表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
35 椿屋騒動編(前編)
239/405

「わたしは脱がされても叫ばなかったのにさ、あの三十路の叫び声すごかったね。女の子より女の子。ちょっと興奮しちゃった」


 ※ちょっと何を言われているのかわかりません。


 シャワーを済ませて、脱衣所にてドライヤーで長い髪を乾かしてきた「女の子」が、にっと真珠みたいな白い歯を見せながら笑って言った。香織のグレー色のパーカーを着込んでいるが、サイズが合わな過ぎてひざ丈ワンピース状態。なお、素足。

 髪を乾かすでもなく、大き目のパーカーにジーンズを履いて炬燵にもぐりこんでいた香織は、自分の眼光が鋭くなりかけたのを自覚して、倒れこむ。顔まで炬燵布団をかぶった。

「あ、逃げた」

 神経逆撫で・煽り・挑発の類の呟きが耳をかすめたが、気付かなかったことにした。

 炬燵布団の中で、ひたすら目を瞑ってやり過ごそうとする。

(女の子より女の子とか、興奮しちゃったってなんだよ……? 俺なんかひとかけらも興奮してねーよ! つーかお前はどの辺が女の子なんだよっての。ぱんつと声だけだろうが)

 よほど言いたかったが、もちろん言えない。絶対に。

 どう見ても未成年相手に「お前の女の部分、ぱんつと声だけだろ」と発言した場合、ごく普通に、社会的に死ぬ。


「香織、ごろごろするな。具合悪いのか。熱があるならすぐ病院だぞ」

 湛の声が遠くから聞こえる。

(過保護。大丈夫だってのに。親父とは違うから)

 どちらかといえば、腹の調子が悪い。ごろごろごろごろ鳴っている。川の水を飲んだせいに違いない。

「……返事をしない気なら、そうだな。西條に連絡しておく」

 香織はがばっと布団をはねのけた。

「なんでだよ」

「夜中に熱が出たら困る。一晩よく見ているようにと」

「大丈夫だってば。湛さん、心配しすぎ」

 なぜか、「女の子」がちょうど向かい側から炬燵に入り込んでくるのが見えたが、香織はそちらを見ないように顔を背けて湛を見上げた。

 軽く小首を傾げた湛は「そうか?」と言って、目を瞬いた。

「それじゃ、俺はこのへんで帰るか。あとよろしく」

「それはだめ! 置いていかないでよ、湛さん!! なんかそこに座敷童みたいなのいるじゃん、まさか見えてないの!? 炬燵にふつーに入ってきてんの!!」

「見えてるけど」

「見えてんならどうにかしてよ! 俺やだよ、そいつと二人になりたくない!! 無理!!」

 脱がされた挙句に急所を狙われた恐怖感がしっかり残っていて、本音が炸裂してしまった。

 なお、騒ぐ香織と対照的に、座敷童もどきの少女はといえば「にゃはぁん」と不穏な笑い声をもらしている。香織と目が合うと、ばちっと片目を瞑ってウィンクをしてきた。

(うわっ、マジでぞくっときた~っ)

 凄まじい悪寒が走り、香織は両腕で自分の両肩を抱く。


「取って食わないよぅ、イケメンお兄さん♡」

 少女は、追い打ちをかけるように愛想よく言いながら、炬燵の中で香織の足を蹴ってきた。ぎゃっと悲鳴を上げて香織は炬燵から飛び出した。

「湛さん!! 俺、これ絶対に食われる!! 怖い、NO食人(カニバリズム)!!」

「うん。 香織、お前、どっか打っただろ。頭とか、ヤバいところ。手遅れになる前に精密検査かな。救急病院……」

 言いながら湛はスマホを取り出して何やら検索を始めてしまった。

 香織は泣き言を口にした。

「それをどっかに持って行ってくれたら、たちどころに回復するよ。ええと、お嬢さん? おうちに帰ろうか。あっちのおじさんが送ってくれるから。あのおじさん、奥さんしか眼中ないから。すげー美人の奥さんいるの。だから、いかがわしいことされる心配、一切、なし!!」

 実際のところ「お嬢さん」と言っただけで口が曲がってしまったし、「おじさん」と言われた湛は目を細めて睨みつけてきていたが、それだけの犠牲を払ってでも言わなければならなかったのだ。

 どうにか目の前から消えてほしい、その一心で。


「帰らないのにゃー。拾った猫の責任は拾い主がとるものなのにゃー」

 ぶかぶかで袖に埋もれてしまった片手をあげて、にゃーんと少女は可愛らしい声で一声鳴いた。

 香織は渋い表情をなおさら渋くした。

「本物の猫ならそりゃ考えるけどさ。未成年なんか、警察に突き出して終わりだよ」

 炬燵から出ると、寒い。

 香織は警戒しながら腰を下ろして炬燵に足を入れつつ、むすっとして言った。

 おとなしく聞いていた少女は、「ほほぉ」と不穏な呟きを漏らす。

「警察。そこでわたしがお兄さんを突き出せばいいわけだ、ほうほう♪ このひとに風呂場に連れ込まれて、服を脱がされました、って。おもしろいね!」

 勢いよく俯き過ぎて、香織はごつん、と天板に額を打ち付けた。「痛そうな音」と湛の呟きが耳に届くも、すぐに顔を上げる気にはならない。


「信じられねえ。命がけで助けたのに……。つーか、なんで俺あそこにいたんだよ、くっそ。見つけなきゃ良かった」

 言うだけ言って、口をつぐむ。

 少女は悪びれた様子もなく「うん」と返事をした。

「それだとたぶん今頃、溺死体になってた。その方が良かったかな」

 平板な、声。

 瞑目して奥歯を噛みしめてから、香織は振り切るように顔を上げる。


「とりあえず、この家で未成年を受け入れることはできないんだ。社会的にそういうの、『誘拐』になって、最悪俺は捕まる。それは困る。家があるなら帰ってくれ」

 炬燵の中で、ちょい、ちょいと爪先でつつかれる。香織は足を延ばすことなく胡坐をかいていたが、その膝を、ちょい、ちょいと。

(何かの非言語コミュニケーションなのか、これ。嬉しくはないぞ)

 我慢して、少しの間耐えつつ目を向ける。にこにこ笑いかけられて、溜息がもれた。


「たしかに、身元不明の未成年を引き受けることはできない。家に帰れない事情があるなら児童相談所だ。年齢や名前は言える?」

 湛が厳然とした態度で尋ねると、少女は炬燵の天板をじっと見つめて早口に答えた。

柳奏(やなぎかなで)。十七歳」

「十七歳? 三歳くらい上乗せしてない?」

 見た目と合わない、と思いながら香織が口を挟むと、奏は初めて、冷ややかな視線を向けた。

「なんで上乗せするかな。ふつう、若く見られたいものでしょ」

「若くって。未成年は未成年だ。十八歳以下の時点で何歳だろうとあんまり変わらないっていうか」

(高校生か……。高二、いや四月に高三になった感じ? 光樹も子どもだと思ったけど、こんな感じだったっけ?)


 そのとき、来客を告げるチャイムが居間に鳴り響いた。


 * * *


 奏と二人になりたくない一心で、「俺が。俺が出る」と香織は湛を牽制してから玄関に急いだ。

 椿邸は店の裏手に立っていて、道路には小さな門が露出しているだけだ。母屋への道はわかりにくい。門のチャイムではなく、家の玄関先まで来るのは間違いなく知り合いだ。

「はーい」

 背の高い人影が引き戸に映り込んでいるのを見ながら、ガラガラと開け放つ。


「よ。ちょっと邪魔する」

 半ば予想していた相手。近所の喫茶店「セロ弾きのゴーシュ」の樒が立っていた。無骨な黒縁眼鏡の奥の目を細め、唇の前に「しずかに」とでもいうように指を一本立てながら玄関に入り込んでくる。

 手にはピンク色の、室内履き用の布スリッパ。

(なに……?)

 ちらっと目を向けると、樒が声をひそめて言った。

「橋の上にあった。投身自殺するときに靴を揃えて脱ぐのって、なんなんだろうな」

 スリッパの足の甲にあたる部分にそれぞれ「柳」「奏」と書いてある。

「たぶん、病院で使っていたんだと思う。自宅用のスリッパに苗字から名前を書くってことはないだろうし」

 いつ切ったか定かでない伸びきった髪。

 外歩きには向かない、部屋着風の服装。

(最初の推測の通りの事情ってことか……? なんなんだよ。死ぬ人間になんか見えないんだよ、柳奏)


 引き返せ。


 心の奥底で、声が聞こえる。この先に踏み込んでしまうと、何かよくないことが起こる。

 予感がする。

「樒さん、これ、どうしてうちに」

 香織もまた声をひそめて尋ねると、樒はにこーっと笑った。

「香織が川に飛び込むの見えたから。その後無事に出て来たのも。とりあえず急ぎじゃないと判断して、店の営業してた」

 脱力しそうな言い分に何か一言いいたくなったが、耐えた。後回しにしたにせよ、橋を調べてスリッパを拾ってきたのだから、気にしてはいたのだろう。


「あの、香織さん」

 その樒の背後から名を呼ばれて、香織は目を瞠った。まさか、と。

 ひょこっと顔を出したのは、春物らしいベージュのトレンチコート姿の光樹。

「なんでいるんだ」

「いや……、スリッパ拾ったの俺なんだけど。そこで樒さんと会って。あ、うちの親と樒さんの親が仲良くて知り合いで」

(知ってる)

 光樹のたどたどしい説明に口を挟むことなく無言で聞いて、「それで?」と香織は先を促した。

 

「柳先輩、いまここにいるの……?」

(頭痛い)

 まったく無関係で首を突っ込んでくるとは考えにくく、何かあるとは思っていたが。

 よりにもよって、お前の知り合いか、というやるせなさで唇をかみしめた。

「いるけど。なんか家帰りたくなさそうにしてて。こっちは事情全然わかんねえから、話にならなくて」


 光樹を巻き込むな。


 胸が息苦しく、動悸がしている。自分も関わらない方がいいし、関わらせない方がいい。

(光樹に何かあったらどうする)

 悪い予感しか、しないのに。


「俺が説得できるなんて思わないけど、話すだけなら。家、上がっていい?」

 控えめな態度ながら、光樹の声が明らかに弾んでいる。

 それほど鋭いつもりもないが、これはただの知り合いというか、と察した。

「……うん。居間にいる」

 それでいて、追い返す言い訳も思いつかず、そんなことを言ってしまう。


「本当に古くて純日本家屋って感じ。俺、こういうの興味ある。おじゃましまーす」

 光樹がスニーカーを揃えて脱ぐ。ぼんやりと見ていると「香織さん?」と声をかけられ「うん」と返事をした。

 救いを求めるように樒に目を向けると、なぜかいつも通り微笑まれた。

 その挙句、のんびりと言われた。


 なるようにしかならないし、なるようになるでしょ、と。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ほんとうに一言で失礼いたします。 そうか……香織さんも間の悪いブラザーズ……
[一言] 俗に言う"わからせ"うんぬんなムーブを序盤でかましまくりながら、その裏で何やら極大レベルの深い事情を抱えてそうですよね〜……奏ちゃんは(汗) そんな彼女に対して、光樹はどう関わっていく事に…
[一言] 樒さんの安定っぷり(?)にくすっとしたところで光樹くんが現れて悲鳴を上げました……香織さん回、更新たくさんでうれしいです(そして語彙力は喪われました)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ