悲鳴
服を脱がせたら女の子でした。
0点。
人を見る目、対応能力、危機管理意識。すべてにおいて0点。
(「だって」って言いたいし言っちゃうけど、脱がせる前はそういう兆候なんにもなかったんだよ。マジで!! 脱がせる前は男だった! 服を剥いだら女だった! そういう話!!)
言い訳を採点するならば、マイナス五億点。
詰んだ。
降りしきる熱いシャワーに打たれつつ、心の中は極寒逆戻り。川で溺れたときより寒い。体感的には雪山で遭難レベル。
(死にたい……。なんだったら俺だって見ず知らずの女の子に裸見られてるんだけど。良かった、下まで脱いでなくて。相手の分は脱がせたけど。ぱんつ見えたし。ぱんつ)
服装も髪型も全然かまっている様子がないのに、なぜそこだけそんなに色鮮やかなのかと言いがかりをつけたくなるほどのぱんつ。
死にたい。
西條聖の罵声や藤崎エレナの物悲しい目が頭の中をぐるぐるしている。死にたい。
「何もする気はない。いや、脱がせたけど。下心はない。俺も脱いでいるけど、これは必要だから脱いでいるだけで」
(やばい。自分が何を言っているかわからない)
やっぱり頭の中まで水がまわっている。
腹を下すほど川水飲んでいるし、このまま死ぬんだきっと……(あれ? 俺は一体何を考えているんだ)。
呆然としている香織の視線の先で、少女がのそっと動いて顔を上げた。
「仕方ないよ。というか、着たままだとどうにもならないんだよね? ぜんぶ脱ごうよ」
しゃべった。
(最初にこの声を聞いていたら、絶対に間違えなかったぞ。今さら普通にしゃべりやがって……!)
耳に甘く残る響き。ボイス訓練を受けて、声の仕事をしているひとみたいに綺麗な声。
わなわなと震える香織の後悔など知らぬように、少女はにこりと笑った。
「脱がせてあげようか?」
何言ってるんだ? とただただ茫然と見返してしまう。一方、少女は躊躇いなく手を伸ばしてきた。作務衣のウエストに手をかけて、一息にずり下げられる。
「わ……わああああああああっ!?」
トランクス姿をさらすことになって、香織は悲鳴を上げた。
「ぜんぶ脱がないと」
妙に楽し気に言いながら、少女は両手の指をわきわきと動かしてさらに香織に迫る。位置的に、ドアに至る退路は塞がれていた。逃げ腰の香織はびたん、と浴室の壁に張り付いた。
「脱ぐわけねーだろ!!」
掛け値なしの本気で、怒鳴りつけてしまった。足に絡みついているズボンのせいで動きにくいが、現在の装備品はトランクス一枚。完全に初期装備。最弱。大切な部分しか守れてない。これ以上脱げとは。
すだれ髪の合間から、少女はにやにやと笑いかけてきた。
「おや? 脱げとか脱がすって言っていたのはお兄さんでは?」
「誰がお兄さんだよ! 妹なんかいねーよ!」
(いるけど! 名目上はいないし……!?)
言ってから不安になるのは、複雑な血縁関係のせい。悲しいかな、諸々疑ってしまう。
(さすがにこの子の年齢を考えると、うちの親父が関与した線はないよな)
一瞬祖父の顔がかすめたのを振り払う。何かと問題があったのは父親だけのはず。そう信じている。
「ふむう? でもおじさんって見た目じゃない」
少女は、声だけは可愛らしく言って、首を傾げてくる。愛らしいというべきか、あざというというべきか。今さらながらに可愛い顔立ちをしていることに気付いたが、そんなのどうでもいい。
「おじさんだよ! おじさんでいいよ! もうすぐ三十歳だし、君から見たらおじさんだよね!?」
「へえ。三十歳ってこんななんだ。全然若い」
「興味津々で見んなよ!」
明らかに裸体を値踏みされている。
シャワーの水音がうるさいこともあって、香織はいちいち大きめの声で返してしまう。リフォーム済みの浴室でわんわんと反響していたが、何しろ余裕がない。
なお、少女はやはり動じた様子もなく、ただ一枚残ったトランクスに視線を固定する。
「興味津々」
「あのさぁ……、どこ見てんだよっ」
「コカン」
すうっと血の気がひいていく錯覚がした。錯覚ではないかもしれない。
(「死にたい」と「死ね」の間で気持ちが忙しいね、うん)
気が遠くなるってこういう感じなんだ、というのを香織はまざまざと実感した。
「なんだ、香織。何騒いでる?」
着替えを持って来たついでなのか、湛がすりガラスの中折れドアを開けた。
壁に追い詰められていた香織は、ほとんど泣き顔で湛に助けを求める。
「すげー見られるんだけど!! 俺もうやだ、出る!!」
「香織が幼児退行してる。ちゃんと体あったまったのか」
湛はやや冷たく目を細めていたが、香織は足に絡んだズボンをその場に脱ぎ捨て、これ幸いと少女の横をすり抜けて浴室から逃げ出した。
バスタオルと着替えを手にして脱衣所からも出て行こうとしたものの、さすがに良心が咎めて足を止めた。
鼻をすすり上げながら、「女の子だった」と震え声で告げる。泣いていたわけではなかったが、衝撃でうまくしゃべれなくなっていた。
「女の子?」
きょとんとしてから、湛は浴室に目を向ける。
シャワーに打たれながら、タンクトップ姿の少女はにこりと湛に笑いかけた。
「どーもー、女の子でーす」
事態を飲み込めていないままぼんやりと見返した湛は、数秒遅れて呟いた。
あ、ぱんつだ、と。