喧嘩をするほど
「それだと、キッチンからの視界が遮られて、客席がよく見えない。スタッフは俺ともうひとりくらいなんだ、俺もホールは気にしている。俺からお客様の動きが見えないのは困る」
西條聖の澄んだ声が、改修中の元カフェスペースに響いた。
言われているのは、すらりと背の高い女性。キッチン予定の位置に聖と並んで立ち、客席側を見回して「なるほどねえ」と頷いていた。
(「絵になる」美人……。西條さんと並んでも、お似合いで)
遠巻きに見て声をかけられずにいた野木沢まどかは、いっそ感心して見とれてしまったくらいだ。
遠慮のない関係なのか、聖はややきつく感じる厳しい早口でがんがんと言う。女性は動じた様子もない。慣れている、といった様子で相槌を打ち「じゃあさ、別案もあるんだけど」と話している。
気配に気づいたのか、女性の視線が入り口に立ったままのまどかに向けられた。同時に、聖からも。
まどかが何か言う前に、聖が隣の女性に「館長だよ」と声をかけた。女性がぱっと笑顔になって、ビニールを貼った床につまずきそうになりながら小走りに近づいてくる。
「はじめまして。こんにちは。ミュゼのグリーンを担当する齋勝と申します。改修を施工する齋勝工藝舎の社員……のようなものです」
施工業者のネーム入り作業着を身に着けており、「名刺、名刺」と言いながら名刺入れを探す仕草であちこちのポケットを探っている。
後ろから歩いてきた聖が、呆れた様子で一言。
「おい、フローリスト。焦って転ぶなよ。また腕折ったらどうするんだ」
「その節では西條シェフにそこまでご迷惑をおかけした覚えもないんですけど、ご心配ありがとうございます。腕なんか早々折らないです」
「迷惑かけた覚えもない、ねぇ……。ま、いいけど。また結婚延期になるのはともかく、ミュゼのオープンに差し障りがあるのは困るから言ってるだけ」
「結婚延期ネタにしすぎだからね? 本当に西條シェフは口が悪いのか性格が悪いのか、あ、両方かな」
まどかの前でずけずけと言い合ったあげく、フローリストの女性はまどかへはにこりと華やかな笑みを向けてきた。
「館長さんも、何か気がついたことがあったら遠慮なくどんどん言ってください。もちろん西條シェフにも。口が減らないですし人当たりも悪いですけど、仕事が絡めばそこまで悪人でもないので」
「何ひとつフォローになってねえ。何しに来たんだよ、邪魔しかしないならとっとと帰れ」
「来たばかりなのに追い払わないで頂けます? 言われなくても仕事が終わったら帰ります」
止まらない。両方とも、言われた分以上に言い返すので、ひとたびどちらかが口を開けばすぐに舌戦となる。
(このひとたち、仲が良いのか悪いのか全然わからない……)
角が立たないように無難なコメントをしなければ、とまどかは笑顔を浮かべて言った。
「仲の良いご兄妹みたいですね」
ぴたっと動きを止めた二人から、同時に視線を向けられた。
かたや青い目の絶世の美形、かたや作業服も似合う長身美女。圧が強い。
先に動いたのは聖で、ちらっと女性を見下ろして邪悪な微笑を浮かべた。
「俺の方が誕生日早いから上か。お兄ちゃんだよ~」
「先に年取るのをそんなに嬉しそうに言えるなんて幸せですね。良いですよ誕生日盛大にお祝いしてあげますよ。妹じゃないですけど~」
「貴族服はやめてくれ」
「西條シェフの場合、貴族より王子様かな? 了解」
「曲解するな」
二人でにこにこと見つめ合っている。
またもや口を挟むこともできず見守っていたまどかは、冷や汗を流しながら思った。
(このひとたち、仲が良いのか悪いのか全然わからない……)※二回目
「西條さん、こっちにちょっと」
そのとき、カフェスペースに顔をのぞかせた作業着姿の男性が、聖を呼んだ。「はい、行きます」と返事をして聖はその場を離れる。
後ろ姿を見送ってから、まどかは女性に向き直る。
名刺を探り当てたらしい女性は、「よろしくお願いします」と差し出してきた。
白いシンプルな名刺。受け取って、まどかは目を落として名前を確認する。表記はたったの一行。
Florist 齋勝静香
* * *
「もともと地元がこっちで、しばらく東京で働いていたんですけど、最近戻ってきたんです。以前はレストランや会社の装花が主な仕事だったんですけど、今は祖父の造園業手伝いつつ、工藝舎の方で新築のお客様の相談を受けたり。邸内のグリーンの選定やメンテナンスから、庭づくりやハーブ栽培まで、植物に関することなら一通り」
まどかから水を向けると、静香は自分の仕事をそのように説明した。
「西條さんとはお仕事関係の知り合いなんですよね。でも、こちらでのお仕事自体は……、最近?」
「『海の星』には、帰省中に食事で行って、スタッフの人と知り合って店内のグリーンの相談も受けたので、去年からですかね。でもその頃は西條シェフはいなかったですね、そういえば。帰国したのが年末? 私が初めて会ったのもそのときです。本当に、遠慮のない男で……。館長もずけずけ言われてませんか? 言い返して良いんですよ」
力強く言われて、まどかは微笑を浮かべるに留めた。
(あのテンポで言い返すのは無理です)
そう思いつつも、興味をそそられるのは、二人の間に男女の空気感が一切無いからに違いない。道行くひとを振り返らせるような美男美女で、並ぶ様もまさにお似合いなのに、せいぜいが兄妹にしか見えないという。
まどかは静香の左手にも指輪があるのを、確認してしまった。つまり二人とも、相手を恋愛対象として見ない理由があり、どれだけ仕事で接近しても終始「あの会話で、あの距離感」なのだと思うと……。
(既婚者だってわかっているのに、あっさり西條さんに惹かれてしまった私って、相当のだめ人間なのでは。きちんと結婚につながるような、地に足のついた相手との恋愛ができたら、西條さんのことはこれ以上好きにならないでいられるのかな。そう、私に相手がいれば)
「『海の星』も店内にグリーンがたくさんありましたね。あの雰囲気好きでした。ミュゼも系列店として雰囲気を揃えるんですか」
まぶしいものを見るような気持ちで、まどかは静香に尋ねた。実際に、イキイキとして元気で、見ているだけで感化されそうになる。
静香は待っていたとばかりに身を乗り出してきた。
「それなんですけど。いま西條シェフとも話していたんですけど、もともとここはあんまり広くないですし、視界を遮られるような背の高い鉢植えも好ましくないというので。『海の星』とはイメージがらっと変わるんですけど、『花』主体でいけたらと思います。案はいくつか持ってきたんですけど、私としてもどうせならこっちを押そうと思っていて」
言いながら、手にしていたファイルを開いてまどかに見せてきた。
花――
天井を埋め尽くす、膨大なドライフラワー。ピンクや黄色や青といった種々の花や緑がほんのり色褪せながらも、それが柔らかな色味となって淡くライトに照らし出されているイメージ画。
頭上に広がる、天地が逆になった花畑。
「ドライフラワーなので、ずっと同じままというわけにはいかなくて、入れ替えなどのメンテナンスは必要です。あと、もちろん埃や何かがテーブルに落ちてこないように。手間はもちろんかかりますけど、この草花メインの美術館のイメージに合わせるなら、こういう感じかと思って」
しばらく呼吸を止めて見つめてしまっていたまどかは、ほっと吐息した。
「とても綺麗です。花のカフェ、こんな場所があるなら行ってみたいと思いました。お洒落なカフェに飢えてますからねー、田舎だと」
「そう言ってもらえると嬉しいです。館長は毎日でもご利用頂けますよ。って、そんなにお暇じゃないかもしれないですけど。自分が働いているところが綺麗なのって、大切なことだと思います。長時間過ごす場なわけですから。私は仕事柄、花や緑を扱っていて、食べられるものでもないですし、景気が悪くなれば真っ先に切られるような部分だという認識はあります。だけど理想としては、ひとの身近に緑があってほしいんですよね」
熱心に話されて、まどかもまた真剣に聞き入る。
「わかります。美術館も、お腹の足しになるものではないので、景気の悪さは直撃してきます。でもここでなんとか踏みとどまりたい思いもあって……」
「大丈夫です!! 西條シェフのミュゼがオープンしたら、流れは変わりますよ。ああ見えて料理はきっちりプロです。それにまぁ、ヴィジュアルも……口さえ開かなければ、一見の価値はありますから」
聖を褒めるのは抵抗があるのか、静香の口角がひくついている。このひとたちは仲が良いけど悪くて、でもお互いを認めているんだろうなぁ、とまどかはそれを微笑ましい気持ちで見てしまった。思わず、本音がもれた。
「私も、齋勝さんみたいに西條さんと屈託なく話してみたいです」
「屈託なく……!? そう見えますか!?」
「とても」
静香は曰く言い難い表情で固まってからしばらく後、目を伏せて小さく吐息をした。
「たしかに、西條シェフは少し気を許してくれている感じもありますけど……。たぶん私の仕事が奥さんのことに重なっているからじゃないかという気もしますけどね」
奥さん。
不意に飛び出した単語。まどかは、動揺を悟られまいと、とっさに笑顔を維持して「そうなんですか?」とさりげなく尋ねた。
静香は特に不審に思った様子もなく話を続けた。
「シェフ、結構奥さんの話をしません? 常緑樹の常緑って書いて、『ときわ』さんのこと。名前の通り緑の好きな方だったみたいで。西條シェフもグリーンに対するこだわりは強いんですよね」
「初めて、聞きました」
(常緑さん)
心臓がドキドキと鳴って痛い。まどかはぎゅっと手を握りしめた。
それ以上の話を目の前の静香に聞こうとしたが、どうしても勇気が出ず。そもそも何のために知りたいの? と自問自答して悶々としているうちに、すっかりと聞きそびれてしまった。




