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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
39 星をつかむ
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あの空に輝ける星(後編)

「まずは岩清水シェフ、このたびは取材を受けて頂きありがとうございました」


 由春と向かい合った大沼が、座ったまま頭を下げる。

 居住まいを正して背筋を伸ばしていた由春も、軽く会釈を返した。


「こちらこそ。遠路はるばるまだ寒い中、ご足労いただきましてありがとうございます」


 二人の視線が交わる。

 顔を上げた大沼は、すぐに快活な笑みを浮かべて、朗々とした声で話し始めた。


「お料理どれも本当に素晴らしかったです。華やかで、色合いも綺麗で、食べても美味しい。さすが岩清水大豪シェフの流れを汲む奇才といったところですね。建物やアンティークも見応えがあって、とても贅沢。近くにお住まいの方が本当にうらやましいわ」


 大沼の顔を黙して見つめていた由春は、言葉が途絶えたところで、ふっとやわらかく微笑んだ。


「そう言って、ここに移住してくるお客様がいるくらいの店に出来たら良いとは、本気で考えています」


 毒気を抜く、優しく穏やかな声音だった。

 大沼が、一瞬鼻白んだ気配になる。

 すぐに笑みを顔に貼り付けたまま、気安い口調で続けた。


「町おこしですか。才能のある若いシェフが、地方で。良いですね~、夢があります。サクセスストーリーの新しい形ですよ。東京で一旗揚げるのも良いですけど、地元で栄達するというのも素敵です」

「ありがとうございます。俺は自分のできることとして、ここで料理を作っているだけですが。それが誰かの夢や希望になっているというのなら、それを胸に今日からまた頑張れる」


 大沼から目を逸らさぬまま、片手を胸にあて、柔和に微笑みかける。

 由春のその一言で、辺りが静まり返った感覚があった。

 誰もが息を止めて見守っている。


「そうは言っても、シェフはお若いですよね。田舎に引っ込むのが早すぎたと思いません? 首都圏でも、海外でもじゅうぶんに勝負できる才能です。シェフには、欲が無いんですか」

「欲。欲か。さて。この建物、今は一部しか使っていません。人手が足りないのもあるし、改修が追いつかないのもある。本当はバーカウンターや、食後のお茶を飲むためのサロンも欲しい。少しカジュアルなカフェ営業もしたいし、レストラン利用以外にも、パンや焼き菓子の販売もしたい。やりたいことはたくさんある。それが欲といえば欲ですね」


(わかる)


 事業計画自体は夢いっぱい無限大なのだ。由春の語る未来図は、伊久磨の夢でもある。今から始めて、数年がかりで腰を据えて取り組んでも、すべてを成し遂げるのはいつになることか。

 頷きながら聞いている伊久磨をよそに、大沼はやや冷めた調子で言った。


「シェフは、世界に挑戦したいという気持ちはないんですか。このままだと地方の名士止まりです」

「地方の名士もなかなか大変だ。なろうと思ってなれるかどうか」


 どこまでも、肩透かし。

 若くて才能があり、伝説のシェフの系譜で、本人の経歴も華々しく。

 望めばどこまでもいけるはず、なのに。


(料理で立身出世。地方にいても世界を見据える野心家。岩清水さんは、大沼さんが描くそのストーリーラインに乗っていかない)


「シェフがこの土地にこだわる理由はなんですか。よほど惚れ込んだ食材でも? 地方のレストランに取材に行くと、皆さん口を揃えて言いますね。地産地消、旬の食材。そこでしか食べられないもの。そういうことですか?」


 攻撃的な口調で尋ねられた由春は、「そうですね」と長閑な口調で呟いた。


「それはもちろん大事だと思っています。他の地域や、世界からお客様を呼ぼうとしたら、外せない。一方で、そればかり強調するのも違うかな、と。地元の人間に地元の食材を高値で食べさせても、そこまで嬉しいだろうか。それが珍しくてありがたいのはよその人間だけであって、そこを『売り』にするのは地元のお客様にとっては違うように考えています。俺は」


(またセオリー崩しにいってる。大沼さん記事書けなくなるって)


 かろうじてまだ微笑んではいるが、由春と話し始めてからの大沼は常に「やりづらい」と顔に書いてある。

 その大沼に対し、由春は淡々と説明した。


「アジアに店舗展開した有名店の話を聞いたことがあります。『肉でも魚でも、鮮度の良い状態で日本から取り寄せて、日本人のシェフが調理する』という触れ込みで営業をしていたときは客入りがすごく良かったと。その後、シェフが地元食材の良さに気づき、徐々に料理に取り入れていくようにしたら、一時的に客足がとても落ちたのだとか。このことからわかるのは、現地のお客様が食べたいのは『それ』じゃなかったということ。その店は、ターゲットを一度外国人客に絞り、『外国からもお客様が来る有名店』というプレミア感で地元客を呼び戻したとのことです。正直、バックアップもない個人のレストランでその真似事はできない。地元のお客様にそっぽを向かれたら、そこまで。その意味では、いかに『地元の食材の良さを世界に発信したい』という思いがあったとしても、『今日のお客様が食べたいのは本当にそれか』は毎日真剣に向き合って、考えています」


「お客様ごとに、料理内容を大幅に変えているということ、ですか?」


 すっと由春が視線を流して、伊久磨を見た。

 眼鏡の奥から、いつもの笑みを向けられる。


「蜷川を始めとしたスタッフが、予約時にかなり細かい打ち合わせをしています。必要であれば、当日まで何度も。『海の星』の料理は、俺が良いと信じて作っているものですが、同時にそれはお客様がその日本当に食べたいものであって欲しい。事前の打ち合わせ内容と、その日の天気、仕入れ。全部考慮して作る。ご来店時の情報次第で、その場での変更もあり得る。ホールスタッフとの連携で」


 大沼の、試すような鋭い視線を浴びて、伊久磨は真剣な表情で頷いてみせた。


「最善を尽くしています。もちろんうまくいかないこともありますが。最近だと、岩清水大豪シェフのご予約時にスタッフ一同お叱りを受けましたね。『これはお前の食べさせたい料理だろ!』って。あのときは私も反省しました。相手が相手だけに、しつこく聞いたら失礼かな、と一歩ひいてしまったんです。もっといつも通りに事前打ち合わせをしておくべきでした」

「おい」


 由春の呼びかけと、誰かの笑った気配が重なる。伊久磨がちらっと視線を送ると、ピアノのそばで腕を組んで立っていた大豪が破顔していた。


「大豪シェフのご予約?」


 すかさず大沼に聞き返され、伊久磨は「あっ」と小さく呻く。


「すみません。お客様の個人情報をついうっかり。大豪シェフ、申し訳ありません」

「構わない。由春に逃げ切らせるな。追い込め」


 心強いことを言われて、伊久磨が由春の方へを顔を向けると、冷ややかに言われた。


「『もちろんうまくいかないことも』とか、『ついうっかり』で取材中にお客様の個人情報をバラすとか、アホか」

「ところがこう見えて、計算です。現に大豪シェフのオーケーも出ましたからね。岩清水さん、今日ちょっと可愛げがなさすぎですよ。大沼さん困ってるじゃないですか。せっかくここまで来てくれた大沼さんが、あまり楽しそうに見えないです。もう少し話にのってもいいのに、全部かわすから」


 うるせえな。


 完全に、本音が顔に書いてあった。

 伊久磨は無視を決め込んで、大沼に心の底からの笑みを向けた。


「シェフは大沼さんのイメージする若手料理人とは違うかもしれませんが。これで、嘘は言っていないんですよ。岩清水さんにとっては、今、ここで、自分で始めたこの店を続けていくことが、意味のあることなんです。自分が有名になったり、誰かに認められることよりも」


 それとなく由春の後ろに回り込んで肩に手を置く。ふざけんな、とばかりに手で払われる。

 呆れたのか、口を挟むことができなかっただけなのか、見守る形になっていた大沼は、そこでようやく声を発した。


「仲良いのね」

「それかよ」


 間の抜けた感想に対し、由春の素が出た。大沼が苦笑する。その様子を見ながら、由春が何気ない調子で続けた。


「少し、胃が疲れているんだろうか。最後の頃、食べるのが辛そうに見えた。聖がいま胃に良さそうなもの作ってる。ココナッツミルクのデザートスープ。食べた方が元気になる」

「私? 仕事柄健啖家なのが強み……と言いたいところだけど、最近どうも。よく見ていますね」


 不調を見抜かれた大沼は、空元気でアピールすることもなく、素直に認めた。

 由春はわかっている、というように頷いてみせる。


「この店に来たひとを、疲れた状態で帰すわけにはいかない。それと、ここまで来たついでに、時間が大丈夫ならもう一軒取材していかないかと。オススメといえば、オススメの店が」


 含むところのある様子で「もう一軒」の説明をした由春は、顔を出した聖に「英司に連絡」と声をかける。

 とてつもなく嫌そうな顔をしながらも、聖はスマホを取り出し電話の向こうの相手にぶっきらぼうに伝え始めた。


「俺。そう、俺。今からうちの店全員で行くから、テーブルおさえて。あと取材。由春が『海の星』は載せなくていいからフェリチータをって紹介してる。そうそう、すごいすごい。英司すごい。英司すごい。すごいから働け。切るぞ」


 * * *


 ――気に入ってくれて良かった。せっかく「海の星」や聖の話を載せるなら、ここも一緒に。旅行がてら昼夜で全部まわろうってお客様もいるかもしれないし。この土地には良い店が幾つもある。


 ――他の店に望むこと? そうだな。聖には、うちと定休日をずらすように言ってる。予約を入れて食事に行きたいから。今からすごく楽しみにしてる。


 ――レストランの語源が「レストレ」、つまり「回復させる場所」であるというのが、俺がレストランを続けていく理由だ。ひとを楽しませるのはもちろん、ここに来たすべてのひとが、来る前より元気になれるようにと願ってる。お客様だけでなく、スタッフも。


 ――元気になりたいときはまたいつでもどうぞ。「海の星(ここ)」で皆で待ってる。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 由春さんの軽やかな返し、一枚も二枚も大人ですねぇ そうじゃなきゃオーナーシェフは務まらないか 流石でした(*'▽')ノ そしてラストの「下り」 思わずほろりと来ましたね(ノД`)・゜・。…
[一言] 出世することだけが料理人の全てではない( ˘ω˘ ) これは作家にも言えることですよね( ˘ω˘ ) 感銘を受けました( ˘ω˘ )
[一言] 確かに、ご当地名物と言っても地元の人はそれを案外食べてなかったりしますからね~。 ニーズを考えると言うのは確かに大事だと思うのと同時に、他では見ない意見だけど、大沼さんとしては『読者ウケを…
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