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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
33 病めるときも健やかなるときも
220/405

ひとには言える

 東京行きの新幹線は二列シート前後で四人分、岩清水大豪(ひろひで)がすでに確保済みだった。


「飲むか?」

 席を回転させ、ボックスシート状態。

 車内販売を呼び止めた大豪が缶ビールを買おうとしたが、香織が「とりあえず良いです」と断りを入れる。

 窓際に大豪、隣に香織。向かい側は窓際に伊久磨で通路側が明菜。なお、伊久磨が凄まじく暗い。濃厚な暗黒オーラを全身から放ち、表情は沈み切っている。隣の明菜は明らかに戸惑っていた。

(席順これで良かったのかな)

 明菜と場所変わった方がいいのかな、と香織は考えてみた。しかし明菜が大豪の隣というのも違う気がする。

 ひとまずあの伊久磨をどうにかせねば、と口火を切った。


「命に別状はないなら、そこまで心配しなくても。仕事しているんでしょ?」

 要領を得ない伊久磨から聞き出した限り、静香の怪我は「ただの怪我」のようだ。右腕を使えないだけで、大きな手術をしたわけでもなければ、意識不明の重体というわけでもない。

(右腕……)

 職人である香織としては、もちろんそこにはひっかかっている。

 しかし口に出してしまえば、伊久磨の状態が悪化する恐れがあるので、敢えて黙殺して話を進めた。

 自分に話しかけられていると遅まきながら気付いた伊久磨が、顔を上げた。

 瞳に、光がない。


「気付くタイミングはあったのに。気付くのが遅れた」

 声に後悔が滲んでいる。自分を責めているのが容易に知れた。

 伊久磨は、そのまま瞑目してしまう。体面を取り繕っている余裕もないらしい。

 わずかに逡巡したものの、香織は言い聞かせるように声をかけた。

「それは静香の問題じゃないの? 手が不自由でも連絡くらいできたでしょ」

 だいたい。

 二、三日遅れたところで、死ぬわけじゃないんだから。

 その一言を飲み込む。


 今がどんな状態なのか、本当のところはわからない。心配させないように、怪我の具合を加減して伝えてきている線も十分にあり得る。

(情報の出どころが光樹なら、ある程度正確だとは思うけど)

 なんといっても、身内なのだし。


 伊久磨は窓ガラスにごつんと頭をぶつけて、目を開けた。そのまま流れる景色をぼんやりと見つめる。

「香織の言う通りだと思った。俺の方から、変に意地を張らないでもっとマメに連絡していれば良かった。少なくとも、違和感があった時点で、きちんと話を聞くべきだったんだ。……隠されるとは、思っていなかったから」

 最後の一言に、じわりと暗い感情が滲んでいる。

 何故教えてもらえなかったのか、割り切れていない様子。


「現実的に、お前には仕事があるし、静香も生死に関わる状態じゃないんだろ。しかも……、静香の、母親、がついているなら、何かと面倒見てもらっているんだろうし。わざわざ伊久磨に来てもらっても、って考えそう。静香だし」

 不自然にブツ切れた言葉。「静香の母親」をなんと表現していいのか、悩んだ。お母さん、と口にすることが出来ず。

 普段の伊久磨なら気付いただろうが、今日はただただぼんやりとしている。

 やがてぽつりと呟く。


「やることならある。たくさん、ありすぎるくらい。死んでいたら葬式以外何もできないけど、生きている相手にはいろんなことができる」

 明菜が伏し目がちに視線を向けた。伊久磨の事情をどれだけ知っているかは定かではないが、ヒヤリとした空気は感じたのだろう。

 血の気の失せた顔。染み付いた影が背後に見えるかのようだ。


「腕の自由がきかないって、実際すごく怖いと思う。帰り道一緒に歩くだけでもいいから、そばにいたい。転ばないように横で支えたり。それこそ痴漢や物取りに狙われるかもしれない。これ以上悪いことが起きないように、そばにいれば出来ることも……」

 たしかに、それはそうだ。

(でも、一回、二回の話だ。生活がある。ずっと向こうにはいられない。だとすれば焼石に水じゃないのか。「相手のために何かした」という自己満足を得て、日常に戻る。自分を安心させたいだけだ)

 言えない。

 目の前に問題はある。正解はない。


「彼女さんの気持ちも少しわかります。『気にかけて欲しい』けど『負担になりたくない』……。私は自分が体調崩したときに、言いたい相手に言える間柄でもなかったので言いませんでしたし、今後同じ状況でも自分がどうするかもわかりません。結局『気持ちの問題』ですよね。彼女さんからすると、蜷川さんが距離的に遠くにいて、仕事があることは『理屈として頭ではわかっている』と思います。でも『会いたい』とか『寂しい』という感情が消えるわけではないから」

 これまでの会話内容から状況を推し量るように、明菜が慎重な口調で言った。

 香織と目が合うと、淡く微笑む。


「『助けて』っていうのは、本当に難しいです。相手を自分の人生に巻き込むことなので。そこまでしてもらう価値が自分にあるのか、そもそも自分はそこまで深刻な状況なのか。他人の手を煩わせなくてもなんとかできるんじゃないか。そういうこと考えると……」

 話しながら、視線が逸れる。大豪の方を見て、口をつぐんだ。

 三人が話すのに任せて、腕を組んで深く座っていた大豪は、明菜と目が合うと「ん~~」と唸った。

 香織は身を乗り出して、大豪の顔を下から覗き込む。


「ヒロさん。なんか面白いこと言ってください」

「なんだそれは」

 ちらりと目を向けられた香織は、形の良い唇に品のある笑みを浮かべて言った。

「年長者はこういうとき、何かいい感じのこと言って、格の違いを見せつけるべきですよ」

 向かい側の席で明菜が「うわぁ」という形に口を開いて、逃げるように背を背もたれに押し付けていた。

 一度解散してから集合するまでの間に「岩清水大豪」について調べたらしい。駅で合流したときに「恐ろしい経歴がいっぱい出て来ました」と香織に耳打ちしてきたくらいだ。おそらく、彼が働いてきた界隈では「神」のような存在なのであろう。知れば知るほど、口をきくことすら躊躇われるほどの。

 大豪は物言いたげに香織をじーっと見てから、ふっと笑った。


「むずがゆくて」

「だと思いました。ヒロさんはこういうときどうするんですか? 遠くの彼女が、命に別状はない程度の怪我。顔を見に行こうにも仕事があるからとんぼ返りするしかない。行きます?」

「お前はどうするんだ」

 質問に質問で返される。香織はかがめていた背を伸ばして、にこりと微笑んでみせた。


「俺の場合、もし好きなひとに何かあったとしたら、何もかも全部投げ捨ててその人のところに行きます。立場も責任も仕事もしがらみも全部。他人の参考になるような意見じゃない」

 視線を感じて明菜に顔を向けると「そうなんですか?」と小声で聞かれた。

 香織は「うん」と頷いて満面の笑みを浮かべたまま続けた。


「重いでしょ。ドン引きされても構わない。逃がす気ないから。愛の重さで死ねって感じ」


 明菜は頭痛を覚えたように目を閉じた。

 予想通りの反応に気をよくしつつ、香織は大豪に顔を向ける。

 微苦笑を浮かべていた大豪は、やれやれといった様子で口を開いた。

「椿の当主が」

「そうですよ。そんな俺のことを周りが盛り立ててくれているし、わがままも聞いてくれますから。俺の大切な人の一大事は俺の一大事。『全部任せた』って投げても、誰かが穴を埋めてくれます。どうにもできないなら店を閉めたってかまわない。一月や二月、和菓子を食べなくてもみんな死なないでしょ」

 ぶふっと大豪は噴き出して「そりゃそうだ」と言う。堪えきれなかったらしく、声を出して笑った。


「なるほど。椿の考えはわかった」

 香織は素早く「香織です。名前で」と口を挟む。自分以外の「椿」を知る人間には、ぜひとも区別して欲しいとの強い気持ちを込めて。大豪はにやりと笑って頷いてから、明菜に目を向けた。

「由春をしめておこう。愛が足りない」

「何を言っているんですか。これは由春さんの問題ではなく私の問題です! 由春さんに何か言うのはやめてください!!」

「明菜ちゃん、この際全部ヒロさんにお任せしちゃいな? じゃないと一生あいつに仕事を優先される人生になるよ? プロポーズがすでにそうだったんじゃないの? 『俺は仕事が忙しい男だが、それでもついてきてくれるか』とか言ったんじゃないのあいつ。時代錯誤だなー」

 前のめりになりながら明菜が「違いますから!!」と声を張り上げた。

 言ってしまってから、車内だと思い出したように慌てて口を閉ざす。


「言わないとわからないんだ、本当に。男は馬鹿だぞ」

「あの、岩清水シェフ、そういう決めつけもどうかと思います。『男は』なんて。由春さんはそういう人じゃないです。むしろ私が思った以上に私のことを心配してくれて、それが申し訳ないくらいで」

 むっとした明菜に、香織がすぐに茶々を入れる。

「申し訳ないって感覚が良くない。そこは『当然』だって思おうよ? ふんぞり返って顎で使おう」

「とんでもない!! そんなことできませんっ。大体香織さんだって、相手に何かあれば駆けつけるって言う割に、自分に何かあったときは連絡できるんですか? 普段からできないのに?」

 何かいまとても痛いことを言われた気がするが、言い返す前に香織は(伊久磨)と思い出して目を向ける。忘れていた。


「静香に連絡はついた?」

「……メッセージわかりにくいっていわれるから、到着時間だけ送っておいた。返事はまだ」

 伊久磨はスマホを取り出して画面を表示する。ちょうどそのとき、静香からの着信があった。

「新幹線に乗ったって伝えたのに」

 ぼそっと伊久磨が言うのを聞きながら、香織は「右手使えないからメッセージ打てないんじゃないの?」と言うも、伊久磨は立つ気配がない。

(面倒くさい)

「出ないなら俺が出るよ、何やってんだよ」

 スマホを奪い取り、通路を足早に過ぎてデッキに向かう。


「はい。ごめんね、俺だよ。静香、怪我ってなに? 大丈夫なの?」

 電話の向こうの反応が鈍い。

「静香?」


 ややして、とても躊躇いがちに、電話の向こうから呼びかけがあった。椿さん? と。


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― 新着の感想 ―
[一言] 大豪「(ふぅ〜、上手く誤魔化せた)」
[一言] 気にかけて欲しいけど、それを知らせるのを躊躇う……っていうのは実際そうなっちゃうんでしょうね~。 結局は、遠距離とか関係なしにこまめにお互いにやり取りをするのが大事!ではあるんでしょうけど…
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