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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
41 名前の無い関係
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すれ違い

「エレナ」


 嘘、と思った。

 振り返って、名を呼んだ相手を確かめる。

 十歳年下の、調理師学校の同級生。年下とはいえ、三十歳に手が届く年齢のエレナからすると、相手もすでに体格的には育ちきって大人と変わらない。背が高く、見上げる形になる。

 午前中の調理実習を終えて、片付けを終えて廊下を歩き出したところで話しかけられた。


「アメあげる。手出して」


 アイドルグループにいそうな、甘い顔立ち。

 よく日に焼けた肌に、溶け崩れるような満面の笑みを浮かべて、どことなく甘ったるい口調で言ってくる。


(手を出して、と言われても。べつにアメいらない)


「西村くん。私、アメ苦手なんだ」

「アメが嫌いなひとなんかいる?」


 思わず、むっとしそうになるのを押し隠し、エレナは平静を装って答える。


「虫歯になりやすい歯だから、長時間口にものを入れないようにって、歯医者にかかったときに言われていて。アメやキャラメルはNGなの」

「ガムは?」

「ガムも。お砂糖入ってないようなのしか、食べられない」

「人生損してない?」

「人生?」


(アメとキャラメルとガムが食べられないことで? そこまで?)


 きょとんとしたエレナは、目を瞬いて相手を見つめてしまった。

 その視線に、もちろん、特別な意味などないのに。西村少年は、にへらぁっとしまりなく笑う。


「俺、エレナのこと超好きでさ。キャベツの千切りが百切りになるところとか、もう、超可愛くて」


 反応できずに、固まる。

 好きとか可愛いとか。手先の不器用さと並べられても、嬉しくもなんともない。


(嬉しくないどころか、迷惑。百切りってなによ?)


 体感的には遥か昔の、中学や高校時代。記憶を探って思い出してみれば、こういう手合はクラスに一人二人いたかもしれない。顔が良くてスポーツが出来て、女子にさりげなく意識されている。同じように目立つ男子や派手な女子を含めた四~五人グループで、窓際の席で大声をあげて笑っている。

 全然まったく、縁の無い層。

 天真爛漫とは言い難く、大っぴらにはしゃぐこともなかったエレナは、どうにも集団に身を置くことができず、仲の良い女子一人二人と行動を共にする学校生活だった。休日も待ち合わせて映画を見たり、雑貨屋さんをのぞく程度で、カラオケやゲームセンターなどに近づくこともなく。


(そういえば、「海の星」のメンツも、椿邸の住人も、特にカラオケに行こうって話にはならないのよね。今まで気にしたこともなかったけど)


「エレナ? 何ぼーっとしてんの?」


 さ、さ、と目の前で掌を広げられて、鼻先すれすれのところで行ったり来たり。なんの前触れもなく顔にぶつかりそうな位置で手を振られたのは、少なからずショックだった。むずがゆい風が吹き付けてきて、くしゃみしそうになり、顔も歪めてしまう。


「西村くん」

和美(かずよし)でいいよ。西村くんって呼ばれ慣れなくて。なんか固い」

「私、固い女なので」


 冗談を言ったつもりはなかったのに。

 目の前で西村はゆっくりと破顔して、弾けるような笑い声を響かせた。通り過ぎる他の生徒がびくっと肩を震わせて振り返るほど。エレナももちろん、固まってしまう。あまりにも屈託なく朗らか。腹を抱えて、そっくり返って、そこまで笑わなくてもという鮮やかさで。

 長い指で目尻の涙をぬぐいながら「やー。エレナ面白いわ」と言われて、ようやく我に返る。


「その、エレナって、名前……」

「綺麗な名前だよね。藤崎エレナって、すごく美人の名前。お固い美人。職業、社長秘書って感じ?」


(実際に社長秘書だったけど、当てずっぽうでそんなの当たる!? じゃなくて、名前呼び捨てなんて普通しないよねって言いたくて……! 年上だし。同級生だけど。年上だし!!)


 言いたいことはたくさんあるのに、うまく言うことができない。おそらく、この会話成立するのかな? という不安を抱いているせいだ。徒労。ここまでの会話で、すでに疲れている。


「そうだ、エレナ。連絡先ちょうだい。同じ班だし、何かと連絡もあると思うから」

「材料は学校が用意してくれているし、欠席がいてもシフトみたいに穴埋めする必要もないから、連絡することはないんじゃないかな」

「おしえて?」


(~~~~~~~~通じない!!)


 ぴらっと、大きな掌を目の前に出される。スマホがのっている。

 気持ちの上では、もう一度断る気満々だったが、同じ会話を繰り返す根気がなくて、折れた。

 お互いのスマホを近づけて、連絡先を送り合う。

 これでようやくこの会話をクローズできる、とエレナはゆるく微笑んで「それじゃ」と言った。

 西村もにこりと笑う。


「エレナ、手を出して」


 言い返すのが面倒だという理由で手を出すと、個包装のチョコをひとつ、手の上に置かれる。


「口の中に長く入れるお菓子がだめなら、チョコは大丈夫?」

「ありがとう。チョコは好き」


(……お菓子をたくさん持ち歩いているのかな?)


 見た目はガタイの良いイケメンで、不良っぽくもあるのに、食べ物に細やかなところがこの学校の生徒らしい。

 一瞬だけ、和やかな気持ちになったところで。


「それじゃ、今日は実習の班の親睦会だから。十七時集合。大通りのカラオケ。道わからなくなったら電話して」

「え? ん? 今日? あの、私、今日は」

「エレナ、木曜日がアルバイト無いって言ってたから、皆でその日にしようって合わせたんだ。遅れるなよ!」

「……っ」


 目も口も大きく見開いたのに、エレナはろくにしゃべることもできないまま。

 西村は爽やかに笑みの残像を残し、身を翻して大股にあっという間に歩き去ってしまった。


「今日は……」


(西條くんと約束が……。フレンチのディナー、西條くんと待ち合わせ……)


 ――エレナ、木曜日がアルバイト無いって言ってたから、皆でその日にしようって合わせたんだ。


 確かに、実習中に何気なく休みを聞かれた覚えがある。その時は雑談だと思って特に構えずに答えた。親睦会の話など、出ていた覚えはない。いつどこでそんな。

 エレナはしばし立ち尽くしてしまった。

 やがて、スマホの画面をじっと見つめてから、ロックを解除した。


 * * *


「親睦会? 調理師学校の、実習の班? 今日?」


 出先から椿屋付近まで戻ってきたところで電話を受けた西條聖は、肩と耳の間にスマホをはさみながら街路樹の下を歩いていた。


「たしか実習の班って、一年の前半は和食と洋食ともに同じ班だって言ってたよな。コースが分かれるまで半年くらい一緒なんだっけ。それで、わざわざ藤崎に合わせて皆で都合つけてくれたなら、行った方が良いな。バイト休んだり調整してくれてるかもよ、それ」


 電話の向こうでは、藤崎エレナがいつになく歯切れ悪く「でも先約は西條くんで」とぐずぐずと言っている。

 聖はかすかに眉をひそめて、スマホを手に持ち、足を止めた。

 さわっと風が吹いて、梢が揺れる。

 

「俺はいいよ。今朝たまたま声かけただけだし。藤崎とは毎日家で顔を合わせて飯も一緒に食ってる。優先するのはそっちの人間関係だろ」


 ――学校の友達だって毎日顔合わせるし、実習で作った料理一緒に食べてるし。


 エレナらしくなく、食い下がっている。聖は道向こうの椿屋を見るとはなしに見ながら言った。


「確かに店に予約は二人で伝えているけど、記念日ディナーでもないんだから、相手は藤崎じゃなくても大丈夫だ。いざというときの椿っていう、都合の良い男もいるし。べつに」


 話しながら、妙な気配を感じて、聖は肩越しに振り返る。

 どこかへ出た帰りなのか、ベストにエプロン姿の「セロ弾きのゴーシュ」の樒が「よ」と手を上げて近づいてきたところだった。


「樒さんだ。久しぶりです。近いのに会わないもんですね」


 思わず、通話中だったのを忘れて、電話を耳にあてたまま話しかけてしまう。

 眼鏡をかけた樒は、いつもながらの笑みを浮かべて、スマホを指差しながら「それ、いいの?」とのんびり言った。

 電話の向こうでは「樒さん? なに? 西條くん?」とエレナが焦ったように声を上げていた。


「ああ、えっと。樒さんがいま目の前に。ってことで、藤崎、こっちのことは気にしなくて良いから。電話切るぞ」


 ――西條くん!? 西條くん!?


 ぶつ、と✕を押して、通話終了。


「まだ何かしゃべってなかった?」

「用件は伝え終わっていたので、大丈夫です。夜の予定がちょっと……樒さん、俺と食事どうです?」

「俺? 君、見境無いねー。まさかこんな近所で顔見知りにナンパされると思わなかった」

「ナンパ……。ナンパといえばナンパか。べつに言い方はなんでもいいですけど。俺、退屈させないですよ。たとえ、食事が期待はずれでも。初めての店なんで、味は保証の限りでは」

「退屈させないって、君ね。セリフは面白いけどさ」


 くっくっくと、笑いながら、樒は歩み寄ってきて、聖の横を通り過ぎる。

 それから、振り返って面白そうに言った。


「何時?」

「予約は十八時半。仕事十八時に終えられます? 車は俺が出しますので。そうだ。飲んでもいいですよ。帰りも送ります」

「あっはっはっは、面白そう。行ってみようかな」


 樒はひとしきり笑ってから、不意にぴたりと笑いをおさめて眼鏡越しに上目遣いのように聖を見る。目が、まだ笑ってる。


「聞いていい?」

「はい。連絡先ですか」

「それもだけど、君の名前。いまいちフルネームわかってないんだよね。西條、で間違いない?」

「……っ、そうですよ! 西條聖です」


 往来で思いっきり名乗りを上げてから、聖はハッと息を呑む。

 樒は何も気にした様子もなくスマホを取り出して「じゃあ。まあ教えて。俺アプリいれてないから電話番号」と連絡先を交換してから、別れた。

 樒が立ち去った後も、なんとなく街路樹の下に立ち尽くしていた聖は、思い出したようにスマホの画面に目を落として呟いた。


「俺も樒さんのフルネーム知らないんですけどね……」


 登録名は樒という入力のみ。

 自分から誘ったわりに、狐につままれたような感覚が消えない。

 溜息をついてから、街路樹の上に広がる青空を見上げた。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] うおっと! ここでまさかの新キャラ? とか思い、ドキドキ・ハラハラしつつ読みましたが…… う~ん、彼は名前はあるけどモブでしょうか? ステラマリスには珍しいタイプのキャラですが、カンフル…
[一言] ありゃりゃ、これは微妙なすれ違い展開ですね……!! 名前聞かれたときに思いっきり動じている聖さんは面白かったけど、電話の対応アレで後悔したりしないの~?と心配にもなったりしました!(笑)
[一言] おもしれー女キターーー!!!!(大歓喜)
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