Be mine.
二週間会わなかったら、死ぬかもしれない。
死ぬかもしれないし、
むしろ死ぬ。
(恋愛はお金がかかる……)
地方在住の彼氏と、ただいま絶賛遠距離恋愛中の齋勝静香は、しみじみとその事実を噛みしめている。
仕事中は余計なことを考えなくても、夜に部屋でひとりになると、思考がぐるぐるし始める。
将来的なことを考えれば、貯金を崩さないに越したことがない。
そうでなくても、不安定なフリーランスの仕事をするにあたり、無駄遣いはしないように心がけてきた。
何せ、グリーンコーディネーターは力仕事。
もともとは「貸盆栽」「貸植木」と呼ばれ、店舗や会社に鉢植えの植物を運びこみ、定期的に訪問して具合が悪くなる前に交換したりメンテナンスをしていたような仕事だ。
静香の現在のメイン業務は、レストランや企業の受付前等ポイントごとの生け花、個人宅のインドアグリーンコーディネート、ウェディングやパーティー関係のテーブル装花等だが、荷物の運搬はもちろんある。
他にも、百貨店のディスプレイを担当したり、展示会のコーディネートの依頼を受けた場合は、夜間に動き回ることも稀にだがある。
現実問題、結婚まではなんとかなっても、その先。妊娠・出産などの期間は大幅に仕事をセーブしなければならないと思っていた。
仕事をセーブすれば、その分収入減となる。
彼氏がいなかったので。
何もかも考えるのを先送りにしてきたが、気付けば三十歳手前。これから五年、十年ぼんやりしていればあっという間に過ぎるに違いない。妊娠や子育てだけに限らず、大病を患った場合も同じだ。生活に保障がない。「働けない期間」が生じた場合、いざ復帰となっても、また今のように仕事を軌道に乗せるまでにはかなりの困難が予想される。一寸先は闇とまでは言わないが、見通しが立たないことも多い。
(人生設計として、ここで地元に帰るのは全然ありだと思う。仕事内容は今とは変わるかもしれないけど、好きな人と家族になって一緒に暮らして、子どもも欲しいとなったら、あれもこれもとは言ってられないし)
仕事で出会う女性の中には、いわゆるバリキャリなんてひともいて「ただの主婦にはなりたくないの」との言葉を聞くこともあったが、静香自身はそこまでこだわりがない。
ただし、先々まで請け負っている仕事もあるし、今すぐ全部放り投げて実家に帰りますと言う気もない。
最低でも三か月くらいかけて仕事の引き継ぎ先を探したい。
半年先のウェディングなどは、家賃を払って東京に留まっているより、いっそそこだけスポットで上京するイメージで仕事を確保しておいても良いかもしれないが……。
つまり、現在は「地元に帰って結婚するんだろうなぁ」という曖昧なイメージと、「ひとまず仕事はやめられない」という中途半端な状態にある。
無駄遣いは出来ない。
考えたくはないが、結婚がだめになった場合はどうするのか。
或いは、結婚はするとしても、仕事が出来ない期間が生じる恐れは十分にあり、お金はあるに越したことない。
静香は、ベッドの上でばたりと倒れこみ、目を閉ざした。
(恋に浮かれているだけなんだろうか……。あと一月、二月もすれば気持ちが落ち着いて、もっと仕事したいとか、やっぱり地元に帰りたくないとか考え始めるんだろうか)
恋人である蜷川伊久磨と離れて暮らすことに慣れてしまえば、いまの生活を捨て難くなるということも、あり得るんだろうか。
考えてはみるが、その線は無いように思う。
毎日会いたいし、一緒に食事をしたり休日を過ごしたい。
会いたいし、会いたい。
(会うにはお金がかかる。行ったり来たりしている場合じゃないとは思うんだけど)
一週間、十日はともかく二週間会わないのは限界に近い。
しかも。
出会って恋人同士になってから初のバレンタインが近い。
(当日は無理でも、せめてその辺の休みをお互いに合わせて、一緒に過ごすことはできないものなのか! なのか~~!!)
ベッドの上でスマホを手にしてごろごろ転がりながら、最終的に溜息をついた。
「自分がうざい」
結論。声に出た。
何か趣味でも見つけて、恋人に向かいがちな気持ちを発散させた方がいいのではないだろうか。
真剣に検討をはじめたそのとき、スマホが振動して着信を告げた。
* * *
時ならぬ二連休で、社員旅行よろしくこぞって出かけてペンションで一泊二日。
帰ってきてみればまだまだ一日を締めくくるには早い時間で、伊久磨は香織の誘いにのって、椿邸で飲み会をする運びとなった。
居候である西條聖と藤崎エレナも同席
夕方早い時間から飲み始め、夜九時ともなればすっかり全員出来上がっていた。
話はそれなりに尽きず、延々と続いていたものの、伊久磨はそっと居間を離れた。
空き部屋を使うのも気が引けて、台所に向かう。
足元用の電気ファンヒーターをつけて、ダイニングチェアに腰かけてから、スマホを操作して電話をかけた。
「こんばんは。毎日電話している気がするんだけど、今日もいいですか」
――あ、うん!! 電話嬉しい!! いま家にいたし、全然大丈夫。伊久磨くんは合宿から帰ってきたところ?
電話の向こうの明るい声に、伊久磨は思わず笑みをこぼす。
「合宿か。うん、まあ、そういう感じでしたけど。昨日は色々あってお酒も飲みませんでしたし。今は帰ってきてから、椿邸で飲んでます。西條さんや藤崎さんも一緒に。そうだ、藤崎さんは昨日は『一生の不覚』があって」
――なになに? って、あ、ちょっと待って。それ、聞いて大丈夫なことかな。本人的に超不名誉なことだったら、ほら、あたしなんでも顔に出るから、聞かない方がいいかも。次会ったときに変な顔しちゃうかもしれないし。
「ああ、いえ。大丈夫です。藤崎さん、昨日、疲れたみたいで寝落ちしたってだけです。側にいた樒さんがお姫様抱っこして部屋に運んだんですけど、朝起きて事実確認して卒倒しかけて……。気の毒なくらい落ち込んで。今日の飲み会はその反省会もしていました。藤崎さんも、環境変わった中でも休みなく働き続けて、ちょうど疲れが出る頃だったのかなって。そうだ、静香」
話しながら、伊久磨はふとその名を呼んでしまった。
――ん? どうしたの?
当然のように聞き返されて、躊躇って飲み込もうとした言葉を口にする。
「仕事、無理していませんか。セーブできるところはセーブしてください。体を壊したら元も子もないですし。将来のことは、もっときちんと話したいと思っているんですが。静香が無理して働かなければいけない状況にはしないようにします。それこそ、今後環境が変わったときには、まず少し休んでください。藤崎さんに関しては、仕事で最大限フォローするくらいしかできませんけど、静香はまた違うので……」
由春が、明菜をひどく気遣っていたのを見ると、考えずにはいられなかった。
自分はいい。ただ、大切なひとが身をすり潰すようにして働いていて、目の届かないところで倒れてしまうと考えると、ぞっとする。
(早くそばに)
言いたい。
言えない。
ただでさえ、何もかもが急なのだ。自分のわがままで、焦らせてはいけない。
待つことも、覚えないと。振り回してばかりではいられないから。
――……あー、うん。ありがとう。言いたいことは、なんとなくわかる。その……、ちょっと性格悪い言い方に聞こえるかもしれないけど、藤崎さんと分けて考えてくれているの、嬉しい、です。あたし今まで彼氏がいなくて、誰かの「特別」だったことないから。自分が好きなひとが、自分のことを大切にしてくれていることに、すごく安心する。
訥々と、考えながら言われる言葉。伊久磨はスマホを耳に当てたまま固まってしまう。
毎日電話して、話すことなんか、すぐに尽きてしまうと思っていたのに。
片手をそっと喉にあてる。
喉の奥が熱い。熱い塊がそこにある。涙まで滲んできそうになる。
そばにいたら、きっと抱き潰していた。両腕で、強く。
そばにいないから、片手でスマホを持って、ただその声に耳を傾けることしかできない。
(会いたい)
――そうだ、伊久磨くん。浴衣の写真ありがとうね。すごく……、カッコイイというか、ええと、そういえばあれ、誰に撮ってもらったの?
「香織。名前呼ばれて、振り返ったところ不意打ち。香織は茶会に着物で出かけるところも見たことあったけど、さすがに浴衣も綺麗に着てた。それ言うならシェフもだけど。岩清水さんの方。西條さんは動きが野性的だし、すぐに着崩れていた」
気を抜くと「会いたい」と言ってしまいそうで、会話が何気ない内容に流れたことにほっとする。
――そっか。シェフは本当になんでもできるんだね。東京にいたら雑誌の取材ガンガン入っていただろうなあ。イケメンオーナーシェフ。若くて才能があって。
「……」
咄嗟に、言葉が出なかった。
(べつに、変なことは言っていない)
なぜか自分に言い聞かせている。シェフが褒められること自体は嬉しいはずなのだ。強いて言えば、若さと才能にイケメンかどうかは関係ないと思うだけで。
――「海の星」って藤崎さんも美人だし、みんなカッコイイよね。いいなぁ。伊久磨くんと二人で温泉も行きたいけど、合宿は合宿で参加してみたいかも。
(まだ言うんだ)
べつに。仲間が褒められることは良いことなのに。
胸の辺りに何か暗雲がたちこめる。黒いのが。もくもくと。心狭。自覚はある。
伊久磨はスマホを持ち直した。
「そういえば、岩清水さん、結婚するみたいです」
――ええっ。シェフが? どんな相手!?
「芯の強そうな、綺麗な女性です」
――そうなんだー。良かったねえ。
少しだけ会話が途切れる。
結婚という単語を投げ込んだことによる、波紋。
伊久磨は少し躊躇ってから、今一度スマホを持ち直して告げた。
「俺は静香の浴衣も見てみたいかな」
話題を戻して、一瞬過ぎった不穏な空気を払う。
(「結婚」は今度会ったときに)
先送りにすることに、一抹の不安を覚えながら、つとめて明るく話を続けた。