星の降る夜(後編)
「……そういう」
思考がうまくまわらず、そのまま尋ね返してしまう。
由春は頷いてから、続けた。
「まずは仕事の話をと思っていたが。もしそういう意味で考えてもらえるなら、その話もしたい。明菜に、いま付き合っている相手がいないのであれば。俺は『仕事が忙しい』という致命的な欠点があるから、あまり条件が良い男ではないんだが。もっと相応しい相手がいるとは思うし、明菜の親御さんに至っては反対しかないだろう。仕事でもプライベートでも欲しいと言った日には、二度と顔を見せるなと塩をまかれそうだ」
淡々と悲観的なことを言う岩清水由春など、初めて見た。
呆気にとられたまま、確認した。
「それはつまり、男女交際的な意味で言っていると受け止めて良いのでしょうか」
「若い頃とは違い、仕事の基盤もここに定めているので、結婚も視野に入れた交際の申し込みとなるが」
二人とも黙り込んでしまった。
埒が明かないと、明菜はもう一度確認した。
「もしかして、『わかりました』とか『こちらこそよろしくお願いします』といった了承の旨をお伝えすると、春さんが私の彼氏で、私は春さんの……彼女になるんですか」
「結婚前提なので、踏み込んで言えば『婚約者』だな」
「さっきまで仕事の話をしていたと思うんですが?」
「延長上に、こう」
こう、と言われましても。
「どう?」
「早い話、結婚込みでこの仕事の提案も受けてもらえると、俺も住む場所や金銭面での提案もしやすくなる。俺と一緒に暮らして二人分の収入で生活をすると親御さんに理解してもらえたら、納得しやすいかなと」
考えてみた。
(家賃や光熱費は二人で暮らした方が絶対有利だ。仕事柄、まかないなんかで食べるものは困らないだろうし、体調に不安があるときは、面倒をみてくれる「家族」がそばにいてくれることになる。難点は春さんが自分で言うように「仕事が忙しい男」なのだけど……)
「春さん……。かなり踏み込んだ質問なので、答えなくて構わないんですが、念のため条件面での確認をさせてください。『海の星』は経営的にうまくいっているんですよね? その上で、春さんの個人的な資産などは」
お金の話など下世話だろうかと思いつつ、「仕事+結婚」をいきなり突き出された身としては、確認しなければならないと。
由春は、当然といった顔つきで答えた。
「たとえば住む場所なら一軒家を買うこともできる。が……、俺がいま住んでいるのは実家なんだが、家自体が結構広い。それで、両親が年取ってからは手入れが大変だと。実家の方を俺に譲るつもりで、近いうちに駅前に小さい家を建てるらしい。土地が見つかったらしく。年寄二人なので、子どもがいない前提の作りだな。建てて遊ばせておくのももったいないから、当面の間使っていていいと言われていた。二人で住むとしたらそこになるかな」
(手入れが大変なくらい広い実家……? 駅前に土地を見つけたから家を建てる……?)
生活に余裕のありそうな話をしているな、と明菜はぴんとこないなりにひとまず理解した。その上で、重ねて尋ねた。
「客観的に見てなんですけど……『新築一戸建て付きの会社経営者』って、親受けだけを考えればかなりの強キャラですよね。えぇと、ああ、確認しなきゃ良かった」
「どうして」
どことなく不安そうに聞かれる。
溜息をついてうなだれていた明菜は、少しだけ恨めしい気持ちで由春に顔を向けた。
「それを知ってからだと、告白は受け入れにくいです。お金目当てみたいで。知る前だったら『彼氏彼女』か……ってほのぼのできたんですけど。そっか、社長って冗談じゃないんですもんね。社長夫人……うちの母親そういうのに弱そう。でも『娘につきまとわないで』って啖呵きった相手が、まさかの社長……」
ぶつぶつと言っていると、「明菜」と名前を呼ばれてしまう。
「はい」
「返事。悩ませてしまったみたいだが、今後の動きに影響するので、できるだけ速やかに欲しい」
それはそうだ、と明菜は現状答えられることから答える。
「率直に言うと、働きたいです。障害は私の親の反対ですが、春さん付きという強カードを切れるなら勝算はかなりあります。ただ、春さんはそれでいいんですか?」
「というと?」
「一従業員を得る為に、自分の結婚をかけて、身売りみたいな真似をして。私は春さんのことが好きなので嬉しいですけど、だからこそこの交際は受け入れられません。もっと自分を大事にしてください」
窓際で腕を組んで座っていた由春が、ふっと横を向いた。
「春さん?」
灯りが乏しいのでよくわからないが、顔が赤いような気がする。見間違いかもしれないが。
「いや……。明菜が俺を好きなら何も問題がないというか。俺は明菜のことが好きだから告白をしているわけで……」
好き。
あ。
「ああっ!!」
「どうした?」
悲鳴を上げた明菜に、由春が弾かれたように立ち上がる。
「私、好きって言っちゃいましたね。言ってた……。言ってる……。でも春さんそこは冷静に。冷静になってください。好きって言われた相手をみんな好きになっていたらただの気の多い男ですよ? 私は恋愛的な意味で、男性として春さんのこと好きなんですけど、ああもうこの際はっきりいいますけど。春さんの好きって……」
顔が、かーっと赤くなるのを感じた。
何かとてつもなく恥ずかしいことを口走ってしまっている気がする。気のせいじゃない。やばい。
立ち上がったままだった由春は眉を寄せて瞑目していたが、振り切るように顔を上げた。
「冷えた。ストーブのそばに行っても大丈夫か」
「はい、どうぞ」
明菜が答えると、由春は歩み寄ってきて、腰を下ろす。
胡坐をかいて、ストーブの火を見つめる。
その横顔をぼんやりと見てから、尋ねてみた。
「だいぶ寒かったんじゃないですか。震えてませんか」
「そうだな。温かさが身に染みる」
しみじみと言われて、明菜は声を立てずに笑った。
「変なところで我慢強いから」
「そうだよ。どうしてここ数年、明菜に会わないでいられたのか、よくわからない。顔を見たら、そう思った。本当はこのまま連れて帰りたい。俺の好きはそういう『好き』だ。今すぐにでも全部欲しい。明菜のことだけが好きだ。気が多いだなんて、ふざけるなよ。他に誰もいない」
そーっと身を引いた。
気付かれて、ばしっと手を掴まれて、そのまま掌を絨毯に縫い付けるにように押さえつけられた。
「逃げるな」
「照れて。無理。やめてください。私は……、私は片思いでいいんです!! 春さんが私を好きなんて受け入れられないですよ!!」
逃げようと手をびくびく動かすも、由春の力が強すぎてほとんど動けない。
「じゃあ何なら受け入れられるんだよ」
尋ねられたので、考えてみた。
答えようとしたそばから、色々と思い出した。色々。何かと。
「ええと……。だってつまり……、彼氏彼女になると春さんと私がキスしたりするんですよね……。えっ、うわっ、あ、でもそうか。春さんの場合キスは挨拶なんですか? 外国暮らし長いから? 西條さんとよくしているんでしたっけ。蜷川さんとも? あれ、なんだろうこれ。『他に誰もいない』ってそれでどうして言えるのか」
責めるつもりはなかったのに、状況証拠を並べた結果、糾弾してしまった。
由春はおそろしくばつの悪い顔をして「もう絶対にしない」と言った。過去にしていたことは特に否定しなかった。
「会わなかった間私は特に何もなかったんですけど、春さんは……」
特に言う必要もない事情をぽろりと告白してしまったが、由春が目に見えてほっとした表情になり、明菜は(うわ)と動揺して硬直した。
裏付けるかのように、優しい声で囁かれてしまう。
「べつに何か約束していたわけじゃないから、何かあっても、今付き合っている相手がいないならそれで、と思っていたけど……」
「『い、一方その頃春さんは数々の男たちとキスをして浮名を流していたのであった』と」
「変なナレーションいれんなよ。あんまりキスって言ってると、するぞ。明菜に」
ぎゃああああ、と可愛くない悲鳴をあげてのけぞる。
力いっぱい身を引いたのと由春が手を離すのが同時で、絨毯の上にひっくり返ってしまった。
「明菜っ」
慌てた由春が身を乗り出してきて、倒れた明菜をのぞきこむ。
はからずも押し倒されたかのような位置関係になる。
(こ、この体勢はやばい!)
「春さん、ちょっと待って。待って、心の準備できてないから!」
あわわわわ、と明菜が言うと、由春が間近な位置で噴き出した。
「大丈夫だよ。待つ。準備ができたときに声かけろよ」
さっと身を引いて、座り直す。
明菜も慌てて身を起こした。
それから、横目でそうっと、きちっと胡坐をかいている由春を見た。
炎に照らし出されたのは、整った、綺麗な横顔。
(れ、恋愛……。仕事中じゃなくて、プライベートも一緒にいていいの?)
横顔だけでなく、今みたいな、普段見たことないような面も。ぜんぶ。
キス……や、それ以上は想像すると想像だけで死にそうなので意識的に断ち切った。
騒ぎ過ぎた反動のように、少しの間ぼんやりしてしまう。由春も何も言わなかった。
炎の揺らめきが、視界で動くもののすべて。
やがて明菜はそーっと膝立ちになり、由春の背後に回り込む。
肩から両腕をまわして、軽く抱きしめた。
触れ合った場所のすべてが、外見から想像していた以上に固い。おそろしく無駄なく引き締まった身体をしている。
手に入れられるはずがないと仰ぎ見ていた光り輝く星が、今は触れられるほどそばに。
心臓がばくばくと鳴り始めた。
背中に胸が触れてしまったせいで絶対にばれていると思いながら、恥ずかしさを堪えて精一杯の勇気を出して告げる。
「準備……」
目を閉ざして待つ。
まわしていた腕を掴まれてほどかれる。そのまま、身を捩って振り返った由春に腕を回されて抱き寄せられた。
風呂上がりの髪の毛が頬をかすめて、爽やかなせっけんの香りが立ち上った。