その関係性は
「さっきのって齋勝くんだよね。ピアノすごい」
「何あれやばい。プロ? 天才?」
「一緒に弾いていたのは? うちの学校じゃないよね」
「後ろにお兄さんもいたよね! すごい優しそうな感じの。結構年離れてる、イケメン」
駅構内のピアノ周りで騒いでいる少女たちを、明菜と由春はそれとなく見守っていた。
明菜が微笑みを浮かべて、由春をちらりと見上げる。
「光樹くん、でしたよね」
「光樹だったな。あと椿」
由春もまた、苦笑いのようなものを口の端に浮かべていた。
普段の移動はもっぱら自家用車だが、たまには電車で日帰り旅行を、ということで近場に出かけてきた帰り。
駅に降り立ってみれば、ストリートピアノが設置されていて、見慣れた高校生が超絶技巧を披露していた。
その後さらに、もうひとりの高校生らしき相手と連弾。
足を止めていた聴衆たちが、我先にと動画に収めたり写真を撮ったりとなかなかの盛況ぶりであった。
明らかに光樹を知っているらしい、女子高生数名もいて、「いま送るね」「グループの方に送ったら」「そうだよねー、みんな見たいよねー」「齋勝くんやばい。知らなかった」と口々に話している。
「クラスのグループトークとかに載せられているんじゃないでしょうか。このあとSNSで拡散していったりして」
「ありえる……けど、どうだろうな。光樹も一緒にいたのも確かに上手いけど、あのくらいなら探せばいそうな気もする。そこまで拡散しないで終わるんじゃないかな」
大丈夫かな、とチラ見する明菜をよそに、由春はのんびりと答えた。
すでに光樹や香織はその場から立ち去っている。声をかけるタイミングでもなかったので、二人が見ていたことにはおそらく気づいていないだろう。
光樹たちのあとにピアノに近づく者はいなく、演奏は行われていない。
集まっていた聴衆たちもすーっとひいていく。
「何か弾こうか?」
ぼんやりとピアノを見ていた明菜に、由春が声をかけた。
途端、明菜は頬を微かに赤らめて早口にまくしたてた。
「いいんですか。弾いてもらえたら嬉しいなって思っていましたけど、春さんを見世物にするようで気がひけるというか……。ああいう風に動画にとられたり、知らないところで誰かに見られたりするのかなって」
「俺はべつにその程度では困らない。曲は?」
「本当に弾いてくれるんですか? 動画撮ってもいいですか!?」
勢い込んで胸元に詰め寄った明菜に対し、由春は柔らかく微笑みかける。
「いつも目の前にいるだろ、実物が。動画撮ってもいつ見るんだ」
「動画は動画で見たいです。貴重です、ピアノ弾いている春さん。今日家に帰ってから永遠にリピートです。寝るときにもずっと聞いていたい」
「そっか。家に帰さないといけないのか。それは残念」
え、と明菜が聞き返したところで、由春はピアノ近くの譜面台に向かって歩き出す。さらっと名前を書き込んでから、ピアノへと近づいて行った。
指を鍵盤に置き、遠くを見るようなまなざしになる。
すぐに、指が滑らかに打鍵し、メロディが流れ出した。
明菜は慌てて、スマホを構えて録画する。出だしが切れてしまったのを悔やみつつ、画面越しに由春を見つめながら、耳を傾ける。
(「白日」から、「春よ、来い」だ……)
切なげに歌い上げるような曲をサビまで弾いた後に、途切れることなく柔らかであたたかな曲へと移り、奏で続ける。
息が出来ない。
喉が詰まって、涙が滲んでくる。
その、どこまでも優しい音を紡ぐ指先が、愛しい。
「あら。岩清水シェフ?」
明菜のそばで、女性が呟いて足を止めた。
* * *
演奏を終えた由春は、明菜を目で探し、ついでそばの女性に目を向けた。
休日であるが、由春の身なりはコックコートのとき同様、隙のない着こなし。きちっとアイロンのかけられた仕立ての良いシャツに、ジャケット、ジーンズという、身軽でいてカジュアルすぎない出で立ち。
明菜より先に年配の女性に歩み寄り、「お久しぶりです」と微笑を浮かべて声をかける。
「岩清水シェフ! あらあら、あなたこんなにピアノ弾けたの。多才ね~」
「趣味程度です。母がピアノの教室を開いているので、子どもの頃から多少、自分も弾いていました」
綺麗な銀髪に、趣味の良い淡いピンク系のスーツを身に着けた女性も、にこにこと笑っている。
由春は明菜の横に立つと、愛想の良い笑みのまま言った。
「お店のお得意さま。いつもご夫婦でご利用いただいている。会社の忘年会に使っていただいたこともある。吉村内科医院の、院長夫人」
「はい。あの、いつもありがとうございます」
ぎこちなく、明菜は頭を下げる。
(そういう相手かなと思っていたけど……。こういうとき、なんて説明すればいいんだろう。私はお店の従業員で、シェフとは休日だけど仕事の打ち合わせしていたことにすればいいのかな?)
明菜はまだ面識はなかったが、推測するにかなりの常連と思われた。であれば、少しつっこんだ会話になるかも、と緊張しながら顔を上げる。
目が合った。婦人が目元にひときわ柔らかな皺を刻んで、微笑んだ。
「どなた?」
(やっぱり聞かれた。うまく何か誤魔化さないと)
焦る明菜の背に由春が軽く腕を回して、あっさりと答えた。
「婚約者です。『海の星』のスタッフでもあるので、今後店でお目にかかる機会もあるかと思いますが。そろそろ次のご予約はいかがですか? コースも春から初夏の内容に一新していますよ。たしか……、以前お越しになったのは二月でしたか」
「さすがよく覚えているわ。そうね、少し間が空いちゃった。また行きたいけど、どうしましょう。いまは、予約の空きはわからないわよね。お願いしたい日があるのだけど。私も、主人の予定を確認しなきゃ」
「明日蜷川から電話させましょうか」
「ありがとう。自宅の方へお願い」
「了解しました。ご来店、楽しみにしていますね」
余計な口を挟む間もなく、二人は会話を続けている。
緊張したまま明菜は立ち尽くしていたが、話が途切れたタイミングで婦人が視線をくれた。
「可愛らしい方ね。お似合いよ」
「以前、市内の別の場所に店を持っていたときのスタッフなんです。どうしても『海の星』に欲しくて、口説き落としました。パートナーとしても」
「シェフも抜かり無いわ。でもね、あなた、旦那と職場まで一緒は大変よ~。私もずっと大変だったわ……、頑張ってね」
茶目っ気たっぷりに言われて、明菜はようやく素直に笑える心境になった。
「ありがとうございます。『海の星』で、ご来店心よりお待ち申し上げております」
「ぜひ。私も楽しみだわ。さて、立ち話してしまったわ。じゃあね。今日はお休みだものね、デート楽しんで。お邪魔してごめんなさい」
品よく別れを告げて立ち去ろうとする婦人に、由春が「お気をつけてどうぞ。では明日、蜷川から」と素早く言い添える。
わかったわ、と答えながら婦人は軽い足取りで歩き出し、ふと思い出したように肩越しに振り返った。
「シェフ、あなたピアニストでもいけるわね」
「恐れ多い。実は『海の星』には別にピアニストがいるんですよ。曜日限定なんですが、まだお会いしたことないかもしれないですね。そのへんも蜷川から案内させます」
「そうなの? 楽しみが増えたわ。ありがと」
楽しげに言って、今度こそ背を向けて立ち去る。
由春と肩を並べて見送った明菜は、婦人の姿が見えなくなっても立ち尽くしていた。由春に肩を軽くぶつけられて、はっと我に返る。
「よくお越しになる方だ。旦那様は少し気難しいところもあるが、悪い方じゃない。昔、少し。今は店とか料理というより、すっかり伊久磨を気に入っていて、いつも指名みたいなものかな。かなりご贔屓にしてくださってる。覚えておいて」
「はい。忘れません、とても素敵な方でした」
(仕事、仕事。平常心)
自分に言い聞かせる。
そのそばから「婚約者」という、由春の一切の誤魔化しのない発言を思い出してしまい、頬が熱くなる。
「どうした? 緊張したのか?」
「いえ。なんでもないです。あの、ええと……。お店の外でこうしてひとに会うのが初めてで……、関係を聞かれたらなんて言えばいいか、私はわからなかったんですけど。春さん、全然躊躇がないから」
「『婚約者』? 他にどう言えば、逆に知りたいくらいだ」
穏やかに微笑みながら、明菜の手を取り、軽く握りしめる。
「疲れただろ。どこかで軽く食おう。あ~、ここからならフェリチータって手もあるけど、うるさいんだよなぁ、あそこのシェフ。まあいいや、行く?」
手を繋いだまま、歩き出す。
(春さんから、手を……。ああもう、さっきあんなに綺麗なピアノ弾いていた手と手を繋いじゃった。あの動画一生の宝物にする……。今日帰ったら永遠にリピート)
そこまで考えて、ふっとさきほどの由春の言葉を思い出す。
――そっか。家に帰さないといけないのか。それは残念
しぜんと、繋いだ手にきゅっと力が入ってしまった。
ぎゅっと握り帰された。心臓がだめになりそうなほどばくばくと鳴り出した。
「は、春さん。今日、この後……」
帰らないのもありですか?
喉元まで出かかった明菜の覚悟などまったく気づいていないらしい由春は、完璧過ぎる甘やかな笑みを浮かべて明菜を見下ろした。
「大丈夫。明日の仕事に障りないように、ほどほどの時間できちんと家まで送る。運転は俺だから、明菜は気にしないで飲んでもいいぞ」
「……はい」
(帰らないのは今日も無しですね。はいっ! わかりましたっ!)
明菜は心の中でも大変模範的な返事をしつつ、やっぱり今晩は動画永遠にリピートだ、と思った。
進んでいるようで、立ち止まっているような、もどかしい関係。だけどきっと、少しずつでも前に向かって歩みだしているはず。
――婚約者です。
耳の奥に残る幸せな響きを噛み締めて、明菜は由春と繋いだ手に力を込めた。
(๑•̀ㅂ•́)و✧作者体調回復傾向です。
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