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ステラマリスが聞こえる  作者: 有沢真尋
26 日常と非日常
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似た者同士?

 ――新幹線何時に着くの? 駅まで迎えには行けないけど、こっちはまだ寒いから、気をつけてくださいね。


 日付が変わってから帰宅して、ベッドに寄りかかって座り、スマホの画面を長いこと見ていた。

 送信をタップしようとしたまま、指が中途半端な位置でさまよっている。

 深い理由はない。ただ「何気ない会話」に微妙な抵抗があった。


 たった数日、電話しなかったせいだろうか。

 昨晩の電話は、伊久磨からの事情説明がメインで、スマホ越しに静香の苛立ちが伝わってきた。怒るのは当然だと思うし、自分に非があるのもわかっている。こういうときに直接会って話せないのはもどかしい。

 そしてもちろん、反省もしている。

 それをそのまま伝えても、話を蒸し返して終わるだけ、自己満足に過ぎない気がする。

 かと言って、あまりに普段通りでは肩透かしというか、「反省しているのかな」なんてモヤモヤさせてしまいそうだ。そういう性格のように思う。

(どう言えば伝わるんだろう)


 好きで。会いたくて。それ以外無いのに。


 ブラックアウトしたスマホに、俯いて額をぶつけて、溜息。

(家族と食事をしたら、当然そのまま実家に帰るよな。俺は仕事中だし)

 明日、家に来ますか。というか、「出来れば一緒に過ごしたいと思っています」という、その一言が言えない。

 家族と過ごす時間を邪魔してはいけないという遠慮。或いは、あまり強引に誘っても体目当てと思われてしまいそうだという躊躇い。


 彼氏彼女で、遠距離以外は目立つ障害もなく順調なつもりなのに、言いたいことが言えない。

 このままでは、その唯一にして最大の「遠距離」「毎日会えない」という動かし難い現実に、段々と負けてしまいそうな気がする。

(だめだな。ネガティブになっている。あと、なんだろう、強情というか)

 難しく考えて、意地を張って、素直な気持ちが言えない。

 そんなことを繰り返せば、関係の終わりを早めるだけだ。わかっているのに。


 一晩寝ればもう約束の日。会うことはできる。それだけで普段の日よりずっと幸せなはず。

 自分に言い聞かせて、目を閉ざした。

 ただ早く会いたい。

 多くは望まないから。


 * * *


 心は多少、どこかに行っていた。

 仕事に手を抜いているつもりはなかったが、ふとした拍子に時計を確認してしまう。もう新幹線に乗っただろうかなんて、浮ついた状態になる。

 気もそぞろなのはもちろん全員にバレていたが、なぜか妙に受け入れられていた。若干、気持ち悪い。


「蜷川にも人の心があったんだな」

 聖に言われたときにはさすがに思うところもあり、「人の心のない西條シェフに認定されても」と口走ってしまって、追いかけ回されてしまった。


「なんだか変だけど、蜷川くんが変になるのは大体彼女絡みだから」

 ランチが終わった後、手早く食事をするべくテーブルについていたら、仕事を上がる前の心愛にも遠慮なく言われる。


「そんなにわかりやすいですか」

 うん、うんと心愛は何度も頷いた。

「わかりやすい。だけど、今日はあんまり嬉しそうに見えない。喧嘩したの?」

 思ってもいない指摘に、胃がぎゅっと痛んだ。嬉しそうに見えない、とは。そこまでしけた顔になっているのかと。落ち込みつつ、伊久磨はぼそぼそと答えた。


「喧嘩……。喧嘩だったら、とにかく謝っていると思います。長引かせたくないので。今回は、喧嘩じゃないから、謝り倒す機会もないというか。もっと感情的になって騒いでくれたらと思うんですけど……。そのへん理性的なんですよね。『怒るほどのことでもない』『自分にも悪いところがあった』って思うと、飲み込むタイプなんですよ。彼女が」

 真面目な顔をして聞いていた心愛だったが、座った伊久磨を軽く見下ろしながら言った。


「似た者同士だね。それならそれで、もう蜷川くんが騒ぐしかないと思うけど。彼女、年上でしょ? 甘えちゃえば。意外とそういうの、嬉しいかもよ。蜷川くん、普段隙がないから」

 そうかな……。

 ぼんやりと考え込んでしまう。隙、ないだろうか、と。


「彼女のこと、年上だと意識したことはほとんど無いんですよ。なんでだろう。甘える。甘える、ですか」

 具体的に何をすれば、甘えたことになるんだろう。自覚的に振舞ったことがないので、皆目わからない。

 ぴんときていない様子が気になったのか、心愛にはこんこんと語られてしまう。


「相手に期待して、『こうしてくれたら』って言っているうちはまだまだだよ。自分が出来ないから相手からしてくれたら、なんて都合がよすぎるよね。蜷川くんみたいなタイプは、そうやって様子を見ているうちに身動きとれなくなって、距離が空いちゃってもどうにもできなくなりそう。絶対にね、君たちは似た者同士よ。『振り回すより振り回された方が』なんてお互いに思ってるから」

「うん。わかるような、わからないような」

 もやっとした返事をしたら「しっかりしなさいよ」と叱咤された。たぶん激励もしている。


(たしかに、わがままを言ってくれたら、かなえるだけだから楽だ。我慢されてしまうと、手を出せなくなる……。そのまま「待ち」になる)

 今まさに。


「思うがままに、素直に生きるって結構難しいですね」

「たまにしか会えないんだから、やり過ぎなくらい素直になった方がいいよ。『何考えているかわからない』より、ずっと良いから」

 言うだけ言ってから、心愛は「お疲れ様」と言って立ち去る。

 あと数日もしたら、産休に入る心愛と、こんな風に話す時間は、もうあまりない。

 それを、本人もわかっていてのことかもしれない。


(少し、楽になったかも)

 ずっとまとわりついていた嫌な空気が遠のいた気がする。心愛のややぶっきらぼうな態度や気遣いに感謝しつつ、スープとパンを食べて片づけたところで、ドアベルの涼やかな音が耳に届いた。

 時間的に光樹か、とホールを横切ってエントランスに向かう。

 対応に出たエレナが、背の高い女性と向き合っていた。


 銀細工のバレッタでまとめた金髪に、ミルク色の肌。零れそうな大きな瞳は輝きを湛えている。急いできたらしく、白いコートを身に着けた全身に冷気をまとわせていて、吐き出した息まで白く見えた。

「すみませんあの。早く着いてしまって。お店の皆さんにお土産があるので、それだけ置いていこうかと。で、出直すので。変な時間にごめんなさい」

 伊久磨に気付かぬまま、早口でエレナに言い募っている。

 そのまま、手にしていた紙袋を押しつけるようにしていた。

 ひとまず受け取りながら、エレナが何か言おうとしていたが、伊久磨はすぐに歩み寄る。

 あ、と声が上がった。見上げてきた目が驚きに見開かれている。


「早いです。こんなに早いと思いませんでした」

 正直なところを言うと、すぐに目がうるっとする。まばたきをしながら誤魔化したようで「出直すってば」とすねた口調で言われた。 

「どこへ? ご実家ですか? 後から皆さんと一緒にご来店されるんですか?」

「うん……、決めてないけど。どこかで適当に。お茶でも飲んで」

「静香。ここレストランですよ。お茶なら俺も淹れられますけど」

 なぜか、追い詰められたような、困った顔をされてしまう。


(追い詰めてる……?)

 あれ? と伊久磨は首を傾げそうになった。視線を感じた方へと目を向けると、恐ろしく何か言いたそうな顔をしたエレナに見られていた。なんだろうと思いつつ、静香に向き直る。


「せっかく来たのに。個室がありますから、中で休んでいても大丈夫ですよ。俺ももう少し休憩取れますし。荷物はそれだけですか」

 言いながら手にしていた小さめのボストンバッグに手を伸ばす。わ、わ、と静香は焦ったような声を上げて飛び退った。ウサギみたいだった。脱兎。


「……静香? 『仕事中だよね』とか『公私混同させるつもりないから』とか、どうせそういうこと言おうとしていますよね。往生際が悪いですよ。俺に見つかった時点でそういうの、もう意味ないですから。ここ以外のどこへ行こうとしてるんですか」

 静香から受け取った紙袋の取っ手をくしゃりと握りしめたエレナに、「蜷川さん、蜷川さん」と小声で名を呼ばれる。


「はい」

 返事をしたら、にこっと微笑まれた。苦笑の類だ。

「あの、ドSスイッチ入ってますけど、落ち着いてください。個室ですよね、暖房入れてきます」

 そんなスイッチどこに? と不思議に思っているうちに、エレナは静香に向かって頭を下げ、テキパキと言う。

「齋勝さん、お土産どうもありがとうございます。オーナーに渡してきます。そんなに遠慮しないで、ゆっくりなさってくださいね。この後すぐ光樹くんも来ると思いますし……。部外者というわけでもないですから、ほんと。ゆっくり。なさって」

 言い聞かせるような口調。でも、と言いたいのを堪えている顔をしている静香に、念押しをするように続けた。

「蜷川さんの為にも。どこにも行かないで」

 言うだけ言って、「私はこれで」とさっと奥へと引き上げて行く。

 エントランスに二人で残される形になった。


(ええと……言いたいことは言う、だっけ。素直に)

 言えるわけがない、とついさっきまでは思っていたのに。

 どうしたことか顔を見たら止まらなくなっている自覚はあるのだが。

 見下ろすと、小動物みたいなつぶらな瞳で見上げられていた。


「おかえりなさい」

「おかえりって……、執事カフェみたいな」

 何言ってんの、と言わんばかりに笑い飛ばされて、伊久磨は真顔になる。


「静香が帰ってくるのは俺がいるところですよ。思い知るまで何度だって言います」

「思い知るって……、なんでそうS」

 くすっと笑われる。その瞬間、手を伸ばしそうになった。ぎりぎりの自制心。堪えて、深呼吸。

「個室に案内します。何か温かい飲み物を用意しますよ」

 抱き寄せたい手を宥めて、荷物だけ受け取って奥へと案内しようとする。


 そのとき、ぱたぱたという足音とともに、ドアベルが鳴った。



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― 新着の感想 ―
[一言] 男と女、個室、休憩時間。何も起きないはずがなく……。
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