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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
43 たとえば恋に勝ち負けがあるとして
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不適切な距離

 感情を押し殺した、抑制の効いた無表情。

 椿香織らしい冷静さを見るにつけ、奏は自分が彼の精神的な負担になっていることをひしひしと感じる。

 香織は奏をちらりと見ることもせず、聖に向かって淡々と言った。


「まず、西條。手が空いているなら野木沢美術館に顔を出して欲しい。今から走れば閉館に間に合う。今日、湛さんが夫婦で行っていたんだけど、和嘉那さんが館内で倒れて救急車を呼んでるんだ」

「それって」


 聖の顔つきが変わった。救急車、という不穏な響き。奏も戸惑って香織の様子をうかがってしまう。

 香織は軽く首を振った。


「母子ともに無事。さっき連絡があった。お騒がせしたと湛さんから美術館にお詫びはしているみたいだけど、西條もフォローしておいて。野木沢さんは気にしていても、突っ込んで聞けないだろうから」

「わかった」

「それで。この場に関しては、俺に任せてね。柳はうちの社員で、注意することがあるなら俺からする。西條が同業者として的外れなアドバイスをするとは思わないけど、外の人間だ。口出しされれば混乱するだろうし、感情的に反発もあるだろ。良かれと思ってやったことが、全部良い結果につながるわけでもない」


 ドアのそばに立っていた聖は片手をあげて、わかった、といったジェスチャーをして何度か頷いた。


「越権行為に関しては謝る。椿屋の社員教育に関しては椿がやることだ。悪かったな、柳」


 思いがけないタイミングで水を向けられ、奏は返事もせずに黙り込む。その反応を半ば予期していたかのように、聖は踵を返して戸口に向かった。出ていく前に振り返って、「仕事の邪魔されたら俺でも怒る。全面的に悪かった。申し訳ない」と、奏に対して今一度念を押すように言ってから出て行った。


(……いまの、謝られたんだろうか?)


 どうにも釈然としない気持ちを抱えて見送っていると、柳、と香織に名前を呼ばれた。感情の滲まぬ声。はい、と返事をして振り返ると、カウンターの中に立ったままの香織が目を細めて奏を見ていた。真顔で見つめられると、心臓がぎゅっと痛む。


「仕事が終わってから事務所で話そう。長くなるつもりはないけど、親御さんに遅くなると連絡する必要はある?」

「だ、大丈夫……」

「わかった。じゃあ店閉めて帰り支度してから。忘れるなよ」


 言うだけ言うと、暖簾を片手でおさえながらくぐって、さっさと奥に行ってしまった。

 姿が見えなくなったところで、奏はほっと息を吐き出した。


 * * *


 廊下を通って裏口から外に出たところで、香織は盛大に息を吐き出した。


(社員教育……、うまくいっている気がしない。俺が足りてないのか。柳は何がそんなに不満なんだ)


 痛む頭に顔をしかめながら、足は母屋に向かう。

 エレナは海の星で、聖は野木沢美術館。戻りはわからないし、夕食は一人になりそうだが、どうするか全然考えられない。そもそも奏と何を話すかもまだ決めていない。

 とにかく、寄ると触ると爆発するのが柳奏。感情のままに暴れているように見える。そのくせ、「素直」ではない。本当に言いたいことは、言えていないように思えてならないのだ。


(伝えたいことがあるなら、もっと冷静に話せば良いものを。ヒステリックに叫んでも誰も耳を貸さないし、まともに取り合ってもらえない。そんな簡単なこともわからないとは思えないんだけどな……。きついこと正面から言うわりに、本人が嬉しそうでも楽しそうでもないのも、なんだか。言えば言うほど落ち込んでいるように見える。本当は何がしたいんだよ?)


 まるで相手の限界を推し量るように、つっかかってくる。どこまでなら自分の悪口雑言に耐えられるかを試しているかのように。

 自室で作務衣を脱ぎ、シャツにジーンズの普段着に着替えてから、香織は虚空に向かって呟いた。


「あっ、試し行動? そういうこと?」


 不意の思いつき。

 そんなの聞いたことあるな、とスマホで検索をはじめて、いくつか記事を読んでいるうちに(柳はこれっぽいなぁ……)と妙に納得する。構ってほしい。とにかく不安。自分を見てほしい、それが態度に出てしまう。

 原因と対策。「いくら相手が大人の気を引くためにとっている行動であっても、悪い事は悪いときちんと教えて叱りましょう」「このときに叱る側が感情的になったり否定的になったりはしない」「突き放した印象にならないように、スキンシップなどをして愛情を示しながら」

 記事はだいたい「大人を困らせる子どもの行動」という切り口で、親や保育士へ向けた対処法として書かれていた。

 読み終えて、スマホをブラックアウトさせ、しばし目を閉じて物思いに沈む。

 そして、ようやく小さな声で呟いた。


「パパじゃねえんだけど俺」


 パパさんパパさん、と海の星にてからかわれた件を思い出し、深く息を吐き出した。

 

 * * *


 閉店後の店内は、静かだ。

 工場の職人たちは朝が早い分、夕方には仕事を終えて引き払っている。店舗のパートも、家庭のある主婦が大半で、ぐずぐずと居残ることもない。


「仕事、終わりました」


 デスクで見るともなしに書類に目を通していた香織は、戸口に姿を見せた奏に声をかけられて顔を上げる。

 仕事の最中の奏はエプロンに三角巾で地味な姿をしているが、私服に着替えてしまえば白のパーカーにデニムのホットパンツ姿。むき出しの細い足が寒々しい。


「お疲れ様。そこに座って。お茶飲む?」


 香織は立ち上がって、奏に応接セットのソファに座るようにすすめた。他に人の気配も無い中、二人きり。奏が黙っているので、静けさが耳に痛いほど。

 戸口から動かない奏は、固い表情で香織を見上げてぼそりと言った。


「何話すんですか」

「仕事のこと。一ヶ月以上経ったけど、どう? って」

「仕事に関しては精一杯取り組んでいます。というか、本当に今日このタイミングで、話は仕事のことですか? 今まで椿香織、わたしと二人にならないように避けてなかった? この状況大丈夫?」


 言われて、香織も固まる。

 相手は十歳も年の離れた異性で、二人きりのシチュエーション作ったのは香織。仕事とはいえ、状況は危うい。

 やはり親に連絡を入れておくなり、他のパートの前で呼びつけるなり何か状況証拠を残しておくべきだったと思うが、すでに後手にまわってしまっている。

 下手に動かないようにしよう、とデスクのそばに留まったまま、冷静を装って答えた。


「どういう意味で? パワハラ・セクハラになってるってこと?」

「わたしがそう言えば、そうみなされても仕方ない状況じゃない? みんなが帰ったあと、一人だけ呼びつけて」

「ここ監視カメラあるよ。柳が嘘の被害をでっち上げても、映像見れば俺が何もしなかったのは一目瞭然。残念だったな」


 はったりだが、カメラの有無を確認することはできないはず。ある程度の抑止効果を見込んでしれっと言ってみた。

 奏はにこりと笑った。妙に余裕のある表情。


「何もって何? 襲ってくれるの?」

「そんなわけあるか。……今日はもういい。この状況はたしかに良くない。明日の午前中、時間を見て話そう。勤務時間中に、時間給の発生している状態で、ここ一ヶ月の仕事の振り返りをしよう。解散」


 変な空気にして大人をからかおうとしても、そうはいかないぞ、という決意を胸に断固として言い放つ。

 だが、奏は去るどころか事務所の中に足を踏み入れてきた。香織がその場から動かないのを見て、笑みを深める。


「監視カメラあるのそこなの? だから動かないの?」

「柳」

「二人で話せる機会なんか無いもん。カメラに映っても良い」


 不吉な発言。逃げねばと思ったときには距離を詰められていて、避けることもできずに奏に胸に飛び込まれてしまった。


「柳ッ……」


 押し返そうと触れた肩が、あまりにも細く華奢で、それ以上力を加えるのを躊躇う。奏はその隙きを逃さず、腕を回して抱きついてきた。


「はなせ、何してんだ」

「やだ。なんかもう全部嫌になったから、絶対にはなさない。椿香織なんか困れば良いじゃない。いい気味だわ。もっと苦しんで」

「なんだよそれ。八つ当たりがすごすぎて、もうなんて言えば良いのかわかんないんだけど。困れとか苦しめとか」


 折れそうな細い腕で抱きついて、かすかに震えながら、ひどいことばかり口にする。

 突き放すこともできないまま、香織は天井を仰いでひそかに吐息した。


(なんで俺が襲われてんの。……ああ、あれか? 試し行動。感情的に突き放しちゃいけないんだっけ。それであと、なんだ。スキンシップ……? 愛情を行動で示す。愛情ってなんだよ、そんなの無いんだけど。雇用主と従業員だっての)


 年齢差や立場。関係性のどこをとっても、「愛情」になる要素など無い。ただほんの少し、親子の情愛に近い何かはあるかもしれないが。

 ここまで年齢差のある年下の従業員がいたことが無いので、それが一般的なものかどうかは香織にはわからないが、同居人たちに感じる情とは、少し違う。「自分が引き受けた以上、守らなければならない」そういった責任感に通じるものを奏には抱いている。

 決して、男女の感情ではない。


 ぐるぐる考えながらふと我に返ると、行き場のなかった手が奏の髪を軽く撫でていた。何してるんだ、と慌てて手を離し、どこにも触れないように両手とも空に持ち上げる。

 力づくで香織に抱きつき、胸に顔を埋めていた奏は、ようやく少し力をゆるめて香織を見上げてきた。


「わたし、迷惑だよね。性格も口もきついし、椿香織の周りのひと、たくさん傷つけて」

「んー……。自覚あるならやらないようにすればいいだけで」

「あのね、聞いて。耳かして」


 手招きするような動作につられて、香織は少しだけ身をかがめた。

 冷静であれば、周りにひともいないのに、内緒話などするはずがないと気づけたはずなのに。


 奏は香織の体にまわしていた腕を外すと、首にしがみつくようにまわした。なんだろう、と顔を向けた香織の目の前で、目を閉じて、唇に唇を寄せてきた。

 避けることはできなかった。


★今年最後の更新です(๑•̀ㅂ•́)و✧

 良いお年を。来年もよろしくおねがいします~~!!

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― 新着の感想 ―
[気になる点] これ、誰かが見ていそう。一緒に住んでいる2人のどちらかか、両方もありかな。いや、忘れ物を取りに戻ったパートさんだったら?うーん、雲行きあやしい。 [一言] 香織…バカなのか?懲りないに…
[一言] せ、責任取らなきゃ……!( ˘ω˘ )
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