表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
39 星をつかむ
261/405

彼らの視線の先

「えっ、『海の星』に雑誌の取材入るの!? いいなー。うちは? うちには来ないの? なんで紹介してくれてないの。俺とお前達の仲じゃんよ~~」


 仲じゃんよ~~……。


 閉店後の店内に、その大げさな嘆きが響き渡る。

 誰も返事をしない。

 由春はそっぽを向いているし、聖は「なんだこいつ」を表情にあらわにしている。伊久磨も相手を扱いあぐねて閉口していた。


 その日はめずらしく席数の少なかった夜で、平日ということもあってか引きも早く、藤崎エレナとオリオンはすでに仕事を上がって店を出ていた。

 普段の閉店時間にはほとんど片付いていて、由春と聖は雑誌の取材向けに「海の星」春の新作並びに、聖の新しく作る店用のメニューの試作を始めるほどの余裕まであった。

 しかし、すべてが順調に滞りなく進んでいる中、最後の客を表まで見送った伊久磨が、思わぬ拾いものをして帰ってきてしまったのであった。


「誰」

 気のない様子で、ぼそりと聖が言う。


「リストランテ・フェリチータの高木シェフです。居酒屋イタリアン。一度みんなで行ったこともあるんですが。藤崎さんとオリオンの歓迎会のとき。ときどき利用するので、顔見知りです。最近はなかったですけど、たまにうちにも来てくれます」

 伊久磨が最低限の説明をすると、腕を組んだ聖は、ホールのど真ん中で騒ぎ立てる大男を小首を傾げながら見つめた。


 高木は、ワックスでばりっと固めた髪に、浅黒い肌に荒削りで男くさいながらも甘いマスクの持ち主。リスのようにつぶらな瞳をしているが、鼻の下と顎に伸ばした髭で絶妙な野性味を醸し出している。身長は伊久磨に及ばないものの、肩幅が広くて胸板が厚く、「ガタイが良い」という表現がいかにも似合う体格をしていた。

 その大男が、セーターにダメージジーンズ、黒革のジャケットを一枚羽織っただけの軽装で、酒の匂いをさせながら「ずるいずるい」と大騒ぎしているのである。酔っている。飲んだ帰りのようであった。


「うるさい。蜷川、お帰り頂け」

 聖が、鬱陶しそうに顎で高木を示しながら言った。


「ご説明は差し上げていたんですが、何しろ店の前で騒がれてしまって。ご近所からうちのお客様が騒いでいると思われてもと、店内に入れてしまって、つい試作の話を……」

 伊久磨は一応の言い訳をした。言い訳だとわかっているので、表情はひたすら冴えない。

 口を挟まないでいた由春が、ようやく重々しく告げた。


「伊久磨、そういうときは、通報して構わない」

「ですね。顔見知りだからといって、遠慮している場合じゃなかった」

 顔を見合わせてうなずき合う由春と伊久磨の間に、高木は両手を大きく広げて割り込む。なぜか膝を折った片足をあげ、案山子のようなポーズで立って、吠えた。


「お前ら、冷たいんだよ。なんなんだよ! 友情! 友情を大切にしろよ!?」

「友情、無い……」

 無の表情で、由春が呟く。


「結局、ただの不法侵入か」

 実に冷たく言い切った聖は、すでにスマホを手にしている。

 通報されそうな気配を見て取った高木は、その目の前まで走り込んだ。


「なんなの!? なんなのこの氷のイケメンは! 顔が真冬より冷たいんだけど!? 春になったら笑うの!? この氷の無表情がとろける日は来るのか!?」

「声が、でかい」

 迷惑なのを隠しもなく聖がぼそりと言い、拾ってきた責任をひしひし感じている伊久磨は高木の横に立って告げた。


「西條さんに無茶言わないでください。春になったくらいで笑うわけないじゃないですか。むしろ春が来て笑ってるのはうちのシェフの方ですよ」

 口がすべって、明らかに余計なことを言った。

 由春が横を向いた。

 もちろん、高木には食いつかれた。


「え!? なに!? なんの話!? 結婚でもするの!? ていうか、由春彼女いたの!?」

「あー……。高木シェフ、そういうところ鋭いですね。ボケのひとつも挟まないで直球だ」

 侮っていたつもりはなかったが、「春が来た」の比喩を正確に読み解かれて、伊久磨は内心感心してしまっていた。

 その伊久磨の反応から確信を得たらしく、高木は盛大に破顔する。


「そうなんだ!! おめでとう!! じゃあこれから飲もう!! いや、俺も今日店が休みだから家で昼間から飲んでいて、夕方から外で飲んでいたんだけど、飲み足りなくて。二軒目探してたんだよね」

「閉店しています」

 すかさず伊久磨が釘を差したものの、高木はそっくり返るほどに高らかに笑って言い放った。


「俺は気にしないよ!?」

(比喩を読み解く繊細さはあるのに、空気は絶対に読まない。わざとか?)


 試作を始めたばかりだった由春と聖は、二人揃って頭痛を堪えるような顔をしていたが、結局由春が折れた。


「わかった。いっそ、試作品食って行け。意見があるなら聞くのもやぶさかじゃない。あと、近いうちに、うちのスタッフ全員引き連れて英司(えいじ)のところ行くから、そのつもりでいろよ」


 全力で邪険に扱っているが、相手の店を利用しているだけあり、由春は高木の腕そのものは評価している節がある。さりげなくお互い下の名前で呼び合っている仲でもある。

 試作に意見を得られるなら、それでも良いと踏んだらしい。

 由春は、憮然としている聖に眼鏡の奥から視線を投げて「やるぞ」と声をかけた。


 * * *


「新しく店を出す、か。いまは物件探しをしている段階か?」


 二人の試作に付き合う予定はなかった伊久磨も、結局帰りそびれて居残り。

 料理を待つ間、客席で高木と向かい合って座って飲む流れになった。

 赤ワインを注いで、チーズと生ハムの盛り合わせを適当につまみながら、西條の話をする。


「そうですね。まずどういう業態のお店かも手探りみたいです。なんでも出来てしまうひとなので。星付きレストランでスーシェフまでしていたらしいです。フレンチだけじゃなくてイタリアンもかなり。だから、首都圏のハイクラスのレストランでも通用すると思いますが……。ただ、個人で一からという場合、この辺ではそういうお店でいきなりお客さんがつくかというと、どうでしょう。それで、料理が本格的なカフェとか、デリカテッセンとか案は色々あるんですけど」


 かぷっと一口でグラス半分のワインを飲んでから、高木は不思議そうに言った。


「この辺で店を開きたい理由はなんだ? 地元か?」

「ではないですが」

 控えめに答えた伊久磨に、高木は視線をまっすぐに向けて「わからないんだけど」と続けた。


「どう考えても首都圏や大都市に行った方が良い。それで何年かどこかに勤めて信用を得て、お客さんだけじゃなくて業者とも顔見知りになってからの方が間違いがない。融資を受けるにしても、その方が通りやすいだろう。由春だって、うまくやっているけど、ここが地元でこの建物も親のだっけ? そういうのがもともとあったから、ここでやる理由があった。あいつは?」


「西條さんは、地元は札幌です。ただ、いまこうして曲りなりにも帰国してからここが拠点のようになっているので、いっそ、そのままここでと俺からも勧めましたが」

 強く引き留めたわけではないが、聖の気持ちがこの土地に根を下ろす方に傾いているのは、伊久磨としてはひそかに嬉しかった。

 その甘さを、叩き潰すように、高木はそっけなく言った。


「失敗するぞ。業務形態すら思い描けていないんだ。理想もやりたいこともはっきりしていない。『友達が近くにいるから』なんてナアナアな感覚で、店なんか出してもうまくいくはずがない」

 ひやりとした。

 刃物を突きつけられたような冷たさを首筋に感じた。

 先程までの豪放磊落さはすでになく、高木の瞳はいつになく鋭い。

(現実)

 一線で、戦っているひとの目なのだ、と思った。


「高木シェフはどうしてここで、イタリアンを?」

「俺は地元。飲み屋で働いているうちにいまの店に引き抜かれた。三ヶ月くらいだけどイタリアにも修行に出してもらって、良い経験になったな」

「すごい。高木さん、イタリア語話せるんですか」

 さらりと言われて、伊久磨は素直に食いついてしまった。勉強しても英語で手一杯の伊久磨からすると、言葉の壁は大きく感じる。

 高木は両手を広げて、にやりと笑った。

「全然。イタリアでは、もう耳はないものとして、目だけで覚えられるだけ覚えてきた。ナンパの成功率は高かった」

「それもすごい」

 恐れ知らず。


「飲食なんかやっていると、たいていの奴はうまくいかない。三年ももたない店が七割だったか。厳しいぞ、本人の実力だけの問題じゃない。誠実に作った料理を、きちんとしたサービスで提供する。ある程度の価格帯で勝負しようとしているなら、それができるのは当たり前で、それ以上のものが必要になる。まずは、何をおいても従業員との信頼関係かな。一緒に店をやる相手はいるのか」

「これからですね」

(そういう問題、西條さんの抱える弱さも、見えていなかったわけじゃないけど)

 本人の実力がずば抜けていて、しかもプライドが高いひとだけに、周りからはなんとなく言いにくい空気があったのも否定できない。


「なるほど。まあいい。店が出来たら俺も行かせてもらうよ。なんだかんだで、新しい店ができるっていうのは、良いことだ」

「そうなんですか。お客様の取り合いになったりして、警戒しません?」

 伊久磨が尋ねると、高木は口の端を吊り上げて笑いながら、ワインを一口飲んだ。グラスが空になる。


「それを『海の星』のお前が言うか、ってところだが。外食産業全体で考えると敵は『まずい飯屋』じゃないか。どこかの店で『まずい』『不愉快』『この値段に見合わない』という思いをした客は『家で食べていたほうが安くて美味しい』に考えがシフトする。そうすると、どこの店も流行らない。逆に、良い店が増えれば外食に金を使うのがエンターテイメントになる。だから、俺は良い店が増えるのを歓迎する」


 空のグラスをテーブルに優雅な手付きで戻して、高木は愉快そうに続けた。


「さて、西條とやらの料理はどんなものか。楽しみだ」



※高木シェフは、シリーズ管理にある短編「瞬く間に夕陽」に登場するキャラクターです。未読の方はぜひこの機会に(๑•̀ㅂ•́)و✧

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 高木さん、面白い。短編も読んでみようと思います。
[一言] >逆に、良い店が増えれば外食に金を使うのがエンターテイメントになる。だから、俺は良い店が増えるのを歓迎する なるほど( ˘ω˘ ) 高木シェフの人となりがよく表れた一言ですね!
[良い点] 出た! 遂に高木シェフ登場!! 英司さんなんですね、下の名前。由春さんと名前呼びかあ〜 にしても、落差が激しい。 高木シェフ、やはりデキル男!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ