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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
37 椿屋騒動編(後編)
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何様

 困ったような曖昧な笑いを浮かべていたパート店員の楠本は、店の外を通りすがったひとをガラス戸越しに見かけて、飛び出して行った。


「西條さんっ」


 呼び止めたのは、顔が小さくて頭身が少し間違えているんじゃないかと錯覚するような長身の男性。

 振り返った瞳は青く、際立って清冽な印象。きっぱりとした眉に、通った鼻梁、形の良い唇。

 少し首を傾げるようにして「どうしました?」と言った。声を張っているわけでもないのに、明瞭で響きが良く、聞こえやすい。

 楠本は「外国人のお客様が」と言いながら、西條というその人を店内に誘導してくる。

 ちらりと視線が滑って、戸口近くの棚の前に並んだ、旅行者風のカップルに向けられた。

 金髪の縮れ毛に緑の瞳、そばかすの散った顔の女性が、軽く目を見開く。


「Hello」


 西條は気さくな調子で声をかけた。

 最初は英語で話していたものの、急に全然違う言葉に切り替える。二人は驚いて、身を乗り出すようにしてして矢継ぎ早に何かを言い始めた。


(全然わからない)


 知らない言葉。

 まさに手も足も出ないで見ているしかない奏の前で、西條はいくつか菓子を竹籠にとり、レジへと持って行く。

 愛想笑いを浮かべた楠本が手早くレジを打つ。西條はカウンターの内側に回り込むと、ビニール袋に菓子を詰めた。会計が済んだところで客に手渡し、会話しながら戸口まで見送る。

 晴れやかな顔で去っていく二人組に爽やかに笑いかけてから、店内に戻ってきた。


「ありがとうございます、西條さん。いてくれて助かっちゃった~!! もう、何言ってるか全然わからなくてっ」

「ああ。男性に卵アレルギーがあって、大丈夫なお菓子はどれか確認したかったみたいです。羊羹すすめました。一応、生産ラインでは卵扱ってますよって話もしました。女性の方は商品名とかその意味を聞きたがっていたので、知っている限りで説明しました」

「本当にもう、さすが。ねっ、さっきのどこの言葉?」

「スペイン語です。英語があまり得意そうじゃなかったので、どこから? って聞いたらスペインからだっていうから」


 は~もう、さすが西條さんだわっと楠本の並べ立てる賛辞を、奏はぼんやりと聞いていた。


(英語もスペイン語も話せて、和菓子の説明までできるんだ……)


 涼し気な美貌。落ち着き払った態度。

 母子ほどに年齢が離れているであろう楠本が、声を一段高くして、目を輝かせながら見上げて話し続けている。

 穏やかに相槌を打っていた西條が、ふと奏に視線をくれた。

 青い目の、胃もたれしそうなイケメン。

(「滅茶苦茶口は悪いけど、性格はお節介で面倒見が良い」って言われていたひとだ)


「仕事、どう?」

 水を向けられると思っていなかった奏は、真顔になって見返してしまう。

「や、やってる」

「そう。ここ観光地だから、外国人のお客様多いよ。言葉は勉強しておいた方が良い。特に、さっきみたいにアレルギーのお客様相手に、食べられないものすすめたりすると命に関わるから」

 さらっと言われた。

 顔が強張った奏を見透かしていたように、淡々と続ける。


「食べ物を扱うってそういうことだ。こっちの人間には見慣れているものでも、見たことが無い相手からすれば、何が入っているかわからないし、味の想像もつかない。店に立っている以上、商品の原材料はきちんと知っていないといけない。もちろん、説明する為に。将来的には職人になりたいんだっけ? それなら作り方にも興味はあるだろ。ある程度独学で進めておくべきだ。たとえばコックになりたくてホテルやレストランのキッチンに入るのは、今では調理師学校の新卒がほとんどだ。基礎がわかっていて免許も持ってる。さらに言えば、家業が飲食で子どもの頃から好きで料理してきたって奴も多いかな。ここの工場に入るとしたら、『手先が器用』以前に、和菓子を作るのがどうしても好きって気持ちは必要だろうし、好きなら教えてもらわなくても、仕事でなくても作るだろ。そういうの、何かあるのか?」


 言い返せずに固まった奏をじっと見つめていたが、そばの楠本に「少し外で話してきます」と声をかけた。「でも」と言った楠本に、にこりともせず「椿には俺から言うので問題ありません。仕事中なのは知っているから長く時間をかけるつもりもないです」と言い切って、押し通す。

 改めて奏に視線をくれると、凄まじくそっけない口調で言った。


「表に出ろ」


 青い目が、ひどく冷たい。

 凍り付いて立ち尽くす奏に構わず、ふいっと背を向けて出て行く。


(お……「表に出ろ」って、完全に喧嘩……!)

 まさか殴ったり蹴ったりはしないと思うものの、友好的な空気は何もない。一切ない。


「柳さん」

 行動を決めかねていたとき、楠本に声をかけられて、奏は無理やりに微笑んだ。


「いってきます」

 早く済ませてしまった方がいい、と自分に言い聞かせて後を追いかけた。


 * * *


 西條は店の前で腕を組んで待っていたが、奏が出て来るのを見ると腕を解き、ふいっと歩き出した。

 艶やかな黒髪がさらっと風に靡いている。細く見えるが、肩が広い。

 身長がなくて、歩くのも別に早くはない奏の足のことなど気にしていない速度。「女の子に合わせる」という繊細さなど持ち合わせていないとばかりに。

 だから、息が弾むほどに速く、小走りでついていかなければ見失いそうだった。


 商店街を端まで歩き、川原の遊歩道に下りていく石段を下り始める。

 犬の散歩をしているひとが時折通るくらいで、人通りがない道。


(どこまで行くの……?)


 下りきったところで、川の水面を眺めるように手すりから身を乗り出し、ようやく歩みを止めた。

 はあ、と息を整えながら奏がその背に近づいていくと、だしぬけに振り返って視線を投げてくる。


「椿屋には水沢湛がいる。十歳以上若いってアドバンテージがあっても、柳さんじゃ勝てない。一緒に働くと思い知るぞ。水沢や椿が、どれだけこの仕事を大切にしているか。子どもの遊び場じゃねえし、逃げ場でもない。柳さんが今やろうとしていることは、自分のわがままで他人の大切な場所を荒らすことだ。そんなことして何か楽しいのか?」


 あまり良い話ではないのはわかっていたが、前置きすらなく切り込んできた。

 ある程度事情が伝わっていることは理解して、奏はぐっと拳を握りしめる。


「荒らす気なんてない。きちんと仕事を覚えるし、必要な勉強はする」

「そういうのは」


 すうっと西條は目を細めた。

 風に髪を弄ばれながら、冷ややかに言い捨てた。


「言われてからやることじゃない。もうすでにやっていないとダメだ。起きている時間のすべてをごく自然に『それ』に捧げて、そのことだけを考え続けていても苦じゃない。そういう生き方のことだよ、職人になるっていうのは。俺は料理だけど、食材を見れば、合わせる材料や調理法がいくつも頭に浮かんでくる。綺麗なものを見たら、どうやって皿の上の表現に落とし込めるか想像してしまう。頭が休まない。勝手にずっと考え続けている。ひとと笑ったり話している時間なんかほんの一部だ。後はずーっと手を動かしているし、本を読んだり映像を見たり他人の作ったものを食べたりしている。それでも、いつも飢えているし、技量が足りないって本気で悔しがってる。時間が惜しい。水沢も、椿もそうだよ。柳さんは、そういう奴らの時間を奪うだけの何かがあるのか?」


 時間を、奪う。

 大切な場所を荒らす。

 わがままだと一言で済まされるのではなく、反論できるのならしてみろとばかりに、克明な説明を重ねて、突きつけてくる。


「何かがないと……、何もない人間は、ひとを好きになってもいけないっていうの?」


 自分は、椿香織というひとのことが好きで。

 そばにいたいと願ったからこそ、その仕事を知り、理解しようとしている。それもまだ始めたばかり。適性があるかないかを判別するにしても、早過ぎる。

 その思いから反論しても、西條の無表情はぴくりとも動かなかった。


「この世界には『努力賞』なんかない。『自分には何もないけど、気持ちはある』なんてそれこそクソだ。技術のなさを『気持ち』で誤魔化す人間にはどんな誠実さもない。俺や椿が仕事としてやっているのはそういう世界だ。『好きだから』なんでも許されるなんて、本気で思っているのか? 柳さんの好きってそんなに価値があるのか? 椿の弱みにつけこんで店に入り込んで、高校行かないってわがまま言って、その挙句仕事を覚えるのは『椿が好きだから』って。好きなら迷惑かけていいのか? 相手の重荷になっていても許されると? 俺に言わせれば、ずいぶんおめでたい頭をしてるよ。よくもそんな、『自分が好きといえば相手は嬉しいだろう』なんて勘違いができるな」


「勘違いなんか」

 そこまで、自惚れてなんかいない。

 そう言いたかったのに、言わせてもらえなかった。

 西條は、いっそう冴え冴えとした声で言い放った。


「お前、何様だよ。結局、大切なのは自分の気持ちだけ。それをされた相手がどう考えるのかなんて、何一つ考えていない。店の仕事にしても、製造にしても、柳さんより飲み込みが早くて前向きで一生懸命な人間なんかたくさんいる。どうせそのうち藤崎のことも気にするようになるだろうけど、大卒で一流企業社長秘書の経験があってもちろん英語での対応もできる。高校中退で何もできないで『気持ち』をたてにするような奴なんか逆立ちしても敵わねーよ。お前みたいな半端者に給料出す為に椿屋は会社全体として利益をさらに上げないといけない。結局水沢や椿が無理をする。重荷でしかない」


 すっと西條は歩き出す。

 もう興味がないとばかりに奏を放り出して石段に向かいかけたが、すれ違いざま念押しのように言い捨てた。


「仕事の真似事なんかしてないで、さっさと辞めろ。学校に行くかどうかは知らねーけど、あのお人好したちにこれ以上付きまとうんじゃねえよ」


 取り付く島などどこにもない言い様であった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 西條さんのド正論。 [一言] 西條さんに言ってもらえたこと、きっとこれからの奏の栄養になる。よかったね、奏。
[一言] プロの小説家もこんな感じかもしれないですね( ˘ω˘ )
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