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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
39 星をつかむ
268/405

躓いても

 綺麗なひと。

 宝石にたとえられるほどに、澄んだ瞳。

 繊細な作りの細面は、清冽な香気を放つが如く人目をひきつけて、とらえる。

 顔は小さく手足は長くバランスの良い体躯で、どんな服も着こなす長身であるが、とりわけ彼を彼たらしめる白のコックコート姿は殊の外うつくしい。



「ってな感じに大沼さん、絶対に気合入れた文章書きたくなりますよ。まじで。もうそれ見開き一ページ使っちゃって、インタビューの言葉入れられなくなるからッ!! て周り全員で止めますけど。だってそんな文章より、写真一枚いや、二枚三枚、とにかく多めにのせたほうが絶ッッッ対、読者さん喜びますから」


 カメラマン・仁科創平(にしなそうへい)


(言っていることはわかる。西條さんのあの外見は、やっぱり誰が見ても)


 西條聖は、口を開けばガミガミとうるさく、由春相手だと手が出そうになることもあるほど、物騒な人間だと知っていてさえ(実は香織とも、すわ殴り合いか、と一触即発になっていた場面を目撃している)。

 艷やかな漆黒の髪、神秘的な青の瞳、すっきりとした鼻梁と引き締まった口元。そのどれもが猛々しさや荒々しさとは無縁なのに、男性的で凛々しい。


「写真撮りすぎたけど、撮り足りない。足りない。本人綺麗だけど、動作も綺麗。指先まで神経入ってるし、髪の毛一筋まで全部完璧。造形美極めてる」


 伊久磨とともにキッチンに姿を見せた大沼に対し、仁科は小走りで駆け寄って来て、完全に本人に聞こえる音量でまくしたてはじめた。

 案の定、聞こえていた聖が口元に不敵な印象の笑みを浮かべて言う。


「俺の育ての親、職業写真家だけど、俺の写真は全然撮らなかったけどな」

 途端、仁科はぎゅいんっと顔を向けて「ありえねえわ」と大きな声で断言した。

「いろんなひとに会ってきたけど、リアルにここまでの美形、二度とこの距離で見られる気がしない。生きて動いているとか、マジありえねえ」


 過剰な仕草で両手を広げ、熱弁。

 目を細めて見ていた聖は、そっけなく言った。


「顔で料理作ってねえけど。なんの取材だよこれ」

「声までイイんだわっ!!」


 閉口。

 あきらかに「そいつうるさいんだけど、どうにかしろ」という意味合いの視線を向けられ、伊久磨は「自分でどうにかしてくださいよ」とひとまず目だけで答えた。


「西條シェフがオープンキッチンのお店に立ったら、すごいことになりそう……メディアもお客様も放っておかないわ」

 しみじみと大沼が呟く。

(やっぱり、ひっかかるな、何か)

 横に立って聞いていた伊久磨は「そうですか?」とさりげなく注意をひいた。

 顔を向けてきた大沼に対し、きっぱりと言う。


「付加価値は、付加価値でしかないです。料理やサービスがお客様の求める水準になければ、一度来たお客様も二度とはお越しにならないでしょう。西條さんだってそのへんはよくわかっているはずです」

 いつも、自分にも他人にも厳しい人間だからこそ。


 聖がどれほど真摯に料理に向き合っているかを、知っている。それは、聖本人と話せばすぐに知れるであろうこともわかる。

 それでもすでに「顔で料理作ってねえ」まで言わせてしまった。

 先入観はいかんともし難くとも、これ以上無礼な言葉を浴びせてほしくはない。

 その気持から、つい言いすぎた。

 大沼の視線が鋭いものになった。

 やめようと思ったはずなのに、伊久磨は自分を止められず、穏やかながらもはっきりと告げた。


「取材相手にお世辞を言って気分よくして言葉を引き出すのが仕事だと考えているなら、違うんじゃないかと思います。少なくとも西條さんもうちの岩清水も、ちやほやとおだてられる為に仕事をしているわけじゃありません。まず料理ありきです。そこからです」

「蜷川くんだったわね」

「はい」


 伊久磨の顔を見ていた大沼の視線がすべる。名札を確認する仕草に見えた。

 もう一度、見上げてくる。すっと目を細められた。


「あなた、いつもそうなの? お客様にもそういうこと言っちゃうの? 『あなたのやり方は間違えていると思います』と。それを言うのが正しいと思っている? 自分の正しさを押し付けるのが『サービスとしてのあなたの仕事』なの?」


 “あなたに馬鹿にされるいわれはない”


 怒りを、ぶつけられる。

 伊久磨はまっすぐにその目を見つめる。逸らさず。


 あなたの仕事なのか、と問われた。

 これまでの様々な経験、記憶をざっと参照する。

 不快を与えたのは間違いない。

 退くべきか。謝るべきか。

 強気になりすぎず、意固地にもならず、自分を押し付けることなく。


 ――肥大した自尊心など、邪魔なだけだ。


(それでも、譲れない部分は譲れない)


「仕事の理念とは少し違います。今は個人的な感情が出ました。もし大沼さんが完全に一般のお客さまなら言っていません。大沼さんが厳密にはお客さまではなくとも、その向こう側に、雑誌を読むたくさんのお客さまがいらっしゃるのもわかります。ですが、大沼さんの取材が始まってから、言葉の端々に違和感がありました。もし大沼さんがどこかのお店の店員なら、その店にクレームをつけることはないにせよ、もう行かないと思わせる類のものです。取材を受けた結果、『雑誌が出るのを楽しみにしています』と言うのには抵抗があります。むしろ『変なこと書かれないかな、大丈夫かな』と現物見るまでハラハラしそうな感じです」


 です、と言い切ったところで、辺りが静まり返っていることに気づく。

 全員に見られている。


(うん。やってしまった)


 * * *


 ――サービスは自己満足じゃだめだ。良かれと思ってやる、相手はこれで喜ぶはずだと自分の考えで決めつけて押し付ける、そういうのはサービスとは言わない。


 ――相手をよく観察して、何が必要か考える。先回りする。だけど、あくまでさりげなく。「これに気付いたのは自分です」と手柄を誇ることなどあってはならない。


 ――店側のルールを押し付けるのもだめだ。お客さまが席にいるならテーブル会計、レジまでお立ちになったらレジ会計をすればいいだけで、立っているお客さまに声高に「テーブルまでお持ちします」と声をかけるのは違う。周りのお客さまに「あのひとはルールをわかっていない」と見せしめにするようなものだ。


 ――相手の立場に立つこと。わからないときは、わかったふりをしない。でもそれは「わからなくても大丈夫」とは違う。店に立つときは常に緊張感を持って。常連のお客さまが店側に望むこと、ハードルはずっと上がり続ける。前回より悪くなってなくても、同じでさえ「飽きたからしばらく行かない」になる。この価格帯でこの雰囲気でやっていく店なら、確実に、毎回違う感動を提供する心づもりでいなければならない。


 オーナーシェフの岩清水由春は、仕事に関しては凄まじくうるさい。

 最近ようやく、以前ほど言われなくなっただけで、オープン当初は毎日その薫陶を受けていた(※すごく叱られていた)。


 その環境で叩き上げられた伊久磨としては、もちろん外部の人間に仕事の場でこのような口をきくというのは、本来ありえない事態ではあった。

 しかも、直前に大豪の、心が洗われるようなインタビューも聞いていたのである。

 謙虚になろう、と思った矢先の出来事。

 自分で自分に驚いていた。


(いや、驚いている場合じゃなくて)


 ――店はチームワークで、助け合いだ。自分の持ち場だけできれば良いとか、自分の担当しているお客さまだけ見ていればいいとか、そんなことはない。自分の持ち場は完璧に出来た上で、店全体でフォローし合うこと。


 これまでずっと言われ続けてきたのだ。

 伊久磨は調理には手出しはできないものの、自分の持ち場をきちんとこなすことと、キッチンの足を引っ張らないことは自分に厳命してきたというのに。

 聖の、由春の料理を信じて、取材者の前に差し出すまで黙っているべきときに、黙っていられなかった。

 いくら大沼の態度に失礼なものを感じていたとはいえ、完全に独断専行。チームワークの和を乱した。

(まず、謝ろう)

 そう思った瞬間、口火を切ったのはカメラマンの仁科。


「そうだなぁ。たしかに大沼さんは、調子良いところあるね。偉い人の前に出るとすぐ舞い上がっちゃうし、ひとの好き嫌いが顔に出やすいし。若干『取材してやってる』感もあるし。俺も一緒にやっててずっと気になってた。それで取材相手が迷惑そうにしていても、ゴリゴリいくし」

「仁科……」

「ああうん、そうそう、俺もそんなにひとのこと言えないけど。ほら、どこのお店でもインタビューすると皆さん言いますね。クレーム言わないで来なくなるお客さまがこわいって。良かったね大沼さん、真摯なクレームは優良顧客のはじまりっ!」


 仁科が明るく高らかに言い切り、沈黙になった後、最初に由春が噴き出した。

 視線が集まったところで、すぐに表情を切り替えて、大沼へと顔を向ける。


「申し訳ない。蜷川は、さすがに口が過ぎた」

「申し訳ありませんでした」


 言い訳することなく、伊久磨も即座に謝罪を口にした。

 まだ何かいいたそうな大沼に代わり、仁科が応じる。


「すみません。こちらも、若い現場ということもあって緊張感足りなかったです。この後取材を続けさせてもらっても大丈夫ですか」

「もちろん。せっかくここまで来てもらったんだ。料理もぜひ味わっていってください。すぐに準備します。蜷川」

「はい」


 由春に声をかけられて、伊久磨は姿勢を正して大沼と向き直った。


「大変失礼しました。今から食事のご用意させて頂きますので、お席にご案内します」


 伊久磨を睨みつけて、大沼は低い声で言った。


「慇懃無礼」


 案内を拒否するように身を翻してホールへと向かう。

 伊久磨が続くと、予期していたように急に立ち止まり、肩越しに振り返った。


「あなた、自分でハードル上げたわよ。ここからリカバリできるのかしら」

(シェフの料理なら)

 心で念じながら、伊久磨は大沼の目を見て答えた。


「機会を与えてくださってありがとうございます。最善を尽くします」




※今回更新分で、本編90万字到達しました。

 ここまで読んでくださってどうもありがとうございます(๑•̀ㅂ•́)و✧

 まだまだ続きます!!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 90万字おめでとうございます! 半端ない緊張感と心地よい予定調和の読後感。流石です! 今話もものすごく密度の濃い読み応えがありました。 なんというか、真尋さんのモノの見方や価値観や、人間…
[一言] >仁科が明るく高らかに言い切り、沈黙になった後、最初に由春が噴き出した。 流石社長( ˘ω˘ ) 笑い話にして有耶無耶にする、大人の作戦(違
[一言] 90万文字…スゴイです!Σ(゜Д゜)
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