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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
37 椿屋騒動編(後編)
253/405

混ざり合う白と黒

「……ええと」

 椿邸の玄関にて、家主の香織に出迎えられた齋勝光樹は言葉を詰まらせた。

 乏しい灯りの中、白銀の光を放つかのような錫白の着物に羽織り。すらりと背筋の伸びた、姿勢の良い長身が映えて、いつになく迫力がある。


「忙しい、ですか」

 言葉を選びかねて、引き気味に呟いた光樹に対し、香織は面白そうにくすりと笑みをもらした。

「そんなことはない。茶を飲んでいただけ。光樹にもいれようか。時間あるなら上がっていってよ」

 話しぶりはいつも通り。

 それでも、研ぎ澄まされた白皙の美貌が際立っていて、近寄りがたい。


 椿の当主。


(遠い。こんなに貫禄のあるひとだったんだ)

 思い知る。

 飄々として偉ぶったところもなく、気立てが良く親切で、年の離れた友達と言うには微妙過ぎる間柄であったが、どことなく気にかけてくれている様子だった。

 光樹自身、素直に接するにはやや抵抗はあったものの、親しみのようなものを覚えていた。

 だが、本来なら自分のような子どもを相手にするようなひとではなかったのだ。


「柳先輩から、香織さんのパーカー預かってて。接近禁止令が出てるから、渡しておいてって」

 目を逸らしながら、預かりものを入れた紙袋を渡す。

「後輩を使い走りに使うか。それはそれで問題だ。自分のことは自分でしろと叱っておく」

 受け取りながら香織は渋い調子で言った。

 それから、戸口に立ち尽くしたまま上目遣いで見た光樹に視線をくれて、穏やかな表情になる。


「せっかく来たんだ。中にどうぞ。ご飯に誘ったらさすがにまずいかな。西條の作った料理があるけど少し持って行く?」

 光樹は「う、うん」とぎこちなく頷いた。

「外で……、友だちとご飯ってことはあるから。連絡すれば、帰りが少しくらい遅くても。べつに相手が誰かとかも聞かれないし」

「そう。じゃあ、おいで」

 やわらかな微笑みも、声も、変わらなかった。

 胸が詰まる。言いようのない嫌なものが湧き上がってくる。

(親には「言えない相手」だと言ってしまったようなもので……)


 こんなに堂々として、裏表なく接してくれる相手に対し、自分だけがあまりに卑怯だと後悔で眩暈がした。

 その場で、ジャケットのポケットに入れていたスマホを取り出して、母親に電話をかける。


「椿さんの家に来てて、晩御飯に誘われたから、食べて行く。うん、和菓子屋の椿さん。帰り遅くなるから。えっと、大丈夫。明るい道通って帰るし。迎えまではべつに」


 一息に言って、通話を終える。

 意表をつかれたように目を見開いていた香織は、一拍置いて「それで、大丈夫?」と聞いて来た。

 光樹は「大丈夫」と答えて、足を踏み入れる。

 少しだけ背が高い香織に対し、視線を上向けて、ぼそりと言った。


「お邪魔します。西條さんの料理につられた」

 後半は言い訳。

 ゆっくりと、笑うことを思い出したように表情をほころばせて、香織は楽し気に頷く。


「美味いよ。たくさん作っていたから。行こう」


 * * *


「若武者の死体だ。邪魔だな、庭に蹴落とすぞ」


 春の、ひんやりと冷たい夜風が吹いていた。

 縁側に、着物に袴姿のまま仰向けに倒れていた聖を見て、紘一郎が殺伐とした調子で言った。


「ひと思いにやってくれ。常緑に会いに行く」

「素直だな。ついに聖の反抗期も終わったらしい」

 紘一郎は、聖のすぐそばの板敷きに腰をおろし、胡坐をかく。


(なげ)ぇよ。だいぶ前に思春期終わってるし、成人してる。そろそろ丸くなる頃だ」

「あっはっは、面白くない冗談言うね。そういうところはちょっとオッサンくさくなった」

 いかにも軽く笑い飛ばされ、言い返すこともなく、聖は額に手の甲をのせて瞑目した。


「俺がオッサンなら、紘一郎なんかおじいちゃんだ。俺に子どもがいたら、今頃じいちゃんじいちゃんって呼ばれているね」

「そうそう気安く呼ばせないよ。『紘一郎さん』って訂正するさ。……会いたかったね、常緑(ときわ)さんと聖の子ども」 

 さらりとした、乾いた物言いだった。

 聖はしばらく身動きせずに硬直していた。やがて「連れていかなくてもなぁ」と、絞り出すように呟いた。

 紘一郎は冷たい風に目を細めながら、夜空を見上げる。

 その横で、聖はむくりと起き上がって、胡坐をかいた。

 並んで、暗い空を見る。

 会話が途絶えると、遠くで水の流れる音がする。葉擦れ。静けさが、いや増した。


「椿は……、なんで面倒事を引き受けたがるのか。あのガキを育てるつもりになっている」

 聖はそこで口を閉ざした。

 後ろに両手をつき、体を傾けて空を見上げながら、紘一郎がため息をつくように息を吐き出した。


「ひとつの物事には良い面と悪い面があって、どちらを受け取るかは本人が選択しているんだ。未曾有の大災害だろうと、耐え難い悲劇だろうと。誰がどう見ても損しかない人間関係だろうと。そこから、自分に必要な何かを掴む人はいる」


 力なく肩を落として、聖は俯いた。


「俺は、無理だ。ずるい人間を見たらずるいと言うし、不正や甘えは許せない。仕事が絡んだら、さらに厳しくなる。目こぼしする余裕なんかない。自分でも嫌になるけどそういう性格なんだ。今だって、本当は叫び出したいくらいに怒ってるさ。白でも黒でもなくグレーを選ぶ椿に対して。清濁併せ呑むとはいうけど、それは要するにどれだけ『濁り』を呑めるかということだろ。わざわざ呑むなよ」


 黙って聞いていた紘一郎は、聖が続きを話さないのを見計らい、言った。 


「白か黒かはっきりさせようとするのは、自分が白の側だと信じている人間の振る舞いだな。聖は正義感の暴走に気を付けるように。それに、そこまで心配しなくても、彼は弱くない。旧家の当主で若社長として、これまできちんとやってきたひとだ。この先きつい目にあっても、黒に染まったり、濁り切ったりしない自信があるんだよ。物事に良い面と悪い面があるなら、絶対に良い面から目を逸らさないでいられる性格だ。強いね」


「周りが嫌なんだよ。搾取するつもりの奴に、奪われ続けるのを見るのが」


「聖、ひとの心配をしている場合か。聖は少し出遅れているのを自覚しろ。いざ自分で店を持つという段階になって、人材で悩んでいるんだろ。育てる余裕もないし、面倒事にも耐えられる自信がないから。彼のことが気になるのは、実はそれが大きいんじゃないのか」


 遠慮なく、年長者としての意見をずけずけと並べていく。

 言われ続けた聖は、渋面になってぼそぼそと呟いた。


「たしかに、今は他人より自分だな。あいつなんか、せいぜい(むし)り取られて皮まで剥がれてしまえばいい……」

「なんの話? ジビエ?」


 来客の対応で玄関に出ていた香織が戻って来た。

 二人の背後から口を挟む。


「ジビエ?」

 突然の単語に、聖は肩越しに振り返りながら訝し気に尋ねた。

 着物姿の香織が、居間の灯りの下に立って小首を傾げていた。


「兎や野鳥をさばく算段かと。岩清水もときどきやってるみたいだ。食べに行ったことないけど」

 毟って、皮を剥いで……と、それらしい手つきで何かを表現している。その手元を見ながら、聖は耐えきれないとばかりに勢いよく立ち上がった。

「とぼけたことばっかり言いやがって。料理にしてやるぞこのアホウ。煮えたぎった油で素揚げしてやる」

「俺? 不味そう。誰が食べるの?」

「知るか」

 額を突き合わせるように言い合ってから、離れた位置に佇んでいた光樹に目を向ける。


「なんだよ。お前、なんでいるんだ」

「西條。夕飯に誘ったの、俺が。いきなり感じ悪いのやめてよ」


 唸り声を上げる一歩手前、といった野獣めいた睨みをきかせて、聖は光樹に厳しく言い放った。


「手伝え。客扱いはしない」

「べつにいいけど。二人とも着物で……、何かあったの?」

「お茶飲んでいただけだよ」


 事情のわかっていない光樹に対し、きわめて信憑性の薄いことを言って、香織は笑みを浮かべた。

 納得いかない様子ながら視線をすべらせた光樹であったが、縁側に座った紘一郎の普段通りのシャツにジーンズ姿に気付く。「どうも」と紘一郎が感じよく会釈した。人畜無害な印象を与える微笑。


「先生、姿が見えなくて。どこかへ行っていたんですか」

「昨日撮った写真の現像。デジカメなのでプリントしてきただけですが。この庭の写真は置いていきますよ。アルバムに収めておきました。そこに」

 縁側に座ったまま、紘一郎が目で示したのは炬燵の上に置かれた緑色の表紙のアルバム。

 軽く体を折り曲げて手を伸ばし、香織はそれを持ち上げる。

 視線を落として、ゆっくりとページを繰り始めた。


「やっぱり、綺麗ですね。スマホで誰でも写真を撮れる時代に、写真家って大変だなって思っていたんですけど。何が違うんだろうな……」

 口元にやわらかな笑みが浮かぶ。

 興味をひかれたように、聖が後ろに回り込んで、一緒に見始めた。

 特に気にすることもなく、香織がぱらりとページを繰る。


 聖が、小さく息をのんだ。


「どうしたの?」

「……いや。ひとが写っているから。これ……、紘一郎が?」

「写っているって言っても、俺だよ。庭を撮っているついでに写りこんじゃっただけ。先生が撮っていたのは庭だから。後で見よう。お腹空いた。光樹もあんまり遅く帰したくないし、食べようよ」

「ああ、そうだな。準備する。作ってあるの温めるだけだから、すぐ」

 まだどこか落ち着かない様子ながら、聖は早口に言って光樹に顔を向けた。


「運ぶの」

「わかってる。手伝う」

「俺も」

「椿はいい。じいさんの相手でもしてて」

「じいさんって」

 笑いながら、香織は縁側に向かう。

 着物ですか、と座ったまま見上げた紘一郎に「どうせ写るならこっちが良かったかな」と香織が答える。

 笑いながら話す二人から視線をはずし、聖は炬燵の上に置かれたアルバムに目を向けた。


「どうかした?」

「なんでもない」


 不思議そうな光樹に答えて、聖は背を向ける。

 まるで何かから逃げようとするかのように、廊下へと足早に出て行った。



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― 新着の感想 ―
[一言] 西條の言い分も凄く分かるんですけど、それは先生が指摘するような要素に陥る場合もあるし、何より「ひとの心配をしている場合か」っていうのが、これ西條だけじゃなくて誰でもこういう事しちゃう可能性あ…
[一言] >まるで何かから逃げようとするかのように、廊下へと足早に出て行った。 なんだなんだ!? これ結構大事な伏線な気がする!
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