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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
33 病めるときも健やかなるときも
221/405

混線

 椿さん?


 母・紀子の不思議そうな声を聞いて(何を言ってるんだろう?)と考えてから、およそ五秒後。

 宵闇にパパ―ッとクラクションの音が響いた瞬間、我に返った。


「ちょちょちょ、ちょっとお母さん、ごめんその電話貸して。あたし間違えたかも、伊久磨くんに電話したつもりでたぶん間違えたところにかかってると思う……!!」

 静香は咄嗟に左手を伸ばしてスマホを奪い取り、紀子に背を向けて足早に数歩進んでから耳にあてる。

 紀子から「蜷川さんに連絡してみましょう」と言われて、電話をかける操作だけして渡したはずなのだが、全然違う相手に繋がってしまっているらしかった。

(なんでそんな間違いを……!!)


「ごめん、この電話どこにかかってる? まさか」

 香織?

 言いそびれた内容を的確に把握したらしく、スマホの向こう側から想定した相手の声が届いた。


 ――俺の方こそごめん。伊久磨にかかってきた電話に、俺が出てる。えーと、いまの。


 機器を通した声はいつもと少し違って、低く男性的に感じた。思いがけないタイミングに思いがけない相手との会話に動悸が激しくなりそうであったが、なんとか落ち着こうとする。


「あのええと、ほんとごめん。伊久磨くんのメッセージがわかりづらかったから、確認しようって話になって……。()()()()()()が乗り気だったから、電話渡しちゃってさ。というか香織は今どこ? 何してるの? 伊久磨くん新幹線に乗ったって連絡して来たけど、あの情報がすでに間違いなの?」

(伊久磨くんはスクショを使ったメッセージでも何かミラクルを起こすの? それともあたしの読み取り能力の問題なの?)

 混乱しきりに尋ねる。紀子のことは、香織には「母が」とは言わず、そうとわかるように暗示しつつ。

 落ち着こうと思った割にうろうろと歩いてしまったせいで、どん、とすれ違いざまにひとにぶつかった。悪いことに右腕。脳天まで突き抜ける痛みに、静香は歯を食いしばって耐える。


 ――間違いじゃない。伊久磨も俺も今新幹線で東京に向かっている。静香、怪我の具合はどうなの。右腕って聞いたけど、後遺症は? 指に痺れが残ったりするとか、何か言われている?


 さらさらっと聞きにくいところまで踏み込んでくる。この手並の鮮やかさが香織だな、としみじみ思いつつ静香はビルに身を寄せて、透き通るような紺色の空を見上げた。


「大丈夫。完全に折れたわけじゃなくてヒビ入っただけだし。しばらく動かせないから色々不自由だけど……。そんな騒ぐようなものじゃない。二人でこっちに来てくれるの?」

 心配してもらえるのはありがたいけど、大げさだなぁ、と。

 照れ臭いような、来てもらってもどうしようかなという気持ちを持て余しながら尋ねると、少しだけ沈黙があった。

 やがて、きっぱりと言われた。


 ――勘違いさせたなら申し訳ないけど、俺は別件。伊久磨とはたまたま新幹線で一緒になっただけ。


(ええっ? なに? 突然何を言い出したの? そんな偶然ある?)

 少し苦しくない? 「あたしの為に、わざわざごめんね」って言われるのが、そこまで嫌? と半ば呆然としつつ聞き返す。

「別件てなに? 香織、東京に何か用事? ええと、藤崎さんはもうそっちだよね? この間『海の星』で会ったし。他に何か来る理由ある?」

 彼女がいるならまだしも、その相手はすでに東京を去って、一緒に暮らしているはずなのだ。その後どうなっているのかは知らないが、こんなにフットワーク軽く別の女に会いに来ている場合だろうか。


 ――藤崎さんとは良い友人関係だよ。東京には本当に用事で向かってる。伊久磨とは駅で会った。というか、静香、伊久磨に心配かけすぎだ。光樹から聞いて初めて知った、って。大したことない怪我ならさっさと言えば良かったのに。思わせぶりな態度で振り回すのはだめだ。心配させればさせた分だけ心配するし、不安になるし、落ち込む。そういう相手だってわかれよ。


 何か。怒られている。

 言っていることは理解できるが、香織に口出しされるのは納得がいかない。


「香織はいつまでそうやって、伊久磨くんの保護者面してるの? 伊久磨くんもあたしも大人なんだから放っておいてよ。今回はほんと、手を使いにくいからメッセージも打ちづらかったし、母親もそばにいるから電話もしづらくて言うのが遅くなっただけで」

 深い意味があるわけでは。

(振り回そうなんて思っていないし。むしろ振り回さないために、落ち着いてから連絡しようと思っていたのであって)

 怒られる筋合いではないと、言い訳じみた説明をする。


 ――離れていると、わからないだろ。何が本当なのか。嘘も隠し事も、しようと思えばいくらでもできる。隠し事ってさ、されるたびに信頼が下がるんだよ。誠意が無いから。


 ぼそりと付け加えられたセリフの不穏さに、静香はスマホをぐっと握りしめた。誠意とは。


「心配されたくなかっただけなんだって。お互い仕事もあるのに、ぐずぐず慰め合っても『怪我をした事実』が消えるわけじゃないし。そういう建設的じゃない関係が嫌なの」


 ――じゃあなに。「高め合う関係」が良いの? それそのまま伊久磨に言えば? 俺に言っても仕方ないし。


 それはそう。間違いない。

 納得しかけて、静香は苛立ちの原因に思い当たった。

(伊久磨くんの電話に出ているひとに言われたくないんですけど!? 香織はなんでそこにいて、あたしからの電話に出ているの!? そもそもの行き違いはそこからじゃないの??)


 ――とにかく、到着時間は連絡した通り。逃げないで会えよ。あいつ本当に心配しているから。


「どうもありがとう。仲良いよね、二人。というかあたしはなんで香織と話しているのか、いまだによくわかってないんですけどね……?」


 ――それは俺もだよ。静香、なんで母親から彼氏に電話かけさせていたの? どうなってるの? その時点でなんかもう逃げてるんだよね。「大人」のすることじゃないと思うんだけど。


(ああ言えばこう言う……!!)

 思えば。

 今まで。

 香織と舌戦になったことなどなかったので、失念していたのだが。

 敵に回してはいけないタイプ。間違いなく。


「静香?」

 遠巻きに見ていた紀子が戻ってきて、コートの裾をちょい、と遠慮がちに引っ張った。

(誰と何の話をしているんだ、って思っているよね間違いなく。うん。そうですよねー)

 紀子に頷いてみせてから、なんとか頭を切り替える。


「その時間帯に東京駅で待ち合わせなんて、混雑でしんどいと思う。待ち合わせ場所考えてメッセージ入れておく。まだ外で家に帰ってないから。お店……右手使えないから外食しづらいんだけど、食べられるものもあるかもしれないし……。そっちはどうするの?」

 紀子がそばにいるので、香織、という名前を極力口に出さずに尋ねてみる。


 ――俺はレストランに予約入れてるからパス。伊久磨とうまいこと合流して。


「へー。レストラン? 本当に用事だったんだ」

 誰と? と聞きたいのをぐっと堪えて、流した。あんまり長引かせると藪蛇するかもしれない。


 ――そう。予約三か月待ちのレストランに、無理やり一席ねじこんでもらって。あれ? 待てよ。静香たいした怪我じゃないなら、伊久磨はこっちのほうが良いんじゃないか? こんな機会滅多にないし、静香はべつに歓迎していなさそうだし。ちょっと話してみよう。


「ええええ、待って、なに? 何言ってんの? ほんとわかんないんだけど……!」


 予約三か月待ちのレストランに無理をきかせたというのは、よほどのVIP同席ということだろうか。冷静に考えれば、たしかに伊久磨はそちらに行けるものなら行った方がいい。勉強になるはず。

 問題は、この「冷静」がどこまで妥当なのかだ。さすがにここは「一目会いたい。何のために来たの?」と言っても良い場面ではないだろうか。

(鬱陶しい? どうなんだろう。わからない。そもそも伊久磨くんはなんで東京に向かっているの? 香織とレストラン? そっちがメイン?)

 そこからわからなくなってきた。


 ――そういうわけだから。そろそろ切るね。伊久磨からも連絡入れさせる。じゃあ。


「待って。振り回して終わりにしないで。あたしいま状況全然わかってないから……!!」

 焦る静香の耳に、ひどく優しい声が届いた。


 ――怪我、まだ痛いよな。お大事にね、静香。


 ぷつ。

「……切った……」

 切られた。

(全然用件が済んだ気がしないのですが……!?)

 香織のアホ、と心の中で呟く。


「静香、蜷川さん、は……?」

 控えめに紀子に尋ねられて、静香は力なく笑い返してみた。


「新幹線で話しづらかったのか、あんまり話にならなかった。今からメッセージしてみる。お母さん、とりあえずどこかお店入ろう。左手でメッセージするの、地味に大変だから」


 * * *


 香織が伊久磨の手からスマホを奪い取り、デッキに去った後。

 特に動きのない伊久磨を、明菜は(ぼんやりしているなあ)と横から眺めていた。

 その視線の先で。


「……ん。あれ、スマホがない」

 伊久磨が突然コートのポケットを探り始める。

 明菜は無言のまま目を見開いた。


「い、いま? いま気付きました? さっき香織さんが持って出ていきましたけど。着信……」

「着信?」

 ぼさっとした様子で聞き返される。本当にぴんときていない様子だ。

「えー……」

 このひと、心配どころじゃない、と絶句してしまう。

 同じ感想を抱いたらしい大豪が、遠慮なく言った。


「『海の星』の給仕頭(メーテル・ドテル)はそれで勤まるのか?」

 何を言われたかよくわかっていないように、伊久磨が大豪を見つめる。


 遠くで誰かがくしゃみをした。乗客たちのたてるひそやかな音に、トンネルに入った瞬間のザッと空気の変わるような走行音が耳に届く。


 三者三様に静まり返ったところに、香織がデッキから引き返してきた。



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― 新着の感想 ―
[一言] これは、確実に香織が掻き乱した形になってるし、現に香織はもう結論決めつけている状態で今回の話題を進めてる感がある事は否めない(汗) だけど、彼の視点からするとこう認識しちゃうのも仕方ないと…
[一言] 確かに混線してるなあww 三谷幸喜脚本のドラマみたい!w
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