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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
4 薔薇の名前
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草木も人も

「レナ様、少し遅くなってごめんなさいって謝ってくれていました。食事自体はペース早目でいいそうです。お皿が重なっても構わないと」

 一品目を運んで戻った伊久磨が、キッチンの由春に声をかけた。

「おう、すぐに終わらせる」

 すでにサラダとスープを用意していた由春が、メインの魚料理に取り掛かりながら答える。


「へー。気難しそうなご婦人に見えたんですけど、重ね出しありなんですか?」

 皿洗いをしていた幸尚だが、てきぱきとした場の流れを見て、思わずのように口を挟む。

 サラダとスープを受け取った伊久磨は、面白そうに幸尚を見て、笑みをこぼした。


「気さくな方だよ。だけど、デザートはさすがに食後にしたい。ユキは休憩入っててもいいから。クレメダンジュ、プレートにのせて冷蔵庫に入れておいて。蜂蜜かければいいんだよな」

「ええー?!」

 本気とも冗談ともとれない伊久磨の発言に、幸尚は間抜けな返事をした。その様子を見ながら、伊久磨は口の端に笑みを浮かべたままホールへと向かってしまう。


「ニナさんマジ言ってんの?」

 独り言のような呟きに、由春は「気さくではない。はっきり言って、伊久磨だから対応できている」と声をやや翳らせて答えた。

 なんともいえない顔で、幸尚は指で銃を撃つ真似をする。

「マダムキラー」

 バァン。

 しっしっ、と向かって来た弾をはたき落とすように軽く手を振りながら、由春が言った。

「斬ってるかどうかは知らないが、あの年代には優しいよ、伊久磨」

「へー。ニナさん熟女好きだったのか」

 納得したような、していないような顔で幸尚は洗い場に向き直る。

 洗いかけの皿に手を伸ばして、宙で止める。ふと、真顔になった。


「あの年代」

 思わず。

 声に出して、何もない虚空を見据える。

 普段、男女問わず丁寧に接する伊久磨だが、店員と客との線引きはキチッとしている。幸尚の見る限り、伊久磨ファンは少なくないのだが、一定以上踏み込ませない空気がある。今日のように、女性に腕を貸して、親しげに話しているところなど、これまで見たことがない。

 その姿を見た時、自分はどう感じたのか。


 はじめはその親密さに驚いた。ついで、女性の年代に気づいて、ごく自然にその考えが頭に浮かんだのだ。

 まるで、母と息子のようだ、と。


「ニナさん、親死んでんじゃん……」


          *


「少し眩しいですか」

 スープをスプーンですくって食べている「レナ様」の側で、伊久磨が手で自分の顔に(ひさし)を作りながら声をかける。

「大丈夫よ。この窓からの景色が好きなの。綺麗なお庭よね。目のご馳走だわ」

 ニコニコとしてレナが答えた。

「陽射しがきつくなったらご遠慮なくおっしゃってくださいね」

「カーテンでもかけてくれるの?」

 顔を上げたレナを見下ろす角度で、伊久磨は目を瞬いた。それから、おっとりとした調子で言った。


「私が立ってみましょうか。結構いい日除けになりますよ」

「それは……っ、そうね」

 くす、と噴き出してから、止まらなくなったようにレナが笑う。その様子を見ながら、伊久磨も声を立てずに笑って、近くのテーブルの片付けを始める。皿を重ねるときにも気を付け、なるべくカチャカチャと音を立てないように。


「ごめんね。本当にもっと早く来る予定だったんだけど。こんな時間帯迷惑よね」

 他に客がいないことをしきりと気にして、レナが詫びる。

 トレーに空の茶器やデザートプレートをのせながら、いえいえ、と伊久磨は気安い調子で言った。

「ごゆっくりなさってください。ご予約頂いたときから、お会いできるのを楽しみにしていました」

「そんなこと言うと、夜まで居座るわよ」

「ああ、そういうお客様、以前いましたよ。庭の景色が違って見えていいそうです。君もそこに座って見てみなさい、なんて言われまして。普段、そこまで『客席から』庭を見ることなんかないですからね。勉強になりました」

 淡々と話す伊久磨の口調からは、迷惑だったのか本当に勉強になったと思っているのかが、よくわからない。スプーンの手を止めて、レナは小さく吐息した。


「あなたはいつもそう……。気が利くのか、とぼけているのかよくわからないわ。私の息子なんか」

 そこで、レナはふと言葉を途切れさせる。


「お料理冷めないうちにどうぞ。今シェフがはりきってメインに取り掛かっていますので、お持ちします」

 しずかに言って、伊久磨はトレーを持ってキッチンへと引き返す。

 その後ろ姿を見ることなく、レナはひっそりと溜息をついた。

 

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