近道なんてないから
(さ……西條怖ぇ……!!)
紘一郎が滞在している期間は、なるべく昼に母屋で食事をとるようにしている香織は、窓を開け放ったところで聞き覚えのある声に気付いた。
縁側の石段に置いてあるサンダルを履いて、庭をつっきり、声の方へ。
庭の際にある生垣から身を乗り出し、高さにして平屋一階分くらい下の遊歩道を見下ろす。
西條聖と柳奏が向かい合っていた。
空気は最悪。
本人の声質と風向きのせいもあってか、聖の理路整然とした叱責は香織の耳にもよく届いた。
「仕事の真似事なんかしてないで、さっさと辞めろ。学校に行くかどうかは知らねーけど、あのお人好したちにこれ以上付きまとうんじゃねえよ」
言うだけ言って、聖は遊歩道の階段を上る。振り返らない。
その場に、奏を置き去りにしたまま。
息を止めて最後まで聞いてしまっていた香織は、身動きもできずにいた。
(……なんかちょっといまの、頭がついていかないんだけど……っ。西條、怖ぇ)
聖の言っていることは、間違えていなかった。わかる。
奏に対し、誰かが言うべきことだったのもわかる。
春休み中に決着をつけるというのも、高校復帰の日程を考えれば必須だった。
そこまではわかるのに、頭がついていかない。なんで、という。
傷つけるのがわかっている言葉。
恨まれる。憎まれる。そういう役目。
当事者ではないどころか、ほぼ無関係。少なくとも聖が引き受ける必要のないこと。
他の誰かがやるべきこと。
(俺がはっきりさせないといけなかった。……あんな風に言えたかはわからないけど)
聖は大げさに言ったが、パート従業員をひとり増やすくらいなら、会社としてそこまで痛手ではない。
戦力になってくれるなら嬉しい。ただし、自活できるほどの給料は出せないので、将来を考えたら仕事としてはすすめられない。
結婚までの腰掛けとして考えられるのも困る。
結婚相手のアテが自分というのも困る。
「困ってる場合じゃなくて……」
さわっと風が吹いて、頭上の梢が揺れる。
一瞬気が逸れてから目を戻すと、奏が顔を上げて見ていた。目が合った。
確実に数秒間、視線がぶつかっていたが、ふいっと顔を背けられる。
……拒絶。
(避けられた、というか。嫌われた……よな、今の感じは)
聖が上った石段に、奏も向かう。香織の方を見ることなく、上って視界から消えた。
そのまま店に戻るのか、戻らないのか。わからなかったが、今までにゃーにゃーまとわりついてきていた奏が、はっきりと心を閉ざしたのは感じた。
風が吹き抜けていく。
髪や頬を嬲られながら、(短かったな)と思った。
傷を負うのは、誰だって怖い。
これ以上ここにいたら、取り返しがつかないことになる。
奏は早々に去るべきなのだ。
(優しいだけの場所なんかないし、努力をしているからって褒められるわけでもない。褒められようと思ったり、報いを期待したり……。周りに必要とされたいと思ったり。違うんだよな。少なくとも湛さんは。和菓子を作りたいから作ってる。その為に努力をするのは自然なこと。その菓子がひとから認められて売れるのも、周りから頼られるのも、「付随していること」であって、目的ではない)
純粋過ぎて怖い。
向き合い方が。
同じものを見ようとか、同じ場所に立とうとしたら、同じくらいになりふり構わずすべてを捨てて、本気で立ち向かわないと。
それでも、敵わないと思い知る。
(……傷つく前に引き返すのは逃げじゃない。「危ないかもしれない、だめかもしれない」そう思って道を進むのは勇気じゃなくて無謀とか蛮勇。柳は、もっと向いている道を行けばいいよ)
あの猫、もううちに来ないのか、という寂しさが空風のように心の中を吹き抜けていく。
香織は苦笑を浮かべて、母屋へと引き返した。
* * *
(迷惑と言い切られてしまった)
遊歩道に取り残された奏は、ぼんやりとしたまま立ち尽くしていた。
郷に入っては郷に従う。
邪魔になりそうな髪を切り、パートのおばさんの小言に言い返すこともなく、「もっと違う仕事をやりたい」とわがままを言ったりもせず。
身の程を弁えて、おとなしく、粛々と働いていた。
それでも、西條には「迷惑」「重荷」「つきまとい」と断言された。和菓子が特別好きではないと見抜かれ、「作りたい」も口だけで、本音は椿香織のそばにいたいだけだろうと、軽蔑された。
その挙句、椿香織の元カノという美人女性と比較されて、何一つ敵わないとまで言われてしまった。
(誰かと比較して、お前の方が駄目だなんて、一番言っちゃいけないことじゃない。ひとにはひとそれぞれの価値があって、「みんな違って、みんな良い」って。大人は子どもに対して、そういう風に世界を濁して濁して伝えて生きる希望を失わせないようにするものよ。順位や優劣がはっきりしている場面でさえ、あなたは優しいとか、数値化できない話に昇華させて、なんとか良いところを……)
しかし西條は「気持ち」それすらも切り捨てた。
遊歩道沿いの石垣を見上げると、ちょうど椿香織の家の庭の下だったらしく、作務衣姿の香織が見ていた。
いつからいたのか定かではないが、どことなく、驚いているかのような表情。
聞く気もないのに聞いてしまった、ということなのだろうか。
目が合ったのはわかったが、奏は結局何も言えずに背を向けて、歩き出した。
(まずは店に戻ろう。仕事しよう。定時まで働いて……。でも働いていることも迷惑だって。任せる仕事もないのに、払いたくもない給料を払わせられる、みたいな。もう存在そのものが駄目って言ってた)
全部の道を思いっきりふさがれてしまっていた。
お前に価値なんかねえ、と。
石段を登っているうちに、ふつふつと何かが湧き上がってきた。
(あいつは、わたしの何を知っているのか。知らないくせに。高校中退を決めただけで、全方位根性無しみたいに)
胸の中が熱い。燃えているみたい。
実際、熱が出始めているのかもしれない。そういう体。さほど強くない。
体力もない。感情の変化にも脆い。
(先の寿命も)
気を付けて気を付けて生きていかねば、人並みとはいかない、と言われている。
悔しい。悲しい。誰もわかってくれない。
絶望したかったけれど、それ以上に自分自身がわかってしまっている。
西條の正しさ。
高卒と高校中退は違う。事情を汲むなんて面倒なこともせず、書類上だけで「問題あり」「根性無し」とみなされる恐れはある。この先ずっとそれがつきまとう。面と向かって言われなくても、そっとつまみ出される。
たとえ椿屋で働いても、誰と結婚してもしなくても「選んだ道」に人生は左右され続けるに違いない。
こみあげてくる。
涙が。
石段を上り切れば、商店街の端。人通りもある。泣いている場合じゃない。
視界がぶれて、熱に浮かされたように頭がぼうっとする。
だから、目の前にひとが立ったのも、幻覚だと決めつけた。
「えっと……。また川に飛び込まれると、今度は助けきれないかもしれない。じゃなくて。飛び込む前に回収した方が効率が良いというか」
ぱりっとした白い作務衣姿。見上げる長身。
涙のせいで、顔がよく見えない。
「何しに来たの。ばっかじゃないの」
あ、自分が馬鹿、とは言った瞬間からすでに後悔が始まっている。
(たぶん、こういうときは、何も言わないで泣きながらしがみつきに行ったほうが)
「うん。聞くつもりはなかったけど、聞こえた。西條……には、あとでお礼を言うとして。ええと、あの、でも拾った猫は俺の管轄っていうか」
お人好し。
心の底から、噛みしめた。
放っておけばいいのに。
(わかってんのかな、このひと。さっきの、西條ってひとが言ったこと、ぜんぶ台無しにするかもしれないってこと)
それは優しさというには、あまりにたちが悪い。
「猫じゃなくて人間なんですけど」
「ああ、まあ、そうだね。でも人間拾うのも初めてじゃないし、前に拾ったときは独り立ちできるようになるまで面倒みたから。今回も、周りが言うほどできないわけじゃない気がして……」
「人間を拾って? 面倒をみた? なんの話? 他人の子どもでも育てたの?」
矢継ぎ早に聞くと、怯む様子もなく、頷かれてしまった。
「話せば長くなる」
長い話なんか、するような仲じゃない。
(迷惑だってわかってて、押しかけた。あんな言われ方しなくても、最初からわかってた。周りにわがまま言って、お人好しにつけこんでるって。わたしの「好き」にはなんの意味もないってことも。困った子どもひとりの居場所を作るために、いろんなひとを引っ掻き回している)
楽しくなんかない。
本当は早く下りてしまいたい、最悪のゲームみたいだと思っていた。続ければ続けるほど、全員が損をする。損をさせる。
さっさと音を上げて、無様に逃げてしまえば、周りはほっとするに違いない。そうすべき。
頭ではわかっていたのに、ぶち壊すことがもうできなくなっていた。
「長い話なんかしないで。そういうことすると、わたし、勘違いしちゃう」
「勘違いって?」
思いのほか優しく聞き返される。
つい、睨みつけてしまった。
「わたしは歌を歌う前に、発声練習をする。そのいくつかを省いたって、歌は歌える。だけど、省いたこと、楽をしようとしたことが胸に刺さる。いまわたしの胸にはいろんなものがいっぱい刺さってる。それは……。『抜け道』を通ろうとしたせい。近道があるって勘違いした。だから怒られるし嫌われるし胸に刺さってる。良いことが何もない」
もう顔を見ることもできずに見下ろした先で、サンダル履きの爪先がどこにもいかずにその場にとどまり続けている。
「わかるよ。菓子を作るときにもね、省いたってたいして味は変わらない工程はある。それを馬鹿正直に続けるのは、他の誰かが見ていなくても、自分は見ているからだ。誠実であったかどうか」
奏は俯いたまま目を閉ざした。
涙が石畳に零れ落ちる。
熱い塊が喉にあって、なかなか声が出てこなかった。
★いつもお読み頂きありがとうございます。
以下、ステラマリスの世界が広がるかもしれない余談のようなものですが、作品単体のイメージを大切にする方にはお勧めしません。閲覧はじゅうぶんご注意ください。
(※イラストも表示されます)
【その1 他ユーザー様の作品のキャラクターにご来店頂きました。】
★彩瀬あいりさまの活動報告URL
(有沢真尋作の「海の星」編と、彩瀬あいり様作のアンサーストーリーの二作がご覧いただけます)
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/1005573/blogkey/2789662/
彩瀬さんの作品「社員食堂の小人さんと秘密の手紙」を読んだときに、作者の彩瀬さんとのやりとりで登場人物たちが「海の星」に行きたいかも、という話になり、その想定でSSを書かせていただきました。
それを受けて彩瀬さんがアンサーストリーを書いてくださるということでいくつか質問を受けたのですが、本編に一切出てきていない情報までがっつり伝えた結果、もう本編では?という作品を書いて頂いてしまいました。
普段「記念日やデート向け」をうたっている「海の星」に来たカップルさんが、その帰り道でどのくらい盛り上がるかがよくわかる内容で、私も読んでいてとても楽しかったです。
【その2 本編に出てきていない情報とは?】
1、ステラマリスの舞台は、作中では明言していませんが岩手県盛岡市を想定しています。以前盛岡出身という読み手さんからメッセージを頂きまして、「海の星」の位置を質問頂いたのですが、その時点でははっきり決めていませんとお伝えしていました。ですが今回だいたいの位置を確定し、彩瀬さんの作品では「海の星」を出てからこういうルートを歩いていて……というのを地図上で説明してその通りに書いて頂いています。
2、そのルートの終着地点は駅直結のホテルで「岩清水大豪が泊まってました」とか、「翌日は車を借りて小岩井牧場に行く予定だったのを、海の星でランチが入ってきた関係で市内観光に変えているはず。岩手公園、石割桜、岩手銀行赤レンガ館とかそのへんを巡ってきてはいかがですか」など前後の行程まで提案してしまいました。LOVE岩手。
3、「海の星」で二人は少し飲んでるかな、と言われたのですかさず「伊久磨からは『銀〇高原ビール』(一応商品名なので伏せます)をおすすめします!! 『29~31 星の王子様』で雫石のペンションに行ったときに香織も飲んでいました!!」と勢い込んで言ったのですが、なんと地ビールとしては生産終了?という(; ・`д・´)知らなかったです……。青いボトルが綺麗なんですよ……。
【その3 コラボ的な話】
1、作品との直接のコラボではないのですがぜひおススメしたいのがこちらのエッセイ。
pai-poiさまの「最北の地より愛を込めて」
https://ncode.syosetu.com/n1055gx/
東北・岩手編で「ひっつみ汁」を作って頂いているのですが、この料理はムーンライトノベルズ掲載の「落ちない男が言うには・午前0時のシンデレラ」で水沢湛と和嘉那さんが「海の星」で食べた話をしています。「ひっつみ汁って何?」と思っていた方は写真付きで作り方から出ていますので、ぜひどうぞ。
2、コラボ第一弾といえば。
ちなみに登場人物が「海の星」に行くかも、いやこちらこそそちらのお店に行くかもと料理ものを書いている方とはつい雑談になるのですが、以前そういう雑談からやはり活動報告にSSを書いてくださった方がいます。
shinobuさまの「転生したら火魔法が使えたので人気パン屋になったら、封印済みの魔王が弟子入りしてきた」キャラクターさんたちがとあるレストランの話をしているようですが……?
https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/328285/blogkey/2711548/
(この他にももう一回書いてくださっているんですが( *´艸`))
※彩瀬さんの活動報告にて、彩瀬さんが「オリオンは異世界にも行けちゃうので」と発言しているのは↑で異世界ファンタジーとコラボしていた件があったからです。
3、他にも誰か来てくれるかな?
ステラマリスのバナーイラストでおなじみの遥彼方さんが、彩瀬さんの活動報告で自分も行きたいですという話をなさっていまして、それに対して私が「遥さんの現代ものといえばふんどしリーマン……、ドレスコードはない『海の星』の面々もさてどうするかな」と呟いています。
遥彼方さまの「ふんどしリーマン夫婦の成り上がり~嘘だろ。この状況で異世界に召喚だと!?~」
https://ncode.syosetu.com/n3190gc/
どういうことかといいますと、こういうことですということで、一目瞭然!
イラストをお借りしてきました。
あっきコタロウ様のフリーイラストより。
まあその、ドレスコードはないですから……( *´艸`)
(個室をご案内するか、ひざ掛けをお貸しするかでしょうか。伊久磨、どうする)
以上。
いつもいろんなインスピレーションをくださる周囲の皆さまに多大なる感謝をこめて。
感想やコメントに助けられながら書き続けております。
長くなってきましたが、今後も読んで頂けると幸いです。