二人で迎える朝
お酒を飲むと、簡単に寝てしまいます。
いわゆる二日酔いという状態になったことはなくて、目覚めはスッキリ。
記憶もバッチリ。
ただ、どうしても眠くなって、寝てしまうのです。
以上のことから考えて、体質的には「お酒に弱い」と自覚していた方が安全であり、外出先ではあまり飲まない方が良いと心得ております。普段は。
「え……………………と。昨日…………」
二人で寝るにはスペース的に狭すぎるソファ。
おそらく苦肉の策なのだろう、花坂明菜が目を覚ましたときには、力強い腕にぎゅうっと抱きしめられていて、身動きもできないほどだった。大人二人が隙間なく密着することで一.五人分の幅になり、なんとか落ちずに寝ることができたのだと了解する。
近い。
(眼鏡外しているところ、あんまり見たことなくて。し、しかも、寝顔……ッ。普段あんなに口悪いのに、顔、綺麗……。睫毛が長くて、鼻がすらっとして高くて、唇も男っぽいというか。あ、少し髭が伸びてるけど、野性味って感じでこれはこれで……)
※語彙が足りません。
口の悪さと顔の綺麗さは同時に成立しても全然良いけど、良いけど……ッ、と頭の中で自分につっこむ。動揺が激し過ぎて、何を考えているのか自分でもよくわからない。
間近で見てしまった岩清水由春の無防備な寝顔が、予想外すぎて。
意識すればするほど、頬に血が上ってきて、心臓がどきどきと高鳴り始める。
「うん……」
微かな呻き声が耳を掠め、瞼が震えた。
覚醒の近さを感じて、明菜は咄嗟に目を瞑る。
数秒待ったが続報(?)は無い。
そーっと目を開いてみた。
強い光を湛えた双眸。
真っすぐに見つめられていて、逸らしようもなく視線を絡め取られる。
「おはよう」
「お、おはようございます……っ」
(記憶は飛んでない。昨日は寝てしまっただけ。何もなかった。何も……!)
何かしたとすれば、キスくらいかな? と考えたところで(あれ、近い? 近づいてきている?)と由春との距離にパニックを起こしそうになる。
柔らかな感触を額と頬に続けて感じて、ぶわっと体中で血が沸き立った。
(お、お目覚めのキス的な……し、自然……っ。自然にした……っ!? 春さんなのに!?)
この距離、完全に心臓の音まで聞かれてしまっている。
「寝顔が可愛すぎて。昨日は俺の理性が良い仕事した」
耳に囁きを残してから、体を起こしてソファに座り直す。どこかから取り出したスマホを確認していた。
首の下からするりと腕が抜かれたことで、温もりだけが残る。抱き締められつつ腕枕までされていたのだと、明菜は遅まきながら気付いた。
「七時。少し寝過ごした。コーヒー淹れてくる。そうだ、コンビニも近くにあるけど、お泊り洗顔セットみたいなのがあれば大丈夫か? あ、歯ブラシもいるか。俺も髭剃りたい」
「あ、は、はい……!?」
慌てて飛び上がると、くすっと笑われる。眼鏡がないせいで、普段とはまた印象が違う。
(これは誰? 春さんです!?)
いい加減、自分の頭の中で繰り広げられる問答がうるさすぎる。
「私も行きます、その、自分のことなので」
「いいよ。その服装じゃ寒そうだし、靴も雪道向きじゃない。十分、十五分のことだからこの部屋で待ってな。朝食はどうするかな……。明菜は軽めの方がいいのか、それとも朝はしっかり食べるんだっけ?」
「なんでも美味しく頂きます! お酒飲んで寝た次の朝ってすごくお腹空いてて」
そんなハキハキ大声出さなくても、と自分で恥ずかしくなるくらいに、勢いよく前向きに返答をしてしまった。
じっと見つめてきていた由春はふわりと微笑んで、「了解」と呟いて立ち上がる。
「館内寒いから、無理に動き回ろうとするなよ。休日で朝も早いから誰かが来るわけでもない。寝直していてもいいぞ」
優しさに甘さを溶かし込んだような声で言い終えて、立ち上がる。
肩に毛布をのせたまま、なんと言って良いかわからず、明菜は声を絞り出した。
「いってらっしゃい。ま、待ってます」
* * *
顔を洗って身支度をし、「海の星」の個室で由春の作った朝食を二人で食べた。向かい合わせだと若干距離があるので、隣り合わせで。
クラムチャウダーのようなスープスパゲッティに、レタスのサラダ。食後のコーヒーには雪ダルマ型のジンジャークッキーが一枚。
食べ終わってもまだ朝の八時。
「今日どうする。休日でこっちに来てるんだよな。ペンションにはいつ戻るんだ」
明菜は少し体を傾けて、由春の方へ向き直った。
「実はオーナーがぎっくり腰なんです。オーナーのお母さまの体調不良の件もありましたし、少しの間ご予約を断って休館することになりました。私は向こうにいれば何かと仕事はありますけど、お客様もいないのに住み込みでのお給料を頂いているのも申し訳ないというか……。それで、いまは一時的に実家に戻ってきています。ウィンタースポーツのシーズンが終わればご夫婦だけでも仕事の手は足りるはずなので、冬季に営業を再開しなければこのまま、ですかね」
由春もまた、体の向きを変えて明菜に目を向ける。
「そういえば経営の事務関係覚えたいって言っていたよな。うちもその辺は必要だし。伝票整理とか」
飲み干したコーヒーのカップをテーブルに戻して、由春は考え込む素振りをした。
すぐに「よし」と何かを決めたように呟く。
「うちの雇用関係で相談にのってもらっている社労士の先生に話してみる。家族経営で社労士と税理士で共同の事務所を持っている。状況話せば一ヶ月くらい見習でもさせてもらえるかも。ひとりであてもなく勉強するより良いんじゃないか?」
「それはお相手にとってはご迷惑では……。私は願ったり叶ったりですけど。仕事を覚えるまでには至らなくても、『海の星』の関係先で働けると何かとありがたいですし」
今後、業務上の細かいやりとりをすることになった場合、相手側の顔や名前や人間関係を把握していられるだけで会話のスムーズさが違いそうだな、などとつい計算をめぐらせてしまう。
ついでに、このまま実家暮らしが長引いた場合、一ヶ月でも仕事をさせてもらえるのもありがたい。そこから「海の星」への就職も親に納得してもらいやすくなりそうだ。
「本当は休みでも良い期間なんだから、無理は絶対にしないように。その辺、俺からも向こうに強く言っておく。あそこはいつも人手が足りないって言っているけど、足りない職場は大体相応の理由がある。そこが少し心配だ」
「でも働かせてもらう立場なんだし、そんなに強く出なくても」
「そういう問題じゃない。明菜はよく気が利くし、仕事に慣れてしまえば向こうも手放すのが惜しくなるかもしれない。良い人材なんだ、使い潰されるのも囲われるのも俺が嫌なんだよ」
(春さん、強気。さすがオーナーシェフ)
なんと言って良いものやら、と明菜は飲み干したコーヒーカップを手で包み込みながら曖昧に笑った。
「私自身が、すごく助かるのは確かなんですが。正直言えば少し困っていたので。お金のかかる生活をしていたわけじゃないので給料云々の収入面というより、『海の星』のことをまだ親にどう言うか決める前にペンションの仕事がなくなってしまったのが」
「その件は、明菜のタイミングに合わせるけど、俺も同席させてもらう。御両親とはきちんと話したい」
真摯なまなざしで見つめられると、由春の意志の強さを肌身に感じるようで、また胸がドキドキとしてしまう。興奮するというより、締め付けられるような痛み。
(今でも信じられない。春さんが私にここまでしてくれるなんて)
再会して話せる関係になっただけでもじゅうぶん嬉しいのに、仕事や住む場所の相談にものってくれて……。
さらには、お互いに無防備な一面を見せるにも至っている。
一緒に寝たり、目覚めの……。
「明菜?」
控えめに声をかけられて、飛び上がるかと思った。
「なんだか、本当に何から何まですみません。どうお礼を言えばいいのか。こんなに頼り切りになるなんて」
「お礼? そばにいてくれればいいと言っている。今考えているのは全部そのための方法だ。ペンションの休館はタイミングが良かった。一度山から降りてきたんだ、もう戻さないために俺としてもできる限り手を回すさ」
「う、うわぁ……。春さん、その言い方は。春さんが私にすごく関心があるみたい」
恋人という言葉を出す勇気がなく、遠回しに表現したというのに、由春にはきっぱりと言い切られてしまった。
「執着してる。逃さない」
笑った表情のまま、明菜は固まった。はっきり言い切られてしまうと、反応に困る。
「……それは、ええと、春さんが私を必要としているって意味ですか」
「この期に及んでそこから確認が必要なら、俺もやぶさかじゃない。そうだな、昨晩はお預けをくらったが、今日はまだ朝で時間はたくさんあるし、明菜も元気そうだし。二人で一日、ゆっくり過ごそうか」
圧が強い。
椅子の背に、背中を押し付けるようにして少しでも距離を作りつつ、明菜は恐る恐る言ってみた。
「あの、でも今日はさっきの件を」
「べつに急ぐことでもない。それより、明菜はすぐに俺との関係を見失うみたいだから……」
「関係? ええとええと、雇用主と従業員ですか」
「それも間違いじゃないけど、明菜はただの雇用主と一緒に夜を過ごして、キスするのか」
(キスとか普通に言わないでほしい! 思い出すから!)
顔が火を吹く。
「しないですけど、そういう言い方をすると私と春さんがただならぬ仲みたいじゃないですか」
「違うのか? ああ、それとも『まだ』ってことか? そうだな。俺もいつ我慢の限界がくるか。早めに『ただならぬ仲』になっておこうか」
にっこり。
微笑まれて、明菜は息を止める。
(に、逃げたいわけじゃないけど、なんか怖い。心の準備が)
返答に困ってまごまごしていたところで、不意にドアがノックされた。
「岩清水さん? 誰かいるんですか?」
声とともに、ドアが開かれる。
そこには、「海の星」の従業員、蜷川伊久磨が立っていた。