたま帰省しているのを見つけて。東京で出会いがなくても、案外地元の女性とならすぐに話がまとまったりして、遠距離と言っても新幹線で会おうと思えばすぐ会えるし、とこのイベントをすすめてみました。職業はSEだよね。いまもブラック?」
「ん。昔みたいに過酷な職場には近づかないようにしているから、生活はだいぶ落ち着いてきた。落ち着いたからっていきなり出会いがあるわけではなくて……」
水を向けられた形で自己紹介をはじめた風早は、曖昧ににごしつつまどかをちらりと見た。
「真剣に婚活しに来ていたら、すみません。俺はたぶんあまり向かない相手なので、これ以上あなたの時間を取らない方が良いとは思うんですが。普段東京だし、今日は付き合いでお試しで来ただけなので」
言われたまどかも、いえいえ、と胸の前で手を振ってみせる。
「私も真剣かって言われると少し微妙なんです。知り合いの誘いで来たんですけど、さっきの菊池さんみたいにいきなり条件の話をされてしまうと腰がひけてしまうだけで。『条件』で品定めされるのって、気持ちの良いものではありませんね。こんなの、男性は『収入』『学歴』でよくあることかもしれませんけど、女性の私は露骨に『家事』でみられてしまうのが、なんというか。普段仕事もしていますし、結婚したからって急に家庭に尽くすなんて無理なのに」
結婚した場合、負担が増える予感はあったが、それに耐えてもおつりがくると思えるような明るい展望がなにひとつなかった。結婚とは、とぼやきたくなっただけ。もともと前のめりだったわけではないが、いまやだいぶ気勢を削がれて(結婚なんかまだまだ先で良いな)と夢を失ったところ。この上、新たな出会いを求めて他の男性と精力的に話す、と気持ちを切り替えるのは難しそうだった。
まどかのその気持ちを読んだように、椿が控えめに口を挟んだ。
「婚活イベントって言っても、いきなりカップル成立して成婚になるとは主催側も考えていないので……。それより、知らないひとと会う機会の提供、くらいの意味合いですよ、今日は。夏っちゃんがね、いきなり喧嘩しそうになったのに俺は肝が冷えたけど。でも夏っちゃんが言わなかったら、俺か西條が言ったと思うから、そのへんは本当にいまでも夏っちゃんはお兄さんだなっていうか。絡まれてる女の人放っておけないところが。それでなんで結婚していないのか」
「ちょいちょいうるせえよ香織。そっくり返すよ、お前はなんで結婚していないんだ」
「仕事が忙しくて」
追求を封じる完璧な笑顔で答えると、椿は「それじゃ、俺そのへん見て回っているから」と言いながらその場を離れて行った。
まどかは、風早と二人でその場に取り残されたことに気づく。
ここから何を話そうか、と思っていたところで風早から声をかけられた。
「喧嘩しようと思っていたわけじゃないんですけど、怖い思いをさせていたら本当にごめんなさい。さっきの、香織の連れの彼がうまく菊池さんの機嫌をとってくれて良かった。喧嘩で途中退席、場が大荒れなんてことになっていたらまずかったよね。いや~、俺もなんであんなに好戦的になってしまったのか。これだから結婚できないんだ」
「大丈夫ですよ、考えはわかりました。自虐しないでください。反応に困ります」
「はい。確かに笑えない冗談はセンスが無いだけだ。気をつけます」
素直な反応に、まどかも自然と肩の力が抜けていくような思いだった。
(このひとが三百分の一だったら……。それよりももっと親しい距離になれたら、どうなんだろう。話は合うし、仲良く暮らせるかもしれない)
胸が痛むようなしんどい恋愛はしなくて済むかもしれない。人生として考えればその方がよほど楽。
気持ちが風早に向かいかけた、そのとき。
「館長。さっきの、なに言われっぱなししていたんだ。遠慮しないで言い返せば良かったのに。美術館で責任ある仕事をしていて、絵も描けるって。俺は館長がああいう風に言われて、言い返せないで笑っているだけなんて嫌だ」
どうにか菊池を違うグループに押し込んできたらしい聖が、戻ってくるなりまどかに強い口調で抗議をしてきた。