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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
Fairy tale 3
273/405

四月朔日

 ――そんなに朝早くから大丈夫ですか? せっかくのお休みなのに。


 通話状態のスマホからの問いかけに、岩清水由春はキッチンの時計を見上げた。

 現在、夜の十一時。少し考えてから返事をした。


「やっぱり早いか? 朝の五時」


 ――私は起きるのは全然大丈夫ですけど! むしろ今から寝られないまでありますけどね!? 春さん、まだ職場ですよね? それで明日五時って実質全然寝てないと思うんですけどっ。


「俺は大丈夫。久しぶりに沿岸の方に行こうかと。運転は俺がするから明菜は車で寝ていても良い」


 ――いえいえ!? むしろ私が運転しますよ!? あ、でも春さんの車ってマニュアル車じゃないですよね。私、免許はマニュアルでとっているけど、運転は……。


「オートマだから心配ない。レクサス、ナビも使いやすいし運転しやすい。一緒に暮らすようになったら、明菜も自由に使っていていい」


 うっ、と息を呑む気配を最後に、沈黙。

 由春はスマホを持ち直して、耳を寄せる。


「どうした? 住む予定の家、駐車場は二台分あるから明菜の車も置ける。たしか軽だよな? 買い物程度ならともかく、遠出したり高速に乗るなら乗用車の方が安心だ。できれば俺の車にも慣れて欲しい。もちろん俺がいるときは俺が運転する」


 ――私、車に詳しくないですけど、レクサスは高級車ですよね。ぶつけたら怖いな。住む予定の家が駅前の新築というのも……。そもそも春さんのご実家が、あんな資産家とは知らなくて。


「車は俺のだから、ぶつけても修理すればいいだけだ。他人を巻き込んだり、明菜が怪我をしたりしなければ良い。家に関しては家賃も固定資産税も払う取り決めになってる。実家の資産は親のものであって、俺のものではないので、関係ない。何も気にすることはない」


 キッチンの中を歩き回り、最終確認をして、裏口に立つ。警備システムのスイッチを入れる。

 明かりを消してから外に出て、スマホを肩に挟み、ドアに鍵をかけた。


「朝の五時はやっぱり早いな。それで一日いっぱい、夜までだと明菜も疲れるだろう。明後日からの仕事にも障る。もう少しのんびりしよう。朝食の後だと何時になるかな」


 ――そこまで遅くしなくても! 朝ごはんから一緒が良いです!! なかなか会えないので、春さんの睡眠時間を確保しつつ、なるべく長めに一緒に……。


 遠慮がちな声を聞きながら、歩き出す。


(なかなか会えない、か)


 三月末日。

 日付が変われば四月で、定休日を挟んでその翌日から明菜は「海の星」勤務になる予定だ。

 そこからは、ほぼ毎日顔を合わせる生活になる。公私ともに。

 その前に、一人の自由な時間があった方が良いかと、無理に時間を作って会ったりすることはなかった。

 

 会いたい気持ちがなかったわけではないが、あまり考えないようにしていた。


 働く場所も住む場所も、ほとんど選択肢らしいものを提示することなく、強引にペンションの仕事からさらってきた負い目もある。

 明菜には、後悔したり、引き返したいと願っている徴候が見られないか。話す機会があるたびに、注意深く観察をしてきたつもりだった。


(大丈夫という意味で良いのだろうか。明菜は)


「朝から開いている気の利いた店というのもなかなか無いな。そうだ、『セロ弾きのゴーシュ』は意外と朝早い。あそこはうっかりすると、知り合いに会うが」


 ――(しきみ)さんのお店ですね! 良いですね、珈琲美味しいですし。行きましょう!!


 口をすべらせてしまったら、そのまま決定事項となってしまった。

 待ち合わせ時間を決めて、歩きながら少し話してから電話を切る。


 時間帯のせいもあり、夜道に人影はない。

 暗い空を見上げて、息を吐き出した。もう、白く曇ることもない。

 風は冷たいが、かすかに芽吹き始めた緑の匂いがのっている。


「春、きたなぁ」


 呟いてから、いつの間にか足を止めていたことに気付いて、歩き出した。


 * * *


「蜷川さん、結婚できなかったんですか」


 翌朝、喫茶「セロ弾きのゴーシュ」のカウンターにて。

 明菜と並んでモーニングのトーストを食べながら、由春が共通の知人の話題を出す。

 カウンターの内側で、ドリップ珈琲をいれていた樒が、横を向いてふきだした。


「全然意外じゃないのが、あの二人だよね。やりそう。まあいいんじゃない」


 馥郁たる珈琲の香りが漂う中、樒の低い声が楽しげに響く。


「出会ってから、結婚まで早かったからな。しかもそのほとんどの期間、遠距離だったわけだ。少しクールダウン期間があって、良かったかも。伊久磨は……」


 言いかけた由春の前に、青く艷やかな珈琲カップが差し出される。

 ふわっと立ち上った湯気に、眼鏡が一瞬くもった。食事くらいなら支障はないので、由春は眼鏡を外してカウンターの上に置く。

 視線を頬に感じて、左隣に座った明菜に目を向けた。


「どうした?」


 いえっ、なんでもっ、と明菜は焦ったように言いながら顔を逸らして前を向く。わずかに頬が染まっているように見えたが、錯覚かもしれない。

 由春は珈琲を一口飲んで「美味い」と呟いてから、話を続けた。


「伊久磨は、自覚していなさそうだが。恋人よりも、妻よりも、『家族』が欲しいんだろうな。そういう意味でも、これ以上ない相手だとは思う。両親も伊久磨を歓迎しているし、光樹もついてきた」


(それと……。伊久磨にとっては、かけがえのない「命」のような椿と、フローリストはどこか似ている)


 他人には、はっきりとはわからない。きっと誰も口を割らない。伊久磨と静香と椿香織三人の間の、目には見えない絆。


「『家族』が欲しい? そういえば、蜷川さん、本籍地がここじゃないってことは、ご実家は」


 トーストを飲み込んだ明菜に尋ねられ、由春はもう一口珈琲を飲んだ。

 カップをソーサーに戻す。

 その僅かな隙に、樒が「いないんだよね。実家も無い」と淡く微笑みながら告げた。

 明菜は目を瞠った。とっさに、失言を避けるように、言葉を飲み込んだ気配。

 樒の発言を引き継ぎ、由春は抑えた声音で説明した。


「本人が隠しているわけじゃないし、話題として特別避けているわけでもない。事故で死んでいる。両親と、妹がいたと聞いている。親戚づきあいもあまりなかったみたいで、いわゆる天涯孤独に近い境遇だ。家族との仲は良かったみたいで、当時はすごく落ち込んでいたらしい。生活に支障が出る状態で、他人の椿が縁あって面倒をみていたとか。『海の星』に入社する直前の話だ」


「家族の話……、蜷川さん、普通にするから。私、気付きませんでした」


「それでいい。本人も、いきなり説明するのは、難しかったはず。徐々に知っていけばいいんだ。これから職場で顔を合わせれば、何かと話す機会もある。そういうときに」


 そうですね、と明菜は神妙そうに頷いて珈琲カップに手を伸ばしていた。なかなか、持ち上げることはできない。これまでの伊久磨との会話を思い出しているような横顔だった。


 樒のやる気のない雰囲気は相変わらず。珈琲の美味しさも、いつも通り。それどころか、実は以前より美味しくなっているようにすら感じた。

 侮れない男。


 ――ところでそこの結婚はいつ?


 帰りがけに聞かれ、由春は支払いをしつつ「こうなると、伊久磨より早いかも」と答えた。

 樒は、小銭を木製のカルトンにのせて差し出してきながら、ふわりとした笑みを浮かべた。


 * * *


 日中、新しい家用の家具などを見て歩き、夕方に由春の家へと向かう運びとなった。

 明菜は気を使うのではないかと心配したが、むしろ「避けたいわけではないので、お邪魔します」とのこと。

 家に着くと、珍しく静まり返っていた。ピアノの稽古もなく、母は外に出ているらしい。居候のオリオンも今日は一日出かけると言っていたはず。


「リビングでもいいけど、俺の部屋にでも行くか?」


 由春から何気なく声をかけると、明菜が目に見えて全身を強張らせた。


「どうした?」

「いえいえいえ、全然予想していなかったので。びっくりしただけです」

「びっくり?」


 何をだろうと思いながら、階段を上って二階に向かう。廊下を通って、自室の前でドアを開けた。


「どうぞ」

「はい。お邪魔します」


 びくびくしている明菜を不思議に思いつつ、後に続いてドアを閉める。

 その音だけで、明菜が文字通り、飛び上がった。


「なんだ?」

「いえいえいえ、こう、人目のないところで、二人きりになることって、今までほとんどなくてですね……ッ」

「何の話をしてる?」


 由春は困惑のままに聞き返した。

 窓から差し込む光は、ほんのり傾きはじめて夕暮れの気配。

 その光の中でもわかるほどに、明菜は顔を赤らめている。


「あの、その……。春さん、何かします?」

「何かって? 悪い、話が飲み込めてない」

「いやいいんですけど! こう!! 後手でドアを閉められて、二人きりともなれば、な、何かあったりするのかなって。あの、あっても良いんですよ。大丈夫なんですけど、心の、心の準備もできてますし」


 そこでようやく、由春も明菜の意図が見えた気がした。


(全然考えなかったわけじゃないけど、そんな獣ではないつもりなんだが)


 さてどうしようこの空気、と悩む由春の前で、明菜が真っ赤になったまま小声で叫んだ。


「私ここで押し倒されたりします? あ、でも大丈夫だと思います。はい。いつでも」


 由春は声に出すことなく、心の中だけで叫んだ。


(明菜の想像の中の俺、テンション高ぇな!! 自室に連れ込んで、後手でドアを閉めながら堪えきれない獣となって押し倒す……? マジでそれを求められているのか? 俺が?)


 自分までつられて顔が赤くなるのを自覚しながら、由春は明菜にそっと腕を伸ばして、引き寄せた。

 煽られすぎて心臓まで騒ぎはじめているのを感じつつ、柔らかな体を抱きしめて、額に口づけを落とす。


 ――ところでそこの結婚はいつ?


(「こうなると、伊久磨より早いかも」って言ったな俺。これだけでこんなに動揺しているのに?)


 いきなり前途多難さを覚えた由春の脳裏に、樒の笑顔と言葉が蘇る。


 ――ああそう。幸せになってね。


※ここまで読んで頂きありがとうございました。

 この続きをムーンで探して頂いても存在していません。いまのところ。

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― 新着の感想 ―
[一言] >(明菜の想像の中の俺、テンション高ぇな!! 自室に連れ込んで、後手でドアを閉めながら堪えきれない獣となって押し倒す……? マジでそれを求められているのか? 俺が?) 明菜さんはコミックフェ…
[良い点] 明菜さんがめっちゃ可愛い回(≧∀≦)ノ そしてうん、由春もこれは困るよねぇ笑笑 初々しさがとても良いですねえ
[一言] 前半で『由春、やっぱりスゲーしっかりしてんな~!』と思っていたら、後半の内心の叫びとのギャップで思わず笑ってしまいましたwww それにしても明菜さん、本当にハジけておられる!
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