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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
33 病めるときも健やかなるときも
223/405

憂鬱な狂詩曲

 ――仕事と恋愛。選ばせるような男で良いの?


 自立して生きてきたはずなのに、全部が「無」になっていく。怪我の一つで、まるで無力で何もできない存在であるかのように扱われる。

 いつの間にか段取りも決められている。

 他に選択肢はないのだと突きつけられて、静香の意志はろくに確認もされない。


(仕事と恋愛。選んですらいない気がする。流されているだけじゃないのかな。あたしの仕事、生活。終わり方はこれで大丈夫?)

 それしかないと、頭ではわかっている。怪我をした自分が悪い。

 心がついていかない。


 * * *


 駅近くの料理の美味しい居酒屋で、夕食。

 怪我人の静香はアルコールを摂取しなかったが、伊久磨と紀子は軽く一杯ずつ。


「フォークなら食べられる? 食べさせてあげようか?」

 非の打ちどころのない笑みを浮かべて優し気に揶揄(からか)ってくる伊久磨。静香は丁重に断って、フォーク一本で突き刺して食べられるものを食べた。

 伊久磨は気を悪くすることもなく、唐揚げを一口大に切ったり、静香の皿にカツオのたたきをよそったりと、的確にフォローを入れる。

 紀子に「最近の男の子は取り分けも全部してくれるのね。光樹はどうかなー」と水を向けられると、「誰かにやってもらうのを期待するより、自分で動いた方が早いので。仕事関係なく、学生時代からずっとですね。光樹くんはこれからかな」と如才なく答えていた。


 会計は、伊久磨と紀子で取り合い。

 最終的に、紀子が頑として譲らなかった。「大体、この間『海の星』で会計したときも、かなりサービスしてもらっていたみたいなのだけど」ずっと気がかりだったとばかりに言って、伊久磨は「シェフが」と言い訳はしていたものの、諦めて「ごちそうさまでした」となった形だ。


「『海の星』で食事したときって……」

「岩清水さんが、ランチ四名で会計しておけって。さすがにそれは静香のお父さんが怒りそうだから断って、ディナーで頂いているけど。品数少ないコースの代金でドリンク代も入れてないから、気付かれたな」

 紀子が会計している間に静香が小声で尋ねると、伊久磨に打ち明けられた。

 一番安いコースでも「海の星」はそれなりのはず。決しておごられたわけではない。それでも、会計を親任せにしてきちんと確認していなかったことが、静香には今さらながらにこたえた。

 自分の知らないところで気を遣われ、いろんなことが起きている。

 光樹のことも、隠そうと思ったわけではないのだ。姉弟仲があまり良好ではなかった面も含めて、どう話せばいいかわからなくて、先送りにしてしまった。そのうちに、いつの間にか知り合いになっていた。

(今回も。落ち着いてから話そうと思っていただけで……) 

 判断力が鈍って、決断が遅い。

 何もかも後手にまわってしまう。


 店を出たら二十一時過ぎ。まだ二月で夜は冷え込むせいか、道行くひとは多くない。

「東京駅の近くにホテル取ってるんです。電車で帰りますけど、マンションまで送ります」

 さらりと伊久磨に言われて、静香は戸惑いつつ伊久磨を見上げた。

「大丈夫だよ。マンションまで徒歩十五分かかるの。せっかく駅前なんだから、伊久磨くんはこのまま電車で帰った方が」

「夜道に女性二人、静香は怪我人。往復三十分でも終電には全然余裕あるから。俺のことは気にしないで」

 これは伊久磨は譲らないな、というのは直感的にわかった。言い合っても仕方ない。


「ええっと……。じゃあタクシー乗る? 三人で乗って帰って、伊久磨くんそのまま駅まで引き返せば道に迷う心配もないし」

「ああ、それでもいいけど……」

 話しながら歩いているうちに、タクシー乗り場に着いた。特に待ち人が並んでいることもなく、紀子は停まっていた先頭車に合図してドアを開けてもらい、さっさと乗り込む。

 静香が続こうとしたところで、車内から顔を出して言った。


「少し蜷川さんと話してきたら? せっかく東京まで来てもらったんだし。お母さん先に帰ってるから。家に帰る前に連絡してね。起きて待っているようにするから。帰ってくるわよね?」

 にこりと笑われて、静香は「明日も仕事だから」と頷く。

 紀子の提案は飲み込めた。贅沢暮らしをしないで生きてきたので、タクシーで帰るなら一緒に、と一瞬かすめたが、東京まで来てくれた伊久磨とはやはり二人で話した方が良い。

「蜷川さん、今日はどうもありがとうございました」

「こちらこそ。おやすみなさい」

 タクシーが出て行くのを二人で見送る。

 少しの間ぼうっとしてから、静香は横に立つ伊久磨を見上げた。


「どこかお店に……。時間が時間だから、カフェバーみたいな感じになるけど」

 土地勘がある自分がしっかりしないと、と思いながら尋ねてみる。じーっと見つめ返されてしまった。

「伊久磨くん?」

「静香、顔が疲れてる。辛い? お母さんと一緒に帰った方が良かったんじゃない?」

 何を言われたのか考えてみてから、静香は小さく吐息した。

(タクシー出てから言われても……)


「べつにそんなに遅い時間じゃないし。怪我は痛いけど、体が衰弱しているわけではないから大丈夫。寒いから行こう。タクシー待ちと勘違いされても困るし」

 近くに、軽食とドリンク類で遅くまで開いている店のあてがあったので、ひとまず歩き出す。

 頭の中は、空に近かった。

(何話すんだろう。先の話は引越しの手筈も含めてだいぶ詰めたし)

 会いたかったはずなのに。

 気持ちが深く落ち込んでいて、足が重い。無理やり歩いた。

 背後から、伊久磨の声が響いた。


「ずっと表情が暗い。静香、迷惑だった? 俺は来ない方が良かったのかな」


 * * *


 電車に乗った、という連絡があってからいくつかメッセージをやりとりした。


 岩清水“ヒロ”が知り合いのエージェントに全部頼んだとのことで、おさえてあった宿泊先も名の通ったホテルであった。

 建物上階、夜景が綺麗に見える部屋で寛いでいた香織は、ノックの音を耳にして素早くドアに歩み寄る。


「おかえり」 

 内側から開いて、伊久磨を迎え入れる。

 暗い表情をちらりと見て取って、中に入るように促してからドアを閉めた。  

 伊久磨の動きに沿って、冷気が漂う。

「外寒かった?」

 後を追いながら声をかけた香織の目の前で、伊久磨は立ち止まって部屋の中をぐるりと見回した。

 コートも脱がずにベッドに倒れこんだ。


「……つかれた」

 仰向けになって、腕で目元を隠しながら掠れた声で呟く。

「動けなくなる前にシャワーしちゃいな。それとも、お湯張ろうか? そんなに飲んだわけじゃないでしょ。湯舟結構大きかったけど、さすがに溺れないよね?」

 ベッド脇に立って、バスローブのようなルームウエア姿で腕を組んで伊久磨を見下ろしながら、香織は淡々と尋ねた。返事はない。

 しばらく待てども動きが無く、香織は伊久磨の横に腰を下ろした。

 マットレスが沈み込むのを感じたのか、伊久磨が手を伸ばす。香織の腕に触れて、思わずのように掴んだ。すがるように。

 香織はふっと目を細めて、声もなく笑った。

「俺だよ。大丈夫? 頭働いている?」

 掴まれたまま、覆いかぶさるように上半身を傾けて、低い声で囁いた。


「静香と何、どうした?」

「静香と……」

 伊久磨は呟きながら香織を掴んでいた手を離し、両手で顔を覆った。


「喧嘩?」

「……わからない」

「わからないってことないでしょ。何もないひとはそんな顔して帰ってこないよ。何があったかくらい、言えよ。ここで聞いているから」

 言い終えても伊久磨は動きを止めたまま。

 香織は無言で手を伸ばして、コートの合わせ目に指をひっかけた。

「脱がせてあげる」

「いいって」

 伊久磨の手が香織の手を掴み、邪険に払う。

 苦笑を浮かべて、香織はもう一度身をかがめて伊久磨の顔を覗き込んだ。


「いい、じゃないよ。お前放っておくと、そのまま朝まで倒れてるんじゃないの。自分でできないなら俺が脱がして風呂にいれてあげるから。それとも一緒に入った方が良い?」

「介護されてしまう」

 困惑したように呟かれて、香織はなおさら優しく微笑んだ。


「してあげたことあるからね。いろいろと。覚えてないだろうけど。薄情な奴め」

 言うだけ言って、身を投げ出す。伊久磨の胸の上に頭をごつんとのせながら、無理やりに横に身をすべりこませた。

「彼女に会いに行って、絶望して帰ってくるのはなんで?」

「そっちは……、食事どうだった」

 ようやく会話が滑り出す。香織はぐりぐりと伊久磨の胸に頭を押し付けつつ言った。


「最ッ高。楽しかった。料理もお酒もサービスもパーフェクト。内装も手がこんでて華やかで見ごたえあった。そうそう、ヒロさんを一目見たいらしい若いのもウロウロしてた。憧れなんだろうね。確かにカッコイイからな~。で、どうするの? 明日『海の星』はヒロさんにあれ以上の何かを見せられるの?」

 ごろん、と伊久磨は寝返りを打ってベッドの端まで行ってしまう。

 投げ出された香織は身を起こしつつ、伊久磨の脇腹の上に手を置く。


「瘴気が漂ってる。お前ほんと、落ち込むとたち悪いよな~。陰気。失恋した?」

 逃げすぎた伊久磨が、ベッドから落ちた。

 香織は遠慮なく笑って、ベッドに寝転がって占領する。

「ごめん、冗談のつもりだったんだけど、そうなの? 破談? 婚約破棄?」

 返事が無い。

 笑いをおさめてから、香織は床を覗き込んだ。


「あのさ。この部屋、男二人でこんな夜景どうすんだってくらい夜景綺麗なんだけど。ルームサービスとって飲もう。お前、鬱陶しい。洗いざらい話すか、吐くまで飲んで寝ろ。とりあえず立て」

 言いながら伊久磨の横に裸足で下り立ち、思い切りよく腕を掴んで立たせる。

 沈み切った表情を見上げながら、にこにこと言った。


「まず風呂。俺が体洗ってあげる」

「いらねー。どんなサービスだよ」

 げんなりしたように言いながら、伊久磨はようやくコートの前を開けて腕を抜く。さりげなく手を出した香織に脱いだコートを預けつつ、呟いた。


「喧嘩ならまだ良かったのかも。静香って、溜め込むと言えなくなるんだな」



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― 新着の感想 ―
[一言] この、お互い嫌ってる訳ではないのに上手くいかない感じがとてもリアルですね! こういうのを見てると、男女の価値観の違いを改めて考えさせられますw
[一言] 前回の話では、静香同様に引っ掛かりらしきものを感じつつも「あぁ……この場面ではまだぶつからないのかな?」と思っていたのですが、今回の話でそういう二人の差異が浮き彫りになってきた形でしたね~。…
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